源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

塞神(さいのかみ)の松跡(祇園神社南)

2010-06-29 11:28:11 | 福原遷都コース
昔、このあたり(兵庫区平野)を東西に通る道があり、街道を通る旅人らの道中の安全を守ってくれる神さまとして言い伝えられています。(塞神(さいのかみ)説明板)
 
「塞神ノ松」
昔、「塞神ノ松」とか「祇園の一本松」とよばれていた大きな松がありました。「和田の沖をゆく船が、この松を見て舵を直した」と言われるほど有名な松でした。

平家貴族邸宅の跡
1180年(治承四年)、平清盛によって福原遷都が強行され、わずか半年ではありましたが、福原荘・和田荘と呼ばれたこの地に都がおかれていました。平清盛の邸宅は、これより西に「雪見の御所」があります。
 大輪田泊や福原荘・和田荘を見晴らす、ここ平野の地が福原京の中心地域でした。1993年、この公園のすぐ西側から、底に石を敷く池がある貴族の邸宅の庭園が見つかりました。出土した宋からの輸入陶磁器や大量の土器などから、貴族の生活がうかがわれます。

牢の御所

2006-03-05 00:44:18 | 福原遷都コース
                 兵庫県神戸市の薬仙寺の境内にあります。

【 平家物語 都遷 】
清盛は、後白川法皇を福原に移して、四面を板で囲って入り口を一つ開けた中に、三間四方の板屋を造りそこへ押し込めた。これを牢の御所と言った。
平家の悪行もついに極にたっした。
「安元年間(1175~1177)よりこのかた、多くの公卿、殿上人を流刑や殺害をし・・・・・・・・いま、積み重ねた悪行の最後にしたのが遷都である」

福原遷都

2006-03-04 00:40:17 | 福原遷都コース
           兵庫県神戸市兵庫区荒田町にある、荒田神社の境内にあります。       

【 平家物語 都遷(みやこうつり) 】

1180年(治承四年)6月3日、福原へ行幸なさるというので、都のなかはたいへんな騒ぎであった。今年3歳の主上、中宮、後白河院、高倉上皇も行幸なさる。3日には、福原にお入りになる。池の中納言頼盛の宿所が皇居となった。

※福原とは、兵庫県神戸市兵庫区一帯のこと。
 池の中納言は、清盛の異母弟。
 遷都の際、高倉上皇は清盛邸に入られた。4日に天皇と上皇は入れ替わり、清盛 邸が本皇居となった。

宝地院

2005-09-16 00:49:37 | 福原遷都コース
荒田八幡神社のすぐ南にある。
この付近一帯は、平清盛の弟・池の大納言頼盛の山荘があった。
安徳天皇の父・高倉上皇の厳島御幸記に「頼盛の家で笠懸流鏑馬など仕うまつらせ御覧ぜられる」とあり、頼盛の山荘は相当広い邸内であったと思われます。
現在は、敷地の一部が保育園になっています。

熊野神社

2005-09-14 01:29:09 | 福原遷都コース
平清盛が福原遷都の際に、周辺に多くの寺や神社を祀って、新都の鎮護を祈っています。この神社は後白河法皇の尊崇厚くこの地に熊野権現を勧請しました。本殿は、紀州熊野権現と同じく巽の方向を向いており「東向きの権現さん」と親しまれてきました。

祇園神社

2005-09-11 00:14:43 | 福原遷都コース
清盛は、経ケ島を築造の際、この山寺で海潮を聞きながら計画を練ったと伝えられていますが、その潮音山上伽寺は祇園神社の裏山にあったと伝えられています。
山の中腹にあり、ここからは大輪田の泊りが一望できます。清盛の別邸・雪見の御所からは、20分くらいで来れる距離です。