源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

源頼朝の史跡巡り10 平家打倒絵

2017-07-28 03:10:43 | 頼朝史跡

源頼朝が流された蛭が島の周りの道路に頼朝や北条氏に関する絵が埋め込まれています。
源頼朝史跡巡りの最後にこの絵の中から頼朝挙兵~平家打倒の絵を取り出しました。

 

平安時代末期、平家全盛の時代でその棟梁が平清盛でした。



文覚上人(もんがく)
後白河法皇の怒りにふれ、ここ韮山に流さ、同じ時代に蛭が島に流されていた源頼朝に旗揚げを促しました。




源氏再興の旗揚げ
源頼朝は、1180年8月17日、伊豆の平家一門の山木判官:平兼隆を夜襲して源氏再興の旗揚げをしました。



富士川の戦い
源氏(白)対平家(赤)の初戦です。紅白対決はここからきました。






一の谷の戦い~屋島の戦い~壇ノ浦の戦いと続きついに平家は滅亡しました

一の谷合戦
義経の鵯越の逆落としで有名な戦いで、奇襲作戦が功を奏して平家軍を海へ追い落としました。
兵庫県神戸市須磨


浜にあった平家の陣に義経軍が山の頂上から一気に攻め込んだので平家は慌てふためき海に逃げ出しました。現在は、海岸線ぎりぎりにJR線、山陽電車、国道2号線が走っています。



屋島の戦い
四国の屋島に平家は陣を敷きました。そこに義経軍は一気に攻め込み大勝利をあげます。




屋島の合戦で有名な那須与一が矢で扇を撃ち落とした場所です。今は、埋め立てられてその雰囲気はありませんが、記念の的の絵が立っています。



壇ノ浦の戦い
関門海峡での戦いで、平家はここで滅亡しました。
源氏の大将:源義経と平家の大将:平知盛の銅像です。



清盛の妻:二位尼が8歳の安徳天皇を抱いて海に飛び込み自害しました。




源頼朝の史跡巡り9 成福寺 成願寺

2017-07-26 02:24:34 | 頼朝史跡

頼朝政権の誕生から鎌倉幕府を支えてきた北条氏の史跡が多く残っているのが伊豆の国市韮山です。
今回は、史跡巡りの最後になり、北条氏に関連のある成福寺、頼朝と関連のある成願寺、武田家とつながりのある信光寺です。

 

成福寺(じょうふくじ)
1289年、八代北条時宗の子:政宗が両親の遺骨の一部を鎌倉より持ち帰り、成福寺を建立してそこに墓を造り弔いました。歴代:北条氏の菩提を弔っています。
この場所は、北条家の館のあった所です。時宗が政子と頼朝の新居を造ったのもこの辺りだったと言われています。


本堂







  





成願寺(じょうがんじ)
頼朝が三嶋大社にお参りしたとき、老婆が餅を献上したと言われ、後年、頼朝がお礼はなにがいいかと尋ねたら、寺を建立してほしいと答えたので建てたお寺がこの成願寺と言われています。
静岡県伊豆の国市原木158(韮山駅から北へ約1k)



信光寺
武田五郎信光公の開基で、公は尼将軍(北条政子)の時代に伊豆の国に住んだとの記述があります。後の武田信玄は子孫になります。









史跡地図


成願寺は、韮山駅北へ約1Kのところにあります。









源頼朝史跡巡り8 北条時政公墓 願成就院

2017-07-21 12:34:21 | 頼朝史跡

願成就院は、1189年、頼朝の奥州藤原氏成敗の戦勝を祈願して、北条時政公が建立しました。吾妻鑑には、時政公が大伽藍と南塔を建立、二代義時公が南新御堂、そして、三代泰時公が北条御堂と北塔を建立したことが書かれています。

北条時政公は、1160年、14歳で配流となった源頼朝を監視する役職にいたが、娘:政子が頼朝に嫁ぎ、1180年に頼朝が源氏再興の旗を揚げると平家目代の山本兼隆を攻め、以降、平家打倒、鎌倉幕府樹立に大いに活躍しました。頼朝亡き後、鎌倉幕府初代執権として働きました。享年:78歳

 北条時政公墓
足利茶々丸公(堀越御所2代目)の墓もあります。


 


北条時政公



北条家系図



願成就院




願成就院入り口  奥に見える鳥居は守山八幡宮



願成就院跡








運慶作五仏 胎内銘札四枚は国宝







守山八幡宮(願成就院の隣にあります)
願成就院を守護する神社








願成就院の地図(韮山駅から15分くらいです)




源頼朝史跡巡り7 北条氏邸宅跡

2017-07-19 12:55:33 | 頼朝史跡

静岡県伊豆の国市守山地区は、平安時代の終わりの900年前ごろに北条氏が移り住みました。室町時代までの300年余りの間、この地域は、北条氏の拠点として、そして、伊豆地域の中心として機能しました。




正面:堀越御所跡 手前:政子産湯の井戸 左:北条氏邸宅跡



 

伝堀越御所跡
堀越公方と呼ばれた足利正知の御所があったと伝えられている場所です。


室町時代の後半、大名の勢力争いが激化し、関東地方では、京都にある室町幕府に従う勢力と対抗する勢力が争っていました。1457年、将軍:足利義政は、関東支配の鎌倉公方として兄の足利政知を派遣しました。しかし、政知は戦乱のため関東(鎌倉)まで行けず韮山の堀越の地に舘を造って身をおちつけました。これが堀越御所跡です。しかし、1493年、この御所は、政知の子の時に北条早雲によって滅ぼされました。




北条氏邸宅跡(御所跡からすぐの場所)



韮山駅から15分ほどの場所です




伊豆地方に縁のある「梛木(なぎのき)」




北条氏邸宅跡
静岡県伊豆の国市寺家中条




源頼朝の史跡巡り6 北条政子産湯の井戸

2017-07-17 12:53:25 | 頼朝史跡

この辺りは、北条氏の邸宅があった場所で、政子もこの辺りで生まれ、育ったのでしょう。

 

北条政子産湯の井戸



標識がたっているので分かりやすいです



突き当りに井戸はあります











政子の結婚
政子は、気性の激しい女性だったようです。1177年、親は、平家方の山木氏に嫁がせようとしましたが、政子は、頼朝への気持ちを抑えられず、婚礼の日にその場を抜け出し、頼朝のもとに行きました。



尼将軍
頼朝亡き後、子供の頼家、実朝を将軍にしましたが、二人が暗殺された後は、後鳥羽上皇と対立して、1221年承久の乱で勝利して、尼将軍として鎌倉幕府の指揮をとりました。1225年、69歳で亡くなりました。



産湯の井戸地図
静岡県伊豆の国市寺家字守山1216(韮山駅徒歩15分)

(伊豆の国観光パンフレット)



源頼朝の史跡巡り5 真珠院

2017-07-14 02:33:57 | 頼朝史跡

この地に配流された頼朝は、1177年に地元の実力者である北条時政の娘:北条政子と結婚しました。しかし、その裏には、悲しい恋の物語がありました。



八重姫の悲恋物語

八重姫には、頼朝との間に生まれた子:千鶴丸がいました。


静堂  真珠院の中に八重姫供養堂があります




八重姫が身を投げた古川がそばを流れています
侍女たちは、八重姫を弔ったあと伊東に帰る途中で自害しました。






本堂 十三重の塔
八重姫を弔ったのが真珠院の始まりです



山門




真珠院  静岡県伊豆の国市中条145-2

(伊豆の国観光パンフレット)



源頼朝の史跡巡り4 蛭が島

2017-07-12 13:10:15 | 頼朝史跡

蛭ヶ島(ひるがじま)は、静岡県伊豆の国市にある源頼朝の流刑地と伝わる史跡です。
平治の乱で敗れた源頼朝は1160年(永暦元年)に伊豆に配流され、のちに挙兵するまでの20年近くをこの地で過ごし、その間に北条政子と結婚しています。しかし、「蛭ヶ島」という言葉は「吾妻鑑」に頼朝の流刑地は「蛭が島」と記されていますが、この場所である証拠はありません。

蛭が島



177(治承元)年結婚 頼朝(31歳) 政子(21歳)














蛭が島




頼朝は、1192(建久3)年に征夷大将軍に就任、そして、鎌倉幕府が始まりました。



源氏の家系図


蛭が島は公園として整備されています






近くを伊豆急鉄道が走っています


蛭が島は、韮山駅から10分くらいのところにあります。


韮山ばやし



韮山の町花(つつじ)と町木(松)


蛭が島
静岡県伊豆の国市四日町17-1

(伊豆の国観光パンフレット)


源頼朝の史跡巡り3 対面石神社

2017-07-09 11:35:34 | 頼朝史跡

1180年。平家追討の軍を起こした頼朝公は関東・伊豆を平定し、10月、富士川で平家と一戦を交わるため。この黄瀬川八幡の地に本営を造営しました。兄頼朝の挙兵を知って、奥州よりかけつけた義経とこの境内にて対面し、平家打倒を誓いました。

今も境内西側に兄弟対面時に座った石があり、頼朝自ら植えたとされる「ねじり柿」があります。

八幡神社或いは対面石神社とも言われています。

 

大鳥居
 


大鳥居から境内まで約200mの参道があって、桜が植えられています。桜満開の景観はすばらしいです。
 


中鳥居



境内図



本殿






本殿左側に対面石があります



奥が頼朝が座った石、手前が義経が座った石






頼朝が植えた渋柿の木



白旗社
頼朝公が祀られています







対面石神社(八幡)
静岡県駿東郡清水町八幡39(三島駅から約2.5K)


頼朝史跡巡り2 間眠神社(まどろみ)

2017-07-07 02:20:54 | 頼朝史跡

1180年、源頼朝が源氏再興を祈願するために三嶋大社にお参りした途中で休憩の為に休んでそのまま寝てしまった場所に社が建てられそこを間眠神社(まどろみじんじゃ)と呼ぶようになった。

 

間眠神社(まどろみ)



間眠(まどろみ)の松








 

 

 間眠神社地図(静岡県三島市東本町2-11)
三島駅より約1.5K




 


頼朝史跡巡り1 三嶋大社

2017-07-05 10:17:48 | 頼朝史跡

大河ドラマの直虎史跡(静岡県浜松市)を訪ねた後に三島市の源頼朝史跡を訪ねました。そして、ブログも久しぶりの更新です。

 

 三嶋大社は、奈良・平安時代の書物に登場します。

源頼朝が源氏再興を祈願して旗揚げをした神社で、その成功から、多くの武将から信仰されています。頼朝の妻:北条政子奉納の国宝「梅蒔絵手箱及び内容一具」が展示されています。

 

三嶋大社社殿

 

 

 


 

 

  

 

 

 

源頼朝 北条政子腰掛石

 

 



厳島神社





 

神馬舎







安達藤九郎盛長 警護の跡

1180年、頼朝が源氏再興の祈願をしたとき、盛長がこの場所で護衛したと言われています。



推定樹齢:750年のケヤキ



たたり石
東海道の交通整理の石


 





若山牧水の歌碑
のずゑなる 三島のまちの あげ花火
月夜のそらに 散りて消ゆなり



三嶋大社地図  (三島市大宮町2)

三島駅より約1K