源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

羅漢像

2005-08-25 01:42:38 | 義経道コース
多聞寺に登る脇参道に羅漢像が置かれています。写真のチビ羅漢が約100体と大きいのが20体ほどです。
鞍馬の羅漢像と同じく、同じ顔の羅漢像はありませんでした。

逆光写真の撮り方でアドバイスをくださった方、ありがとうございました。
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多聞寺

2005-08-24 02:28:34 | 義経道コース
平清盛が福原遷都のとき、京の鞍馬山に擬して新都の守護として伽藍を建てたと伝えられています。又、都北辺の防禦の拠点とした。
義経の別働隊が福原を背後から突こうとしたとき、多門寺のみ平家に味方したので、焼かれ寺領も没収された。

写真の寺入り口から百段ほどの階段を登った山の上にお寺があり、山城のようです。
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再び布袋寺その2

2005-08-23 10:21:57 | 義経道コース
お寺の周りは田んぼや畑でイチゴが栽培されています。季節にはイチゴ狩りが楽しめます。

お寺から10分くらいの所に神戸電鉄の二郎駅があります。小さなプレハブのボックスがポツンと建っているだけで無人、乗り降りする人も見かけませんでした。駅前には家が2軒建っていてあとは田畑山に囲まれています。

昔は、このあたり一帯がお寺の敷地だったのではないでしょうか。


写真を逆光で撮ると絵が暗くなりソフトで修正すると画像が荒れますが、逆光で撮る場合の注意点を教えてください。
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再び布袋寺

2005-08-23 00:24:04 | 義経道コース
 22日、神戸の一番北にある史跡を訪ねました。

平教経(のりつね)の子孫である宮崎弾正二郎広綱の開基と伝えられ、かっての領地であったこの地を二郎と名づけこの寺を建立した。今でもこの辺りの地名は二郎です。
寺には、清盛の自画像、琵琶塚碑面文字の屏風、清盛塚移転時の経石2個があります。

お寺には人がおられませんので所蔵品を見ることができませんでした。

※教経は、屋島の合戦時、佐藤継信を射殺した弓の名人。
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布袋寺より

2005-08-22 15:27:05 | 義経道コース
          ケイタイで送信しました。

          平家に関係のあるお寺です。
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鷲尾三郎再登場

2005-08-04 00:38:21 | 義経道コース


8月7日の「義経」に一の谷の道案内をした鷲尾三郎と妹のまごめが再登場します。

鷲尾家屋敷跡は、一の谷の真北約15kほどのところにあり、八百年以上前の源平時代は、本当に鹿しか通らない山奥でした。

地元の人の案内で屋敷跡に行きました。今でも田を耕していると瓦屋、瀬戸物が出、当時も使っていた井戸もありました。辺り一帯は、鷲尾家の土地だったようで裏山は鷲尾山と呼ばれ山の中に鷲尾家のお墓がありました。(神戸市北区山田町)
ご子孫は、すこし離れたところに住んでおられるようです。

写真は、鷲尾家の累代のお墓です。
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鷲尾家跡

2005-08-03 16:52:44 | 義経道コース
800年前義経のヒヨドリ越えの道案内をした鷲尾三郎の屋敷跡です。義経はこのあたりから一の谷に攻め入りました。(兵庫県神戸市北区山田町)
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太山寺

2005-07-07 17:50:34 | 義経道コース
平家の武将の尊崇厚く、平家納経や武将の鎧や腹巻など多数所蔵しています。
仁王門を入ったところから寺院の雰囲気があり、鎌倉時代から室町時代に隆盛をほこった面影があります。

写真の本堂は国宝に指定されています。
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平師盛塚(もろもり)

2005-07-07 01:21:24 | 義経道コース
 6日、太山寺と石水寺(せきすいじ)を訪ねました。

石水寺の師盛塚(清盛の孫)です。 

三草山で破れ、西城戸でも破れ、舟で逃げようとしたところを捕らえられ討たれました。

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石水寺より中継

2005-07-06 15:55:30 | 義経道コース
森の中に石水寺があり、平家の武将師盛の遺跡があります
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