源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

現在の渡辺の津

2005-12-31 00:43:06 | 源平の歴史
写真は、天満橋とその西側で渡辺の津があった場所を写した合成写真です。

・平安時代より鎌倉時代にかけて皇族、貴族の紀州熊野本宮へ行く
熊野街道の起点として賑わいました。
又、昔の文献にも記述があります。
・森の石松が金毘羅参りの帰り「江戸っ子だってねぇ、寿司食いねぇ」と言ったのは、
ここから京都へ上る船の中と言うことになっています。
・「道中膝栗毛」でも『・・・弥次さんと北さんなるもの、伏見の昼舟に途中より飛び乗りて、はやくも
大坂の八軒家にいたり、ここより舟をあがりたるは最早たそがれ時にして・・・』とあります。

今年、最後の日となりました。4月より書き始めたこのブログへご訪問くださった皆さん、ありがとうございました。義経や源平に関する史跡はまだまだあります。来年もそれらの史跡を訪ねてアップしていきます。お暇の時にでも覗いてみてください。
それでは、よいお年をお迎えください。
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渡辺の津(屋島攻め)

2005-12-30 00:40:18 | 源平の歴史
ここ渡辺の津から、義経軍150騎が、暴風の中、屋島の平家軍を攻めるため船を出したと言われている。現在、「八軒家船着場の跡」の碑が建っている。この付近は古来より、交通の要所であった。
大阪市中央区天満橋京町(京阪電車「天満橋」徒歩スグ)

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義経の隠れ家

2005-12-29 00:45:13 | 源平の歴史
頼朝と不仲になった義経が弁慶ら郎党と西国目指して大物浦(だいもつうら)から船出するために、一時身を隠していた場所がこの大物主神社付近だと言われています。境内に「義経と弁慶の隠れ家の跡」の碑があります。
当時は、この神社の前は海であったと言われていますが、現在は住宅と工場地帯です。
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鹿

2005-12-28 01:59:23 | 宮島厳島神社
島に渡ると出迎えてくれるのが鹿です。鹿は神の使いとされ島内に300頭ほどいるらしいです。

注意!!!余りにも馴れ馴れしいので安心していると持っているものを食べられてしまいます。1万円札を持っていた人が一瞬の内に食べられた話が伝わっています。窃盗被害届けを出しても警察は受け付けてくれません。
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御行幸松

2005-12-27 00:00:23 | 宮島厳島神社
1174年(治承4年)、後白河法皇が参拝されたときに植えられた松と言われています。本殿の裏側にあります。
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卒塔婆石(そとばいし)

2005-12-26 01:38:09 | 宮島厳島神社
清盛暗殺計画に加わった平康頼(やすより)は、鬼界島(きかいがしま・硫黄島)に流されたが、母恋しさに千本の卒塔婆に二首の和歌を書いて海に流した。そのうちの1本が池の中の石に流れついたと言われている。
卒塔婆石は厳島神社の境内にあります。
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清盛神社

2005-12-25 00:58:50 | 宮島厳島神社
厳島神社のはずれにありました。清盛神社とあるだけで、謂われなどは書いてありませんでした。
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千畳閣

2005-12-24 00:29:03 | 宮島厳島神社
五重塔の横に千畳閣があります。
豊臣秀吉が1587年に造らせました。畳を敷くと857畳になることから千畳閣と呼ばれ多くの絵馬が奉納されています。
平家琵琶や篠笛の演奏会なども行われるようです。平家の音色が平家ゆかりの地で奏でられます。
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五重塔

2005-12-22 01:09:51 | 宮島厳島神社
           1407年(応永14年)建立、高さ27,6mあります。
           赤が栄えて見事な塔です。厳島神社の建物には赤が似合います。
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大鳥居

2005-12-21 01:39:07 | 宮島厳島神社
宮島口から船に乗って宮島に渡ると船が大鳥居の前を通過してくれます。海上から見るこの大鳥居の風景が厳島神社のシンボルのようになっています。(総高約16m)
潮の干満を利用して設計された厳島神社、それと一体にとなった前面の海、背後にそびえる弥山(みせん)の原始林一帯が世界遺産に登録されています。
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