ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳27・バパの銀行とグラミン銀行

1987-08-24 | 日記
かつて協会はバパの受けたことによる指示で銀行を作りました。

そうして、その銀行に対するバパのトークの中にグラミン銀行が業務としている様な内容と同じ趣旨の事が語られています。

バパの銀行は働こうとする人たちを教育し資金を提供するものである、と。

そうしてグラミン銀行は見事に成功し、ノーベル平和賞を受賞しました。

そうして今回、日本に上陸の予定です。<--リンク

かたや、バパの銀行は跡形もなく消え去っています。

さて、この2者の間にある相違はなんでありましょうか?


バパが受けた事であるから、これは必ず成功する、と。

そうして、バパが受けた通りにやっていればよい、と。

そのように協会の人は考え、実行していきました。

そうしてその結果といえば、世の中に受け入れられることも無く消えていった模様です。

 
かたや、グラミン銀行を作った人たちは、「いったいどうすればいいのか」一生懸命に考え、試行錯誤をしていったのでありましょう。

そうして地に足をつけて、貸し付けをする人々と同じ視線を保ち、一歩一歩進んでいったに違いありません。

それは、困難な状況にいる人々の役に立つ銀行をつくろう、という意志。

そうして、それは今までの銀行の在り方とは違う新しい概念であるので、手探りで失敗を重ねながらすすんでいくしかない。

その道が必ず成功する、という保証などはどこにもないが、それでもやり遂げようとする心。

そういう挑戦者としての心意気。

そう言うものによって動かされていったに違いありません。


そうであれば、この2者の間には、なるほどスタートラインでのアイデアは同じであったでありましょうが、その後の在り方がまるで異なっていたものと思われます。

それが消え去ってしまった銀行といまだ発展し続けている銀行の相違を作り出しているものと思われます。


バパが受けたものは必ず成功する。

これは単なる思い込みでありました。

そうではなくて、それは可能性としてそこに存在していたのです。

それを現実世界にこの3次元世界に表現するには、実現するにはとても多くの思考が必要でありました。

世の中とのかかわりが必要でありました。

多くの知識が必要でありました。

そう言うものを全部どけておいて、「バパが言ったのだから成功する」というのは、これは残念ながらファンタジーでありました。

「バパが受けた事だから大丈夫」という理由で「考える事を手抜きする事は出来ない」。

そういう事を我々は自分たちの経験から学ぶ事が必要なのであります。

PS
我々のやり方がうまくいっていないのなら、やり方を変えるべきでありましょう。

大いに思考をつかって、どうしたらいいのか考えるべきであります。

調和していなさい、静かにしていなさい。

これは眠っていなさい、という事ではありません。

大いに議論していながら、なおかつ調和して、静まっている。

そうでなければ、調和にも静まっている事にも意味はありません。

「宣伝をしてはいけません」。

バパはそう言いました。

屋根の上に登って、大きな声で宣伝するのはいけないでしょう。

それではどうやって人々にラティハンを伝えるのですか?

「我々の行動によって自然に広まるでしょう」。

バパはそう言いました。

しかしながら、事実は「広まってはいない」のであります。

そうであれば「我々はどのように行動したら良いのか?」と問わねばなりません。

調和して、静まって、従来と同じことをやっていても、従来と同じ結果が出てくるだけであります。

何をどう変えるのですか?

その結果はどうだったのですか?

そのように問いながらグラミン銀行の様に一歩一歩進んでいくしかないのであります。

PS
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