源頼朝が流された蛭が島の周りの道路に頼朝や北条氏に関する絵が埋め込まれています。
源頼朝史跡巡りの最後にこの絵の中から頼朝挙兵~平家打倒の絵を取り出しました。
平安時代末期、平家全盛の時代でその棟梁が平清盛でした。
文覚上人(もんがく)
後白河法皇の怒りにふれ、ここ韮山に流さ、同じ時代に蛭が島に流されていた源頼朝に旗揚げを促しました。
源氏再興の旗揚げ
源頼朝は、1180年8月17日、伊豆の平家一門の山木判官:平兼隆を夜襲して源氏再興の旗揚げをしました。
富士川の戦い
源氏(白)対平家(赤)の初戦です。紅白対決はここからきました。
一の谷の戦い~屋島の戦い~壇ノ浦の戦いと続きついに平家は滅亡しました
一の谷合戦
義経の鵯越の逆落としで有名な戦いで、奇襲作戦が功を奏して平家軍を海へ追い落としました。
兵庫県神戸市須磨
浜にあった平家の陣に義経軍が山の頂上から一気に攻め込んだので平家は慌てふためき海に逃げ出しました。現在は、海岸線ぎりぎりにJR線、山陽電車、国道2号線が走っています。
屋島の戦い
四国の屋島に平家は陣を敷きました。そこに義経軍は一気に攻め込み大勝利をあげます。
屋島の合戦で有名な那須与一が矢で扇を撃ち落とした場所です。今は、埋め立てられてその雰囲気はありませんが、記念の的の絵が立っています。
壇ノ浦の戦い
関門海峡での戦いで、平家はここで滅亡しました。
源氏の大将:源義経と平家の大将:平知盛の銅像です。
清盛の妻:二位尼が8歳の安徳天皇を抱いて海に飛び込み自害しました。