源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

菊王丸の墓

2005-08-20 00:38:47 | 屋島合戦コース
屋島の史跡の紹介もこれが最後です。

平教経の弓に倒された佐藤継信の首を取りに行こうとした教経の小姓・菊王丸は、継信の弟・忠信に射倒された。教経はその死を憐れんでこの地に葬ったと言われています。


「平家か源氏か」どちらに味方するか、
阿波国の田口教能(のりよし)や熊野水軍棟梁の湛増(たんぞう)は大いに悩んだでしょう。

今、「郵政民営化 賛成か反対か」を問われる選挙が始まろうとしています。

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祈り岩

2005-08-12 01:30:56 | 屋島合戦コース
平家が掲げた扇の的を「射よ」と命じられた那須与一は、「南無八幡大菩薩・・・・もし射損じたならば弓を折って自害して・・・」と岩に向かって祈った。そして見事に扇を射落とした。

屋島の合戦のシンボル的場面で、14日大河にでてきます。

与一関連
6月9日(与一墓)、11日、14日、15日にあります。

錣引き伝説(しころ)

2005-08-11 00:45:39 | 屋島合戦コース
錣(しころ)とは、かぶとの後ろや左右にたれて、首筋をおおうもの。

平氏の悪七兵景清(あくしちべいかげきよ)と源氏の美尾屋十郎(みおやじゅうろう)が一騎打ちの勝負をして十郎が逃げ出すのを景清が逃がすまいとくま手で十郎の錣をひっかけた。お互い引き合ったが錣の糸が切れて十郎はやっと逃げることができた。


名前に「悪」と付くのは、昔は強い、豪傑などの意味がありました。