源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

神戸市垂水区の源平合戦の史跡を訪ねる

2012-02-21 11:52:39 | 須磨敦盛コース

ボランティアで参加しているデェイサービスで平清盛について話することになりました。そこで、垂水区役所にパンフレットをもらいに行きましたが部数が少ないので三宮のインフォーメーションセンターに行ってほしいとのことです。その時に今まで無かった垂水区内の源平合戦に関する史跡紹介mapをみつけ、近くに御霊神社があるのを見つけましたので、行ってみることにしました。ついでに垂水区内の源平合戦の史跡を紹介します。

垂水区内史跡map
 
18 御霊神社   4 源平合戦供養塔  19 奥畑大歳神社  

18 御霊神社(ごりょうじんじゃ)
このあたりは、一の谷の合戦で源平の兵が激しく戦った地域でもあり、戦死者が多く出たためその霊を祭るために建てられました。現在は、端丘八幡神社に合祀されていますが、その跡地には祠があります。(参考資料:垂水観光推進協議会パンフレット)


 

 

19 奥畑大歳神社
源平一の谷合戦地より近く、源義経が必勝祈願のために弓を引いた伝説があります。毎年1月に、弓を引いて的を射る「弓引きの神事」が行われています。


4 源平合戦供養塔




 
分かりにくい所にあります。左写真の指マークを入ると
右写真の所に行きます、そこを下ると供養塔です。
下写真の赤丸に上の指マークがあります。

 

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義経も詣った多井畑厄除八幡神社

2011-11-08 13:02:23 | 須磨敦盛コース

一の谷の合戦の際には源義経が祈願したといわれている、神戸市須磨区にある日本最古の厄除神社です。須磨に流された在原行平も参拝したと言われています。

770年(神護景雲4年)に疫病が大流行し、それを鎮めるために五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)の国境10ヶ所に疫神を祀り、疫祓いが行われました。多井畑厄除八幡宮は古山陽道の摂津と播磨国の国境に位置していたため、その一つとして疫神が祀られたと伝えられています。

 

         本殿               厄除塚

 

 

        階段                      御由緒

 

 地図は こちらから   神戸市須磨区多井畑字宮脇1

 

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法界寺

2005-10-09 00:14:59 | 須磨敦盛コース
平清盛が大輪田の泊の修復や経ケ島の築造に際して、祈願をした寺と謂われています。
もと兵庫区の西宮内町にありましたが、区画整理事業によって昭和二十九年、現在の地に移転しています。
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戦の濱2

2005-07-15 01:09:52 | 須磨敦盛コース
先週の大河ドラマ「一の谷の奇跡」があまりにも良かったので須磨海岸の紹介が多くなりました。

ドラマの最後に源平合戦の史跡の紹介をしていますが、その中にありました「源平合戦 戦の濱」の碑です。松林の中にひっそりと建っています。平家の世から源氏の世に変わった節目の戦いの場です。

梅雨も明け、海水浴の季節になりました。又。多くの若者でにぎわうでしょう。

源平合戦の史跡 一の谷の戦い
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戦の濱(須磨海岸)

2005-07-13 01:26:30 | 須磨敦盛コース
源平合戦の西の砦の主な戦いの場所である須磨の海岸です。中央の海に突き出た所は「海釣り公園」、左の突き出た所は「土砂運搬所」、その左に「須磨海水浴場」があります。

10日の大河ドラマ「義経」で紹介されていた「源平史跡 戦の濱」の碑がある海岸です。沖には平家軍の舟が多数浮かんでおり、安徳天皇や時子(松坂慶子)が乗っていました。

鉄拐山に昇るロープウエーから写した写真です。
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源平合戦800年記念碑

2005-07-12 02:58:41 | 須磨敦盛コース
1184年2月7日早朝、「鹿も四足、馬も四足、大将義経まっしぐら」と歌にあるように、義経率いる源氏軍が人馬もろとも断崖絶壁を駆け下りる奇襲をかけた「鵯越の坂落し」で、平家軍は総崩れして源氏が勝利した戦いを記念して800年後の1984年に合戦の浜辺に建てられた記念碑です。JR須磨駅から徒歩10分。春には桜の名所、海岸には海釣りの施設があります。

毎年、決戦のあった2月7日には軍馬のいななく声が聞こえるといわれています。
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平家要塞一の谷

2005-07-04 04:27:16 | 須磨敦盛コース
7月3日の「NHK義経」は、あまり面白くなかった。巴御前に義経が会ったり、静御前と上戸彩御前が対面して女の火花をちらすのかと思えばそのまま。役者の演ずる姿を見て訴えることを感じないといけないのかと思ったが、義経の二股愛はあまり興味がない。

いよいと義経が平家討伐に出発。迎え撃つ平家は、一の谷(兵庫県神戸市)に10万の兵を配備。地形は、東の砦は生田川と生田の森に囲まれ、西は鉄拐山でさえぎられ、南は海、北は断崖絶壁の壁、で囲まれている難攻不落の要塞にたてこもる。

来週からが面白い。いよいよこのブログの史跡が登場します。
6月17日~19日に、東の砦の写真を掲載しています。

写真は、西の砦鉄拐山から東の砦生田川方面を写しています。
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敦盛塚

2005-05-31 01:11:11 | 須磨敦盛コース
今日の天気 
山陽電車須磨浦公園駅の西すぐのところにあります。
平敦盛を供養するために建てられたという五輪塔があります。一説には平家一門を供養するために建立し「あつめ塚」といわれていたものが、「あつもり塚」となったとも言われています。
     
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平重衛(しげひら)捕らわれの遺跡

2005-05-30 02:35:08 | 須磨敦盛コース
   
清盛の五男。東の城戸を守っていたが源氏の軍勢に攻められこの地で
生け捕りになった。土地の人が哀れに思い、濁り酒を勧めたところその情を喜び
「ささほろや 波ここもとを 打過て すまでのむこそ 濁酒なれ」と詠んだ。
京で引き回されたあと鎌倉に送られ最後は処刑された(29歳)。
遺跡は、山陽電車須磨寺駅ヨコにあります。

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源平せんべい

2005-05-28 00:26:45 | 須磨敦盛コース

JR須磨駅前商店街に源平せんべいが売られていました。
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