義経 八艘飛び 2005-11-11 01:32:26 | 壇ノ浦合戦 能登守教経それと、判官めがけてとびかかったが、判官はかなわぬと思われたか、長刀を脇にはさみ、二丈(約6m)ばかり離れていた味方の船にゆらりと飛びうつられた。 (平家物語) « 義経と知盛 | トップ | 知盛自害 平家滅亡 »
10 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 義経像 (しずか) 2005-11-11 08:26:50 これなら顔がはっきりしてますね。私のは顔が真っ黒でした。(涙) 返信する Unknown (やっちゃん) 2005-11-11 14:22:52 これは随分と迫力満点ですね・・・こういった銅像はどうしてか上手く撮れないものですが、ラメールさんのは上手く撮れています。 返信する 義経像 (merry) 2005-11-11 20:11:23 この場所は逆光になるせいか、顔が真っ黒に写る事が多いのですが、ラメールさんはうまく撮れましたね。ちなみに何時ごろでした?コメントのページは元の色に戻りました。めでたし・・めでたし 返信する Unknown (ラメール) 2005-11-12 01:34:19 しずかさん、やっちゃん&merryさんそろってご訪問とコメントありがとう。この銅像を背中から写すとはっきり撮れるのです。昼ごろに写したと思います。やはり暗く写ってしまいます。昼でも強制発光したらいいのかも。画面が白くなるのは、今回は起こりませんでした。正常にもどったかなぁ。いよいよ北陸へ行くことにしました。天気の様子を見て来週あたりに、あまり遅くなると雪が降って行けなくなりますから。 返信する 『草燃える』の国富さんを思わせる武者姿。 (ネズミ色の猫) 2017-07-05 01:53:23 こんばんは。以前三草山ツアーの記事に2件コメントさせていただいた者です。 こちらの義経像デザイン案に採用されたイラストを見ていますと紫裾濃縅(すそごおどし)の大鎧姿、兜鉢から高々と出る帽子の中には髻(もとどり)を結い上げた想定だとわかり、1979年のNHK大河ドラマ『草燃える』で義経役を演じていらした国富広之さんの武者姿に共通するものを感じます。 完成した像の顔アップ。唇の下で玉結びされた兜の忍緒(しめお)…この取り回し方も国富さんと同じ。翌年からのNHK連ドラでは戦国・徳川時代ものでしかしていません。 返信する Unknown (ラメール) 2017-07-05 10:07:43 ネズミ色の猫さん再度の訪問とコメントありがとうございました。’79年の大河の義経をよく覚えておられますね。私は、そのころは、まだ、大河に目覚めていませんでした。義経はやっぱこうでないとらしくないですね。よく見る、ひんじゃくな義経画、あれではりりしい義経を想像できません。 返信する 烏(からす)の字が抜けていました。 (ネズミ色の猫) 2017-07-05 17:58:56 ラメールさんリプライありがとうございます。実は前回の投稿に脱字があり、「烏帽子(えぼし)」と書いたつもりが先頭の「烏」が抜けていました。申し訳ありません。 兜鉢の中心に開いている「頂辺孔(てへんのあな)」。72年の『新・平家物語』以降、角張った大鎧姿が多数登場する平安・鎌倉期を題材にした連ドラ作品ではここから烏帽子を出した描写が随時見られます。 しかしながら、この中に髻があるとは想定していない武者姿も少なくありません。実際05年の『義経』も長い大童(おおわらわ)の髪が両肩や首筋をびっしりと覆っていました。みもすそ川公園の義経像はそれには倣っておらず、肩周りもスッキリしていますね。 返信する Unknown (ラメール) 2017-07-06 01:25:20 ネズミ色の猫さん訪問とコメントありがとうございました。>実は前回の投稿に脱字があり、「烏帽子(えぼし)」と書いたつもりが先頭の「烏」が抜けていました。申し訳ありません。丁寧な脱字訂正投稿ありがとうございます。まったく気づきませんでした。 返信する またまた補足です。 (ネズミ色の猫) 2017-07-16 18:16:29 こんばんは。前々回文頭で触れました義経像のデザイン案。実は知盛像の案ともども一般公募されていたものだそうで、現地説明板のほか「登竜門」というサイトにも引き続き掲載されています。 返信する Unknown (ラメール) 2017-07-17 02:05:55 ネズミ色の猫さん訪問とコメントありがとうございました。幅広い知識をもっておられますね。義経像についての知識ありがとう。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
私のは顔が真っ黒でした。(涙)
こういった銅像はどうしてか上手く撮れないものですが、ラメールさんのは上手く撮れています。
ちなみに何時ごろでした?
コメントのページは元の色に戻りました。
めでたし・・めでたし
そろってご訪問とコメントありがとう。
この銅像を背中から写すとはっきり撮れるのです。昼ごろに写したと思います。やはり暗く写ってしまいます。昼でも強制発光したらいいのかも。
画面が白くなるのは、今回は起こりませんでした。正常にもどったかなぁ。
いよいよ北陸へ行くことにしました。天気の様子を見て来週あたりに、あまり遅くなると雪が降って行けなくなりますから。
こちらの義経像デザイン案に採用されたイラストを見ていますと紫裾濃縅(すそごおどし)の大鎧姿、兜鉢から高々と出る帽子の中には髻(もとどり)を結い上げた想定だとわかり、1979年のNHK大河ドラマ『草燃える』で義経役を演じていらした国富広之さんの武者姿に共通するものを感じます。
完成した像の顔アップ。唇の下で玉結びされた兜の忍緒(しめお)…この取り回し方も国富さんと同じ。翌年からのNHK連ドラでは戦国・徳川時代ものでしかしていません。
再度の訪問とコメントありがとうございました。
’79年の大河の義経をよく覚えておられますね。
私は、そのころは、まだ、大河に目覚めていませんでした。
義経はやっぱこうでないとらしくないですね。
よく見る、ひんじゃくな義経画、あれではりりしい義経を想像できません。
兜鉢の中心に開いている「頂辺孔(てへんのあな)」。72年の『新・平家物語』以降、角張った大鎧姿が多数登場する平安・鎌倉期を題材にした連ドラ作品ではここから烏帽子を出した描写が随時見られます。
しかしながら、この中に髻があるとは想定していない武者姿も少なくありません。実際05年の『義経』も長い大童(おおわらわ)の髪が両肩や首筋をびっしりと覆っていました。みもすそ川公園の義経像はそれには倣っておらず、肩周りもスッキリしていますね。
訪問とコメントありがとうございました。
>実は前回の投稿に脱字があり、「烏帽子(えぼし)」と書いたつもりが先頭の「烏」が抜けていました。申し訳ありません。
丁寧な脱字訂正投稿ありがとうございます。
まったく気づきませんでした。
訪問とコメントありがとうございました。
幅広い知識をもっておられますね。
義経像についての知識ありがとう。