源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

義経 TV出演

2005-12-19 23:20:53 | 大河「義経」
タッキー義経が12月19日の「笑っていいとも」に出演していました。
他のTV番組に出ても気分はいつも義経だったと完全に義経になりきったこの1年の気持ちを語っていました。
お友達紹介は、細木数子氏でした。

大河義経スペッシャル座談会

2005-12-17 02:15:24 | 大河「義経」
12月16日21:15から「義経」に出演の義経主従が集まり苦労話、好きな場面などを語りました。放送を見ていて義経主従の関係がドラマの中だけのものでなかった様子が見えました。1年3ヶ月の長丁場の撮影ではスポーツと同じくチームワークが出来ていたからいいドラマができたのだと思います。

特に、主演の義経を演じたタッキーは、多数の先輩、大物俳優が脇を演じている中での出演、一番のプレッシャーを受けながら最後まで「一途に新しい国を造ろう」とした義経を演じきりました。やはり、彼の人間性が好かれ、成長する若者・タッキーを中心にして、先輩、大物俳優、スタッフがいいドラマを作ろうと団結できたからでしょう。

これで、義経=タッキー、タッキー=義経のイメージが定着するでしょうが、これを土台にこの若者が大きく成長することを期待します。

この1年、日曜日は「大河・義経」、そして、そこに出てくる史跡を訪ねてブログにアップして楽しんできました。義経が死後の世界でなお新しい国を造ろうとしたように、源平の史跡訪問は続けていきます。

大河「義経」最終回スペッシャルを見逃された方はこちらへどうぞ

11日大河最終回「新しき国」

2005-12-12 02:04:01 | 大河「義経」
藤原氏4代目泰衡にプレッシャーをかける頼朝、そして藤原三兄弟の結束は崩れ内部崩壊していく。泰衡は、義経を討つため軍を派遣し、義経主従は少人数で戦いに挑むが鷲尾熊、喜三太、駿河次郎そして伊勢三郎らが次々と死んでいく。敗戦を知った弁慶は義経を堂に入れ、自分はその前に立ちはだかる。そして義経は自害して31歳の波乱の生涯を閉じたのである。弁慶は、最後まで義経を守るため堂の前で仁王立ちになり無数の矢を受けて立ったまま事切れる。
頼朝は、義経の死を知り肉親の情がこみあげてきて涙を流した。
うつぼは、鞍馬にでかけました。そこには、幼少のころの遮那王・義経が走り抜ける姿を見ました。

義経は組織を拒み、1匹狼として自在に生きたその短いが華やかな人生を閉じた。享年31歳。

1年にわたって放映された「義経」も終わりました。今年は、ドラマの影響で「義経伝説」を追って各地の史跡を訪ねてきました。800年以上も過ぎた今も義経の人気は衰えることもなく現代の人々の心の中に伝わっています。

久しぶりに見ごたえのある大河でした。1年間通じて日曜日は「義経」を見るが生活の一部になっていました。タッキー、マツケン、その他の俳優さんそしてドラマを支えたNHKスタッフ一同に
「お疲れさんでしたそしてありがとう」のメッセージを送ります。

4日大河「北の王者の死」

2005-12-05 01:39:04 | 大河「義経」
頼朝に追われた義経が、目指す奥州藤原秀衡のもとにやっと到着する。そして、義経の目指す「新しき国」造りを奥州で実現すると秀衡に話す。
義経の掲げる国とは、頼朝側のものではなく平清盛が目指した国であった。外国と貿易をして国を富まし豊かな国を造れば争いもなくなる。幼少の義経が清盛と話したときの屏風が登場する。
(源平の争いの中、よくもなくならずにあったものだと感心しました。)
1187年(文治三年)、秀衡は泰衡を藤原氏4代目当主に指名するが、義経の後ろ盾でもあった秀衡が死亡する。そして、鎌倉・頼朝が動き出す。

前々回の「しずやしず」と前回「安宅関」が良かったが今回は秀衡死去くらいで余り盛り上がりの無かった回でした。大河「義経」も次回の49回が最終です。


27日大河「安宅の関」

2005-11-28 00:14:52 | 大河「義経」
   (勧進帳を読む弁慶像は、史跡・安宅の関に隣接している住吉神社にあります)

今日の「義経」を見るために安宅関は、ぜひ見ておきたいと先日訪問しました。そして、ドラマ「安宅の関」を8時と10時の再放送と2回見てしまいました。
松平・弁慶の熱演に答えるかのように関守・富樫もよかった。二人のやり取りは見ごたえがあり、筋書きが分かっているのにハラハラしました。

「・・・それつらつらおもんみれば、大恩教主の秋の月は、涅槃(ねはん)の雲に隠れ、生死(しょうじ)長夜の長き夢、驚かすべき人もなし。・・・・」とむかし、聖武天皇の建立された霊場を再建するいきさつを、もっともらしく作り上げて、天にもひびけとばかり読み上げる弁慶。強力に変装した義経を富樫が見破るが、弁慶は「お前の盗み癖は直らぬか」と主君・義経を金剛杖で打ちつける弁慶の目に涙。それを見た富樫は弁慶の機転と忠誠心に打たれ、義経一行の関所通過を許す。

勧進帳の話は、色んな義経伝説を組み合わせて出来ているようです。安宅の関を通過するため、弁慶が単独で関守の富樫に会った。義経が見破られそうになり弁慶が義経を金剛杖で叩くのは「如意の渡し(富山県高岡市)」での出来事のようです。


20日大河「しずやしず」

2005-11-21 23:46:49 | 大河「義経」
静の存在は、義経の愛人と言うだけでとりわけストーリーに関係のない存在でしたが今回は、静の存在をアピールした最初で最後の出番でした。

佐藤忠信が、静を助けるために空の神輿を襲って討ち死にしました。
静は、頼朝に尋問されるが気丈にも問い返す「義経様は、戦にだけ利用されたのですか。」
義経の子供を生むが男児であったため取り上げられて殺される。気が狂ったように子供を捜す静しかしどこにもいない。
死人のようになった静に政子は「鶴岡八幡宮の祝い事に舞をまってほしい」と静は引き受けないだろうと思うが依頼する。静は、それを引き受けて見事な舞を披露する。
それは義経を思う恋の唄であった。
「吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人のあとぞ恋しき」
「しづやしづ賎(しず)の小田巻くり返し昔を今になす由もがな」
そのとき、義経は静の思いを実現するために平泉に向かう途中、捕らえられようとするが敵を打ちのめす。
静の舞と義経の戦いが紅葉のまい散る画面の中で交互に映されました。

今回は、石原・静の演技のすばらしさにオープニングから終わりまで、引き込まれるように見入りました。そして、「義経」もあと3回です。
次回は、いよいよ安宅の関です。先日訪問した石川県小松市にある安宅の関をアップします。

13日大河「夢の行く末」

2005-11-14 02:30:24 | 大河「義経」
今回は、それほどの山場もなく、見るのもあまり力がはいりませんでした。
ストーリーもうろ覚えでコメント書くのに苦労しています。
頼朝の攻撃が強化され、院もしずかも問い詰められていました。義経は、ころころ変身する後白川法皇をまだ信じているようで、義経、人が良すぎるよと言いたいくらいです。ドラマの最後は、行家が処刑された。
追い詰められていく義経ですが、最終地の平泉行きが決定、「義経」フィナーレに向かってどんな盛り上がりを見せてくれるのでしょう。

16日~17日に安宅の関を中心に北陸の義経史跡を訪ねます。ドラマでは、27日頃に放送予定です。

4日大河「静よさらば」

2005-11-07 02:24:34 | 大河「義経」
別れと義経放浪の始まりがテーマーの大河でした。

・萌と別れ話、しかし鎌倉に帰っても萌の居場所はあるのでしょうか。
・静との別れ、義経は今回も静に説教される。「義経様の新しい国を造る・・・・       
大事の前の小事」とか言ってました。そして、吉野で義経は「無事であればいつかは会える」と静と別れる。

西国へ行って兵を募り頼朝と一戦交える積りが平家のたたりで船難破、都へ帰ると決めるが突然天狗が現れ京には戻れないと告げる。そして吉野へ。

細切れに場面が展開して、チャンバラシーンも2回ほど入って、
残り5回の大河「義経」でございました。

吉野から逃避行を続ける義経の後を追って、北陸・安宅の関へ行ってみたいです。

30日大河「堀川夜討」

2005-10-31 02:35:32 | 大河「義経」
先週に続いて義経をとりまく3人の女登場。
うつぼ・・人が死ぬ戦争はイヤとすね気味
萌・・・・義経と仲むつまじく話す。チャンバラで登場。
静・・・・義経に説教している。薙刀持って現る。

今日のハイライト、土佐坊が義経暗殺決行。郎党、行家の活躍で鎮圧され土佐坊捕らえられる。悪役・土佐坊も「老いた母のために恩賞がほしかった」と母への優しい気持ちを披露する。そして、鎌倉では誰一人、義経暗殺をやろうとする者は居なかったと義経に伝える。
頼朝への決別を示すために義経自ら土佐坊を打ち首にする。

土佐坊の処刑を知った頼朝は、義経を生かしておけないと挙兵する。義経暗殺には誰も手を挙げなかったのに、10万人動員。
義経「頼朝と一戦交える」と覚悟を決める。しかし、加勢するものはいない。義経には名声も人望も全く無かったのか。

そして、ストーリーは悲しい最後へと展開していく大河「義経」でございました。


紅石稲荷神社についてのお問い合わせが多数ありました。
神社の情報元はこちらからどうぞ    所在地はこちらからどうぞ


23日大河「鎌倉の陰謀」

2005-10-24 00:52:37 | 大河「義経」
久しぶりにうつぼちゃんと萌が登場。うつぼも自分一人で生きてゆくときっぱり義経の申し出を断るり、萌もどうしたらいいかと義経に尋ねる。二人の出番はこれで終わりだとちょっと中途半端な感じ。

義経が頼朝とは違った国を造る理想を掲げるが、そこへ行家が登場してそれは「頼朝への謀反だからクーデターを起こすべきだ」と説得する。そこで反旗をひるがえすべきだった。不敗神話の義経が負けるはずが無いのにまだ兄への思いがあったのかちゅうちょする。
鎌倉では、やりての政子が頼朝に義経を打つべしとたきつける。実行するのは私がやるとまで言い切った。財前直見が迫真の演技で政子を演じていました。鎌倉幕府は、彼女が造りそして操っていたのでしょう。

軍事の天才義経が見通しを誤ったのは、対頼朝なら負けないと思ったのが実は対政子だったからでしょう。そして義経への刺客が放たれた。

暗雲漂う京都の秋でございました。