源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

書写山と和泉式部

2014-05-20 11:51:22 | 源氏物語
書写山に和泉式部がお参りしていました。歌碑などがあります。

ロープウエイを降りて、バスで10分ばかり行くとお堂があります。書写山の中心地です。

摩尼殿(まにでん)
清水の舞台を思わせるような雰囲気があります。昭和に再建された建物です。摩尼殿は、後白川法皇が参詣されたときに命名されました。





和泉式部歌碑(開山堂にあります)



 (クリックで拡大表示されます) 



ロープウエイを降りたところに、書写山と和泉式部の関係が絵で紹介されています。






詩は和泉式部 小説は紫式部




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石山寺 紫式部と源氏物語の部屋

2010-10-05 01:17:50 | 源氏物語
紫式部は、源氏物語を書いたのが石山寺で、中秋の名月(八月十五夜)が琵琶湖に美しく映るのを見て、物語の構想をたて、「須磨」「明石」の帖から書き始めたと言われています。
(源氏が都を追われて、当時としては、都から離れた場所である須磨に居を構えた。)

 「須磨の巻き」はこちらをクリックしてください


紫式部 源氏物語の間(本堂横)


紫式部の部屋と本堂
  

紫式部供養塔
 

紫式部像


「須磨の巻き」はこちらをクリック

第一章 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語

 世の中、まことに厄介で、体裁の悪いことばかり増えていくので、「無理にそ知らぬふりをして過ごしていても、これより厄介なことが増えていくのでは」とお思いになった。

 「あの須磨は、昔こそ人の住居などもあったが、今では、とても人里から離れ物寂しくて、漁師の家さえまれで」などとお聞きになるが、「人が多く、ごみごみした住まいは、いかにも本旨にかなわないであろう。そうといって、都から遠く離れるのも、家のことがきっと気がかりに思われるであろう」と、人目にもみっともなくお悩みになる。


石山寺正門


   




芭蕉句碑

あけぼのは まだむらさきに ほととぎす


芭蕉庵



芭蕉庵から見た瀬田川



硅灰石の庭(けいかいせき)




多宝燈本尊大日如来座像




淀殿寄進蓮如堂




この記事は、滋賀県PRブログの旅で訪問した場所です。
明日は、石山寺2と瀬戸の唐橋です。

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滋賀県PRブログの旅7 旅の終り

2010-09-30 17:17:12 | 源氏物語
二日間の旅も終りです。
今日は、源内塚 今井兼平の墓 巴御膳の墓 義仲寺 三井寺を周りました。
史跡の紹介は、後日アップします。お暇な時にでもアクセスしてよね。

写した写真は372枚で、使った車はプリウスで全走行距離は372kでした。

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滋賀県PRブログの旅2  一日目終了

2010-09-29 17:24:52 | 源氏物語
妓王寺 平家終焉の地 義経元服の地 瀬戸の唐橋 最後に石山寺に行きました。今日の予定は終了です。
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頼朝の墓

2008-07-31 14:52:56 | 源氏物語
鶴岡八幡宮から歩いて30分、やっとたどりつきました。観光客もほとんど来ない静かな所にありました。源氏の頭領の墓にしてはチョットさびしいです。
暑くってバテバテです。 (‐o-;)
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頼朝供養搭(鹿児島)

2008-06-02 03:30:46 | 源氏物語
5月の中ごろに南九州船の旅に行きましたが、その中で島津別邸を訪問した際に頼朝供養塔を見つけました。何故、こんなところに頼朝の史跡があるのかと不思議におもい,調べて見ると島津と源頼朝とは深い関係があったのです。

その1・島津系図では源頼朝の庶子とある
その2・惟宗忠久(治承3年12月30日(1180年1月28日) - 安貞元年6月18日(1227年8月1日))が、源頼朝から同地の地頭に任じられ島津を称したのがはじまりとされ、のちに薩摩の国出水平野に城を築き、拠点を移している。
(Wikipediaより)






鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)は鹿児島市吉野町の仙巌園の中にある神社。
廃仏毀釈後、島津氏が神道に改宗したために、1869年に先祖供養のため新たに造られた神社である。
島津氏の菩提を弔っていた福昌寺も廃絶の憂き目にあい、その代わりに創立されたのが鶴嶺神社である。(Wikipediaより)

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光源氏 恋の通い路(明石の巻)

2008-05-25 01:23:15 | 源氏物語
光源氏が明石の上のもとに通った道が「蔦の細道」「恋の橋」としてあります。

【光源氏が始めて明石の上のもとに】
こっそりと吉日を調べて、母君があれこれと心配するのには耳もかさず、弟子たちにさえ知らせず、自分の一存で世話をやき、輝くばかりに整えて、十三日の月の明るくさし出た時分に、ただ「あたら夜の」と申し上げた。
 君は、「風流ぶっているな」とお思いになるが、お直衣をお召しになり身なりを整えて、夜が更けるのを待ってお出かけになる。お車はまたとなく立派に整えたが、仰々しいと考えて、お馬でお出かけになる。惟光などばかりをお従わせになる。少し遠く奥まった所であった。道すがら、四方の浦々をお見渡しになって、恋人どうしで眺めたい入江の月影を見るにつけても、まずは恋しい人の御ことをお思い出し申さずにはいらっしゃれないので、そのまま馬で通り過ぎて、上京してしまいたく思われなさる。
 「秋の夜の月毛の駒よ、わが恋する都へ天翔っておくれ
  束の間でもあの人に会いたいので」 とつい独り口をついて出る。



蔦の細道


無量光寺のすぐ横にあって、都から流された光源氏が、入道の娘”明石の君”と
知り合い、彼女の住む岡辺の館に通った恋いの細道と言われている。
二人の間に生まれた”明石の姫君は、東宮の后となる。


恋の橋(高津橋)
「明石の君」が住んでいた「岡の館」にしげしげと通った時に渡った橋と伝えられている。橋の北の丘にある「光源氏丘越えの松」跡に神殿もあります。
大井川に架かっていて、現在は、水も流れておらず、車2台通るのがやっとの道幅です。神戸市西区玉津町にあります。
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明石入道と明石の君の館

2008-05-21 11:58:23 | 源氏物語
源氏物語には、紫式部が明石に来て、実際に見て書いたように思わせます。又、そのことを記した石碑が建てられています。

【浜の館:善楽寺威光院】
明石入道が住んでいた屋敷。源氏屋敷:無量光寺の隣にあります。 [地図]
天然の景勝はいうまでもなく、こしらえた趣向、木立、立て石、前栽などの様子、何とも表現しがたい入江の水など、もし絵に描いたならば、修業の浅いような絵師ではとても描き尽くせまいと見える。数か月来の住まいよりは、この上なく明るく、好もしい感じがする。お部屋の飾りつけなど、立派にしてあって、生活していた様子などは、なるほど都の高貴な方々の住居と少しも異ならず、優美で眩しいさまは、むしろ勝っているように見える。・・・・・
高潮を恐れて、近頃は、娘などは岡辺の家に移して住ませていたので、この海辺の館に気楽にお過ごになる。・・・・・
 (源氏物語の一節)

「入道の碑」
善楽寺威光院内にあります。
年齢は六十歳くらいになっているが、とてもこざっぱりとしていかにも好ましく、勤行のために痩せぎみになって、人品が高いせいであろうか、頑固で老いぼれたところはあるが、故事をもよく知っていて、どことなく上品で、趣味のよいところもまじっている・・・・・

【明石の浦の浜の松】
善楽寺威光院内にあります。
明石藩主五代目松平忠国が建てたと言われる「光源氏古跡明石の浦の浜の松」の石碑がある。
忠国の和歌
「いにしへの 名のみ残りて ありあけの あかしの上の 親住みし跡」


「月影の 光る君住む 跡とへば 里の屋敷に 志ける蓬生」


【岡辺の館と周辺】
明石の君が住んでいた屋敷跡。 兵庫県神戸市西区櫨谷町松本 [地図]
造りざまは、木が深く繁って、ひどく感心する所があって、結構な住まいである。
海辺の住まいは堂々として興趣に富み、こちらの家はひっそりとした住まいの様子で、「ここで暮らしたら、どんな物思いもし残すことはなかろう」と自然と想像されて、しみじみとした思いにかられる。三昧堂が近くにあって、鐘の音、松風に響き合って、もの悲しく、巌に生えている松の根ざしも、情趣ある様子である。
いくつもの前栽に虫が声いっぱいに鳴いている。あちらこちらの様子を御覧になる。娘を住ませている建物は、格別に美しくしてあって、月の光を入れた真木の戸口は、ほんの気持ちばかり開けてある。



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源氏物語 明石の巻(源氏の館)

2008-05-08 17:42:27 | 源氏物語
「明石の浦から、前の播磨守の新発意が、お舟支度して参上したのです。源少納言、伺候していらしたら、面会して事の子細を申し上げたい」
とおっしゃる。この上なく喜んで、お礼申し上げる。

 「ともかくも、夜のすっかり明けない前にお舟にお乗りください」
ということで、いつもの側近の者だけ、四、五人ほど供にしてお乗りになった。例の不思議な風が吹き出してきて、飛ぶように明石にお着きになった。
須磨から明石は、わずか這って行けそうな距離は時間もかからないとはいえ、やはり不思議にまで思える風の動きである。
(源氏物語の一節)

光源氏が須磨から明石に住家を移動する。
( 源氏の館  無量光寺 兵庫県明石市大観町)

無量光寺
物語の中の源氏屋敷とも言われている。
山門は、彫刻の名人左甚五郎作と伝えられている。

源氏稲荷(無量光寺内)


源氏が月見をした朝顔光明寺

光源氏 月見の池(朝顔光明寺内)
           
「秋風に 波やこすらむ 夜もすがら あかしの浦の 月のあさがほ」
寺伝によると昔は、池は今の10倍もの大きさであった。

※近くに同名の浜光明寺があります。
まぎらわしいのでこちらを朝顔光明寺と言う。 

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須磨の巻(その2)

2008-05-02 02:13:34 | 源氏物語
明石の入道は、源氏が須磨にいることを聞き娘の明石の君を源氏に嫁がせたいと思う。
3月、海岸に出た源氏に突然嵐が襲い、源氏は須磨を去ることを考える。

暁方、みなうち休みたり。君もいささか寝入りたまへれば、そのさまとも見えぬ人来て、 「など、宮より召しあるには参りたまはぬ」 とて、たどりありくと見るに、おどろきて、「さは、海の中の龍王の、いといたうものめでするものにて、見入れたるなりけり」と思すに、いとものむつかしう、
この住まひ堪へがたく思しなりぬ。

(源氏物語須磨の巻の一節)

源氏寺は、昔から有名だったようで、芭蕉や子規&明治天皇も訪ねておられます。



謡曲「須磨源氏と現光寺」の説明文


芭蕉の句碑「見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋」
(1678(延宝6)年、松尾芭蕉35才の作)

子規句碑
「読みさして 月が出るなり 須磨の巻」 


    
関所跡の碑         明治天皇行幸の碑

     

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