源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

安宅関 勧進帳三人衆

2005-12-18 01:35:28 | 安宅の関コース
     安宅の関コースとしてアップした南加賀の源平の史跡も今回が最後です。
     締めくくりは、やはり「勧進帳三人衆の義経、弁慶&富樫」です。
     安宅の関にある銅像の顔のアップ写真を合成して掲載しました。

     座談会スペッシャル再放送 12月24日(土)13:05~
     総集編第一回       12月24日(土)19:30~
     総集編第二回       12月25日(日)16:45~
     総集編第三回       12月25日(日)19:30~   

北陸道源平の史跡(2/2)

2005-12-15 02:40:58 | 安宅の関コース
13.巖根神社 義経主従が武運祈願をした
14.布市神社 弁慶の力石
15.金釼宮  義経の腰掛岩
28.大野湊神社 義経主従が富樫を訪れた弁慶を待った場所
16.鳴和の滝 安宅の関守・富樫が義経一行に追いつき酒宴を開いた。
17.夜明かしの松 義経主従が松の根元でたき火をして一夜を明かした。
18.倶利伽羅古戦場 義経一行が峠を通るさい滅びた平家の魂を祀った。
           木曽義仲が平維盛を「火牛の計」で破った
19.如意の渡し 義経の素性が疑われ弁慶が義経を打った勧進帳の元になった。
20.弁慶の足跡岩 弁慶の足跡の大きなくぼみのある石がある。
21.碁盤島  景色がすばらしく、義経一行が上陸し碁を打った
22.義経の船隠し岩 義経一行が追っ手を逃れるため洞窟に船を隠した。
23.窓岩  義経が放った矢で岩盤を貫いた伝説があります。
24.平時忠一族の墓 檀の浦の合戦で捕らえられた時忠が流された地
25.須須神社 海難を逃れるため義経と弁慶が笛と短刀を奉納した

詳しくは「石川の義経伝説」へどうぞ

北陸道源平の史跡(1/2)

2005-12-15 01:30:07 | 安宅の関コース
 1.平陣屋  平家軍が陣を置いたと場所と言われている
 2.尼御前岬 義経一行の中にいた尼が足手まといにならないようにと身を投げた岬
 3.鏡の池  実盛が白髪を染めるために使った鏡を投げ入れた池
 4.実盛塚  斉藤実盛の墓
 5.首洗池・篠原古戦場  実盛の首を洗った池と古戦場
26.正覚寺  仏御前が去るとき清盛が与えた阿弥陀如来像が安置されている
27.菅生石神社 義経が奥州行きのときに参拝した
 6.安宅関・住吉神社 勧進帳の義経・弁慶・富樫の像と関所跡があります。
 7.多太神社  実盛の兜と芭蕉の句碑があります。
 8.根上の松  根が地上に浮き上がった松があり、古戦場の跡でもあります。
 9.弁慶謝罪の地 主人義経を打った弁慶が謝罪した道林寺跡
10.仏御前の里 清盛の愛人・仏御前の像・屋敷跡・墓があります。
11.泰産神社  仏御前が人々の安産を願って寄進した神社
12.木滑神社 仏御前が清盛の子を出産するときに寄りかかった石があります。

詳しくは「石川の義経伝説」へどうぞ


義仲と甲

2005-12-11 00:28:54 | 安宅の関コース
安宅関コースも今回が最後です。

樋口次郎兼光が討ち取った実盛の首を池で洗ってみると、黒髪はたちまち白髪に変わりました。それは、まがいもなく、その昔、義仲の命を助けた実盛の首でした。
この物語は「源平盛衰記」などに記されており江戸時代から広く伝わっていました。

(首洗池の説明板より 「実盛の甲を前に嘆く義仲」 首洗池にある銅像と芭蕉の句碑の合成写真です)

実盛と甲

2005-12-10 01:10:23 | 安宅の関コース
南加賀(石川県西部)に来ると勧進帳の弁慶と富樫、そして、1183年(寿永二年)6月の源平合戦にて、
篠原で白髪を染めて戦い、華々しく散った平家の老将斉藤実盛が主役です。

多太神社社宝の実盛の甲は、木曽義仲が実盛の供養と戦勝を祈願して、多太神社に奉納したものです。

むざんやな かぶとの下の きりぎりす
芭蕉がこの兜によせた感慨の句です。
(碑の説明文より 写真は合成です 大河「義経」も11日が最後です)

勧進帳ものがたり館 (安宅関三人衆)

2005-12-07 01:45:56 | 安宅の関コース
                 義経         弁慶         富樫
安宅関に隣接して「ものがたり館」があります。VTRで弁慶・市川団十郎の勧進帳が放映されており、勧進帳に登場する人物が文楽人形で展示してありました。写真は三人別々に写したものを1枚に並べました。
入館料は300円です。

尼御前岬

2005-12-06 01:21:45 | 安宅の関コース
尼御前岬は、北陸自動車道尼御前サービスエリアから遊歩道で行くことができます。

義経主従が都から逃れて陸奥の国へ向かう途中、この地まで来ましたが従者の中にいた一人の尼が、この先の安宅関の取調べが厳しいことを聞き、主君の足手まといになることを憂えて深く意を決し、主君の無事を祈って断崖から身を投じた悲しい話が伝わっています。

(※尼御前像前の説明板より ・写真は合成です。・安宅関はここから東へ10kほど先です。)

実盛塚

2005-12-04 01:24:37 | 安宅の関コース
国道20号に沿ったところに写真左側の標識があります。それを少し中に入って行くと右側の実盛塚があります。(gooブログは、写真は一枚しか掲載できませんので合成しました)

実盛の意気地を語る塚の黒松 老松堂々、武士の誇り
生垣を入って行くと突然視界が開け、堂々とした黒松がすくっと立っている。これが実盛の塚である。
実盛と名乗れば、たとえ平家の武将でも義仲は命を助けただろう。しかし、実盛は名乗らなかった。名乗らぬことで名を残し、武士の誇りをまっとうした。
白髪の老人だとて同情は無用、武士として対等に闘い、かっては命を助けた義仲の場にすがることなく、武士の名誉とともに死出の旅を選らんだのである。
(「義経伝説 南加賀の旅」より)