平家物語巻一「妓王」に仏御前の話は出てきます。
清盛の愛人:妓王を追い出すほどの美貌と美声と美しい舞のできる白拍子であった仏御前は、石川県小松市原町の出身です。
仏御前14歳の1174(承安4)年に京都にのぼり、16歳のとき、清盛の前で今様を歌い、舞を舞った。そして、清盛の関心が仏御膳に傾いて、妓王に変わって清盛の愛人となる。
妓王は、清盛屋敷を出るとき、ふすまに一首、書き残して去っていきました。
萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき
春に芽を出す草木も(仏御前)、冬にはかれる草木も(妓王)、同じ草木です(白拍子)。いずれは秋に枯れ果てるでしょう(清盛に飽きられる)。
仏御前は、3年後、いつか自分も妓王のように追い出されるだろうと思い、清盛の元を離れて、仏門に入り、嵯峨野に住んでいた妓王と妓女(姉妹)の住んでいるところで一緒に生活をしました。
1178(治承2)年に故郷の加賀国(石川県小松市)に帰郷し、1180(治承4)年8月に没した。享年:20歳。
墓所は小松市原町にあって、今でも村人が彼女のお墓を守っています。
仏御前の像を安置している家 (地図)
石川県小松市原町ト24
仏御前のお墓
泰産神社(原町にあります)
安産のお守りとして仏御前が建てました。
正覚寺 (地図)石川県小松市松任町
仏御前が、清盛の元を去るとき、「靴を履いた珍しい阿弥陀像」を与えたと
言われています。
その「履行阿弥陀如来像(くつばき)」」と仏御前像が安置されています。
小松市は、安宅の関のあるところです。又、プロ野球松井選手の出身地で松井選手の野球館は、当地の一大観光スポットです。