源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

清盛塚

2005-09-30 00:53:46 | 大輪田泊コース
                  江戸後期の頃の清盛塚

清盛塚は、1680年(延宝八年)の「福原びんかがみ」に北条時貞が建立したと記されています。
大正12年、市電の道路拡張工事で北東へ11m(現在地)へ移転されました。それまでは、清盛の墓とされていましたが、移転時に塔を解体して地下を調べた結果墓でないことが確認されました。
(清盛塚説明版より)
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清盛塚・琵琶塚

2005-09-29 04:30:01 | 大輪田泊コース
              十三重の塔   清盛像   琵琶塚

十三重の塔は1286年(弘安九年)に建てられた供養塔です。
琵琶塚は、もとは前方後円式の古墳でしたが、平家物語の琵琶の名手平経正(清盛の弟経盛の長男で敦盛の兄)に結び付けて琵琶塚と呼ばれるようになりました。
琵琶塚は明治35年に彫られ、平清盛像は昭和43年に建てられました。
能福寺の近くにあります。
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清盛遺骨の場所(能福寺)

2005-09-28 00:59:37 | 大輪田泊コース
能福寺は、清盛の剃髪出家や住職の円実が亡くなった清盛の遺骨を持ち帰ったことでも知られています。境内に、将軍平清盛公菩提「平相国廟」があります。
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源平合戦の虚像を剥ぐ

2005-09-27 00:35:39 | 源平の歴史
25日(日)、神戸市兵庫区 歴史資料ネットワーク主催の歴史講演会に行ってきました。
約300名くらいが参加していました。

日時:平成17年9月25日(日)13時~16時
場所:神戸水道局 たちばな研修所

      【源平合戦シンポジウム】
1.スライド「神戸源平史跡の今昔」  神戸大学大学院 山本陽一郎
2.基調講演「源平合戦の虚像を剥ぐ」 東京都立大学 助教授 川合廉
3.パネルディスカッション 「内乱史研究の最前線~武士、伝承、地域社会」

【川合助教授の講演内容】
合戦後、京武家社会の頂点にたった義経が、一の谷合戦について語ったため義経自身の活躍がいかにすばらしかったかと言う話が都では定説になった。
そのため、生田の森の攻防の記述は少なく、鵯越(山手)を攻めた地元の有力武将・多田行綱の戦闘などは義経の行動として伝説化されてしまった。
(このような内容だったと思います。)
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25日大河「遠き鎌倉」

2005-09-26 00:09:05 | 大河「義経」
破竹の勢いで平家を倒し若武者義経を演じてきたタッキーの額にしわができ憂鬱な顔ばかりの大河でした。落日義経の始まりです。

景時「何故、建礼門院に会った」
景季「義経殿、もう会うことはないでしょう」
起請文、頼朝に送るがナシのつぶて。
お徳、景時の報告書で頼朝が不審をいだいている。
行家、頼朝を打倒することを義経に進言する。
後白河法皇、頼朝と義経の不和をあおるため義経を鎌倉に送り出す。
大姫、義経叔父に会いたい
時政、鎌倉に宗盛父子だけを連れて行く。

これだけ色々と起こってくれば、さすがの義経も頼朝への不信感が出てきて、憂鬱顔で終わりました。
もう、タッキー義経の顔に笑顔が戻る日はないのでしょうか。
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清盛七弁天

2005-09-25 00:58:39 | 清盛七弁天
氷室神社(れんあい弁天)9月13日アップ済
真光寺 (おんがく弁天)7月29日アップ済

福原京の周り七つの地に厳島神社を勧請したので、七弁天と呼ばれ花隈、佐比江、西宮内、夢野、真野、渦輪と兵庫厳島となっています。(兵庫厳島神社説明板より)
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済鱗寺(清盛七弁天)

2005-09-24 01:59:40 | 清盛七弁天
べんきょう弁天
恵林寺の直ぐ近くにあります。
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恵林寺(清盛七弁天)

2005-09-23 01:13:58 | 清盛七弁天
うんどう弁天
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和田神社(清盛七弁天)

2005-09-22 01:08:48 | 清盛七弁天
あんぜん弁天
【 由 緒 】
太古蛭子大神お舟を寄せられた霊蹟蛭子の森の社に、平清盛厳島大神をあわせまつる。
徳川のはじめ波のまにまに寄り来ました天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)を主神として尼崎城主社殿を造営鎮祭して以後和田の明神と申す。
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花隈厳島神社(清盛七弁天)

2005-09-21 00:47:10 | 清盛七弁天
けんこう弁天
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