源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

音戸の瀬戸 清盛日招像

2015-05-15 02:58:28 | 平清盛

瀬戸内マリンビューの旅で、平清盛が切り開いた「音戸の瀬戸」訪問してきました(2014年12月)。

 

瀬戸内マリ―ビューの旅
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時間が無いし、歩いて日招像まで行くのは無理なので、タクシーを使いました。渡船乗り場近くのタクシーに、行き先を言って、どのくらいの値段か聞いてみると、「3000円で、十分お客さんが満足できるように周ります」と言われたので、乗車することにしました。

音戸の瀬戸
平安時代末期に権勢をふるった平清盛が日宋貿易の航路として1167(保安2)年に開削し工事中に、西に太陽が沈もうとした夕日を金の扇で招き返し、一日で切り開いたという伝説があります。

清塚盛
清盛は、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めてこの工事を完成させました。その功績を称えて、1184(寿永3)年に建立されました。
上に通る橋は、音戸大橋  向うに見える橋は新音戸大橋
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音戸渡船(おんどとせん)
1961(昭和36)年に音頭大橋ができましたが、江戸時代から続いた音頭渡船は、使いやすいために残され、現在も運行しています。

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幅120mと日本一短い定期航路
運賃は 大人70円 自転車込90円
50人乗りですが、一人乗れば出航します


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音戸大橋
(右手に音戸渡船があります)
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新音戸大橋
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日招像
沈むとした夕陽を金の扇で招き返して工事を一日で終えたと言う伝説があります。
音頭の瀬戸開削800周年を記念して、1967(昭和42)年に建てられました。
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平清盛は、このように夕陽が沈んでいた時にその夕陽を招き返しました。
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吉川英治文学碑
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吉川氏が「新平家物語」の史跡取材のため音戸の瀬戸を訪れた時、対岸の清盛塚に向かって、「君よ、今昔の感如何」と言われたのを記念して碑が建立された。
右の石にその言葉が刻まれています。


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二重の塔
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周り終わって呉駅に着いたらもう真っ暗でした。タクシー使ったから短時間で、行きたい所全部廻れたし、説明もしてもらえたので、タクシー代3000円は安かったです。

 

呉駅
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清盛は、日宋貿易に相当力を入れていたようで、同じような工事を都を移そうとした福原でもやっていました。以下は、参考記事です。




大和田の泊り
平清盛は、音頭の瀬戸工事の前の1161(応保元)年に、日宋貿易を活発に行うために、都を移そうとした福原(兵庫県神戸市)の大和田の泊まりの大改修を行い、巨石にお経を刻んで沈めました。その島が「経ケ島」と言われています。

 

大和田の泊り跡から出てきた石

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大和田橋
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清盛の雪見の御所跡(兵庫県神戸市兵庫区)近くに日招像があります
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音戸瀬戸への地図は こちらから

 

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平清盛と室津

2013-03-16 02:17:10 | 平清盛

1190(治承4)年、平清盛が宮島に行く時に寄港した室津、昔の風情を残した港町です。

(兵庫県たつの市室津)


室津港全景(右の森に賀茂神社があります)

上の説明文の中で1190年とあるのは、1180年の誤りです。

清盛は、賀茂神社に参拝しています。そのことが「高倉院厳島御幸記」に記されています。
「(賀茂神社には)立派な社殿が五つ、六つ並びたち、巫女たちが集まって休みなく神
楽を奏し。」




賀茂神社石段



本殿

 


江戸時代の賀茂神社
右の方に石段があります。今もほとんど変わらすに建物が配置されています。


シーボルトが見た賀茂神社


賀茂神社から見た景色

 


室津の歴史
●神武天皇の時代に、この地に港を造ったと言われています。
※神武天皇は、初代天皇で日本書紀、古事記に出てきます。天皇即位は、紀元前660(神武天皇元年)年

●播磨風土記に「この泊り、風を防ぐこ室のごとし、ゆえに名となす」と室津の名の由来を記述しています。713(和銅6)年奈良時代

●万葉集に唐荷島や鳴島が記載されています。726(神亀3)年

●摂津五泊に河尻(大阪)、大輪田(神戸市)、魚住(明石市)、韓泊(姫路市)、室津(たつの市)として制定される。729(天平年間)年

 兵庫県たつの市室津 (地図

 

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清盛の愛人 谷家の女御

2012-11-01 02:31:32 | 平清盛

清盛と女性の話は多いです。あまり知られていませんが、側室の一人を紹介します。

平清盛が、この地にいた谷家の娘を見初めて、側室として嫁がせた時に渡った橋として名付けられたと言われています。
長田神社の入口西側にあります。

 






長田神社の入口に八雲橋、入口左側に谷御所橋があります。
長田神社は、古くからある神社なので、清盛もお参りしたでしょう。






長田神社(土塀内)の横に流れている川にかかっています。

 

清盛は、女性に優しかった、甘かった、女好きであった。どれにあてはまるのでしょうか。
その性格が災いの元で、平家が滅びました。
池禅尼の申し出で頼朝を流罪にした。義朝の側室であった常磐御前の美しさにひかれて側室になることで義経を生かした。後に温情をかけた頼朝、義経によって平家は、滅ぼされました。
頼朝が平家打倒の兵をあげたのを知った清盛は、自分が死んだときは、頼朝の首を墓前に供えよと言って死んでいきました。恩を仇で返したと清盛は死んでも死にきれなかったのでしょう。


長田神社と谷御所橋
兵庫県神戸市長田区長田町3丁目 (
地図

 

 

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浅草寺と東京スカイツリー

2012-04-12 03:26:18 | 平清盛

頼朝もお参りした浅草寺からもスカイツリ-が見えます。

近くの隅田川公園の桜も満開で、平日なのにすごい人出です。

 

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神戸市長田区内の平清盛史跡を訪ねる NO2

2012-04-11 00:01:06 | 平清盛

続いて長田区内の平清盛関連史跡 11.勝福寺 5.宝満寺 9.満福寺を紹介します。

 

 

11.勝福寺
平清盛が経ケ島(きょうがしま)築造の際、この寺の衆徒が大いに協力したので、重要文化財になっている金銅製の密教法典のほか築島供養式の際の幡などが寄進されています。
 

      勝福寺階段          勝福寺から見た海
 

 

5.宝満寺
1180年(治承四年)に平清盛が福原遷都の際、福原京の西入り口にあたる現在地に移築させたと言われています。その時に、自筆の「護国殿額」と清盛自身の懐中仏「金胴帝釈天立像」とともに大修理を行っています。境内の横に「福原内裏分石」と「福原内裏往古仏体刻付棒石」の標石が保存されています。
 

 

9.満福寺
平清盛が創建したとの伝えがありますが定かではありません。近くの長楽町六丁目に「字福原」地名があり、平清盛が厳島神社に参詣の途上に、この付近に上陸して陸路で向かったと伝えられており、昔はこの辺り一帯を福原と呼んでいて、福原荘発祥の地とも言われたいます。お寺を囲んだ石垣が亀の形をしていますので「亀の甲寺」と呼ばれています。
 

 

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平将門の首塚

2012-04-09 10:42:57 | 平清盛
皇居近くの将門首塚に来ました。ビルの谷間にこんな史跡があって、参拝の人がたえません。
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神戸市長田区内の平清盛史跡を訪ねる NO1

2012-04-08 00:01:01 | 平清盛

今回からは、兵庫県神戸市長田区にある平清盛関連の史跡の紹介をします。引き続き、よろしくお願いします。

長田区広報誌
福原京に近く、源氏と平家が激しく戦た所で、源氏軍が優勢であったため、平家の武将が多く討ち取られてその史跡が残っています。
平盛俊(もりとし)の墓・塚、平忠度(ただのり)の胴塚・腕塚、平知章(ともあきら)の墓、源平有志の碑、監物太郎の碑などが紹介されています。

長田区史跡地図
  


上記史跡の中から、清盛と関連のあったえ14.妙法寺 16.谷御所橋 11.勝福寺 5.宝満寺 9.満福寺を紹介します。 

14.妙法寺
平清盛は福原遷都の際に、平安京の鞍馬になぞらえて、ここを新鞍馬といって王城鎮護の霊場とし、
寺領として1千石余りを寄進したと言われています。
 


 

16.谷御所橋
長田神社入口左にあります。
平清盛がこの地にいた谷家の娘を見初め、側室として嫁がせた時に渡ったとして名付けられました。(参考資料:ながた広報誌2012年1月号)
 

 

谷御所橋と八雲橋は、長田神社入口に架かっています。
長田神社わきに流れている川に架かっています。

 


長田神社は歴史のある神社ですので、清盛が谷御所橋を通っとときに、当然、参拝したと思われます。

    長田神社入口                 本殿
 


 

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福原遷都の首都 平野商店街

2012-04-05 12:29:24 | 平清盛

義経ツアーの記事も終わりましたので、又、神戸市の平清盛関連の史跡をアップします。

平清盛が福原遷都を行い、安徳天皇、高倉上皇、後白河法皇が行幸された所が兵庫県神戸市兵庫区の平野商店街あたりです。この地には、清盛の雪見の御所、清盛が通った湊川温泉、平家一門や高級官僚の屋敷がありました。そして、大輪田の泊りまでは、約2Kで、当時は、港も見えました。清盛、平家の世が続いていたら、この辺りが首都か、高級住宅地、あるいは、銀座通りになっていた可能性もある場所です。

商店街おこしにとキャラクター「きよもん」をつくって、商店街おこしをしておられます。平清盛像も設置されましたので、ちょっと見に行ってきました。

清盛日招像(ひまねきぞう)




平清盛と平野商店街



平野商店街キャラクターきよもん



商店街PR



平野商店街についてはこちらをクリック

 

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丹波道を駆け抜ける⇒義経伝説ツアー埼鹿寺(はしかでら)

2012-03-31 02:10:02 | 平清盛

いよいよツアーも最後の史跡:埼鹿寺です。ここは、行ってないところですので楽しみです。

コスミックホールでバスを小型2台に乗り換えます。道路が狭いので大型バスでは無理なんです。

掎鹿寺(はしかじ)
三草山合戦のあと、義経は5日にこの寺で戦勝の宴を開いて、翌6日に、軍を二つに分けて、土肥実平(どいさねひら)軍は、一の谷に向かわせ、義経自身は、少数を率いて鵯越に向かったと言われています。
(参考資料:野村貴郎先生著 鵯越の逆落し)

 掎鹿寺にある川柳の庭

 

 

       掎鹿寺納経所           塔
 

 

掎鹿寺本堂

 

         本尊          二匹の白鹿
 

 

掎鹿寺の横を通っている義経道 ここから鵯越に行きました

 

道の駅とうじょう(おみやげを買ったり 最後の一休み)

 

ツアー参加のおみやげに加東市名物の伝之助うどん(4食分)とカレンダーが
全員に配られました。

 

このツアーは、神戸新聞旅行社が募集したものですが、加東市観光協会から補助が出ていたのではないかとおもわれるほど、格安ツアーでした。
明石、神戸からバスで来て、加東市観光協会のガイドさんがついて、三草山合戦の史跡を巡って、昼食はおいしく、最後は、お土産までもらって満足のいく一日でした。3月に4~5回行われたようですが、大河ドラマ「平清盛」で、源平ブームにのってか、どの日も満員だったようです。

 

一の谷合戦の史跡については、以下のHP「明石海峡大橋 北南」で紹介しています。

こちらから ⇒ 「平清盛関連(源平合戦)の史跡」から入っていただくと詳しく紹介しています。

 

加東市観光協会は こちらから

 

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丹波道を駆け抜ける⇒義経伝説ツアー三草山合戦

2012-03-29 03:33:50 | 平清盛

昼食後は、いよいよ三草山合戦地へ移動です。地図

 

このツアーのハイライト、戦の天才:義経の名を
有名にしたデビュー戦の地:三草山です。

三草山合戦モニュメント
この辺りは御所谷と呼ばれ平家の本陣があったと言われています。




三草山


弁慶の薙刀石(三草山合戦モニュメントの横にあります 
弁慶が薙刀を突き刺した穴があります)

 

平家物語絵巻物(複製品 鴨川の郷にあります)
京都→篠山と進んだ義経軍は、三草山の手前の小野原に布陣した。
小野原(兵庫県篠山市今田町小野原 地図 )

 

三草山合戦夜討ち
1184年2月4日夜半、義経軍は三草山麓:御所谷に陣を構えた平資盛(すけもり)軍に
夜襲をかけて撃破した。

三草山合戦



平家 屋島へ逃亡
負けた平家は須磨海岸(兵庫県神戸市須磨区)まで退却し、
義経の鵯越の坂落としの急襲を受け屋島へ逃亡しました。

 

三草山で戦った義経軍は、佐保神社に集結して、軍制を立て直しました。
 

稲荷神社
 

加東市観光協会のガイドの方が丁寧に説明してくださいました。

 

              山氏神社の義経手植えの松(やまうじ)
 

6日、義経は自軍を二手に分けて、7000騎(実際は700騎か)を土居実平(どいさねひら)に預け、須磨一の谷(兵庫県神戸市須磨区)に向かわせ、義経自身は、3000騎(実際は300騎か)の精鋭を率いて鵯越を目指しました。(義経軍の人数は、諸説ありますが、平家物語の数字を使っています)

このあと、義経は鵯越の坂落としで平家の背後をつく作戦で、勝利します。

一の谷合戦の史跡については、以下のHP「明石海峡大橋 北南」で紹介しています。

こちらから ⇒「平清盛関連(源平合戦)の史跡」から入っていただくと詳しく紹介しています。

 

 加東市観光協会は こちらから

佐保神社は こちらから

 

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