源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

菊王丸の墓

2005-08-20 00:38:47 | 屋島合戦コース
屋島の史跡の紹介もこれが最後です。

平教経の弓に倒された佐藤継信の首を取りに行こうとした教経の小姓・菊王丸は、継信の弟・忠信に射倒された。教経はその死を憐れんでこの地に葬ったと言われています。


「平家か源氏か」どちらに味方するか、
阿波国の田口教能(のりよし)や熊野水軍棟梁の湛増(たんぞう)は大いに悩んだでしょう。

今、「郵政民営化 賛成か反対か」を問われる選挙が始まろうとしています。

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血の池

2005-08-19 01:27:46 | 屋島合戦コース
屋島寺の境内にあります。

武将たちが合戦で血の付いた刀を洗ったことから名付けられました。池の水が血の色で真っ赤になったと伝えられています。
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屋島寺本殿

2005-08-18 00:44:01 | 屋島合戦コース
四国霊場第八十四番札所。

平家供養の鐘として鎌倉時代に鋳造された梵鐘が鳴り響きます。
境内の宝物館では、源平合戦の遺物と宝物、屋島寺に伝わる宝物が展示されています。
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大夫黒

2005-08-17 02:06:21 | 屋島合戦コース
屋島寺の入り口に書かれた大夫黒の絵です。

大夫黒は義経の乗っていた名馬。

継信の供養の礼として志度寺に与えられ、死後継信の墓のそばに埋葬された。

大夫黒の墓は8月5日に掲載しています。
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佐藤継信の忠死

2005-08-16 01:33:57 | 屋島合戦コース
屋島寺の入り口の壁に描かれた佐藤継信忠死の絵です。

14日大河「義経」にあった、義経を守るために自分が矢を受けて忠死したところが描かれています。
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駒立岩

2005-08-14 00:26:21 | 屋島合戦コース
那須与一が的を射るとき、駒(馬)をこの岩の上に止めて波にゆれる扇の的を撃ち落したといわれています。

7月20日に「扇の的」をアップしています。
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景清と十郎

2005-08-13 01:47:04 | 屋島合戦コース
屋島寺の入り口に景清と十郎が戦っているところの絵がありました。
11日にアップした「錣引き伝説」の絵です。
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祈り岩

2005-08-12 01:30:56 | 屋島合戦コース
平家が掲げた扇の的を「射よ」と命じられた那須与一は、「南無八幡大菩薩・・・・もし射損じたならば弓を折って自害して・・・」と岩に向かって祈った。そして見事に扇を射落とした。

屋島の合戦のシンボル的場面で、14日大河にでてきます。

与一関連
6月9日(与一墓)、11日、14日、15日にあります。
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錣引き伝説(しころ)

2005-08-11 00:45:39 | 屋島合戦コース
錣(しころ)とは、かぶとの後ろや左右にたれて、首筋をおおうもの。

平氏の悪七兵景清(あくしちべいかげきよ)と源氏の美尾屋十郎(みおやじゅうろう)が一騎打ちの勝負をして十郎が逃げ出すのを景清が逃がすまいとくま手で十郎の錣をひっかけた。お互い引き合ったが錣の糸が切れて十郎はやっと逃げることができた。


名前に「悪」と付くのは、昔は強い、豪傑などの意味がありました。
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佐藤継信の碑

2005-08-10 02:19:43 | 屋島合戦コース
継信(次信)関係の史跡が沢山あります。

義経の身代わりとして忠死したことは武士道の鏡であるとして初代高松藩主・松平頼重公が屋島寺遍路道沿いに継信の碑を建立した。
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