源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

義経対武蔵(2006年元旦対決の結果)

2006-12-31 00:41:07 | 壇ノ浦合戦
     2006年元旦に掲載した画像です。


下関海峡に面したみもすそ川公園で2006年1月1日16時に相対した義経と武蔵は、お互い譲らず、日も落ちてあたりが暗くなるまで対決が続いた。
そして武蔵がこれで止めを刺すと渾身の力を込めて振り下ろした九太刀目、八艘までしか飛んだ経験の無い義経であったが、そのまま、ひらりと真上に飛び上がり、落ちる勢いで武蔵の眉間めがけてはじめて刀をふりおろした。

武蔵は、船上の不安定な足場を踏みしめ、降りてくる義経めがけて、十太刀目の突きを入れた。

義経がどーっと船上に落ち、武蔵の踏みしめた足の力とで船が右に傾き、二人は船外に放りだされた。

義経「間違いなく武蔵の眉間に太刀を打ち込んだ。俺の勝ちだ」
武蔵「十太刀目は、義経の首に突き刺さったはずだ、わしの勝ちだ」

二人は、そう思いながら水の中に沈んでいきながら自分の勝利を確信し、思考力が無くなっていった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いく時間たったのか、幾日たったかの分からないが、義経は、記憶がよみがえってくる自分に気がついた。もう勝利は間違いない。うっすらと記憶がよみがえる中にどこかで見た女性の顔が浮かんできた。
「義経殿、気がつかれたか、二位の尼じゃ。そうここは、竜宮城で、武蔵殿は、もう目覚めて隣の部屋でお休みですよ。」

武蔵「・・・・・対決は、引き分けか。」

そうです、二人の太刀は、相手の急所に入ったが長い時間の対決で止めを刺すまでの力は残っていなかったのです。海中に沈んだ二人は、二位の尼に助けられ、尼が住んでいる竜宮城で介抱されていたのでした。

武蔵「お主、なかなかやるの」
義経「いや、あそこまで追い詰められたことはなかったですよ
   さすが二刀流の奥義を極められた武蔵殿じゃ」
武蔵「お主の八艘飛びこそ、聞きしに勝る戦法じゃ」

お互いに相手を讃えあい、

二位の尼さまの御馳走に、鯛や比目魚の舞踊
ただ珍しく面白く、月日のたつのも夢の中 で
過ごしましたとさ。






壇ノ浦合戦の史跡地図

2005-11-15 00:30:03 | 壇ノ浦合戦
            赤字は今回訪問した史跡です。

 満珠・千珠島・・・源平が集結した場所。
 豊功神社・・・満珠・千珠島を見るビューポイント
3 平家塚・・・平家落人の墓と伝えられており、古い五輪塔6基のほか墓石があります。
 平家の一杯水・・・合戦で喉の渇いた平家の武将が水を飲んだ場所
 みもすそ川公園・・・公園の前の海峡で壇ノ浦決戦が行われた。そのときの両軍の総大将の像があります。源氏軍・義経  平家軍・平知盛
 赤間神宮・・・安徳天皇が祀られており、竜宮城をイメージして造られています。耳なし芳一像や平家一門の墓・7盛塚があります。
安徳天皇陵と紅石稲荷神社が近くにあります。
7 海響館・・・平家蟹が展示されています。
 大歳神社・・・義経が戦勝祈願をしたところ。
9 厳島神社・・・安芸の厳島神社の分霊を平家の守護神として祀った。
10 御旅所・・・安徳天皇が引き上げられた時、一時安置された場所。
11 きぬかけ岩・・・敗れた平家の武将の妻が岩に衣をかけ身投げしたところ。
12 西楽寺・・・平家ゆかりの寺、本尊・阿弥陀如来像は重盛の守り本尊。
13 清盛塚・・・壇ノ浦合戦時、平家が砦を造っていた場所とされています。

●壇ノ浦合戦壁画・和布刈公園内に長さ44mの合戦を描いた有田焼の壁画があります。
    しずかblog(壁画の紹介をされています)
●門司城址・・平知盛が壇ノ浦の見える古城山に築造した城。
●海御前の碑・水天宮には平教経の奥方(海御前・あまごぜ)の碑があります。
●殿墓・・平家の敗戦を知った平休息が、山中に逃れ一族の墓を集めた所。
●平山観音院・院の起こりは、平家の残党が一族を弔うために建立した。
●貴船社の三坐像・安徳帝と思われる幼帝、二位の尼、知盛の像が安置されている
              (非公開)
●柳の御所(御所神社)・落ち延びた平家は門司区大里に御所を定めた。都を偲んだ平時忠、経正と忠度の歌碑三基があります。
●風呂の井戸・安徳帝一行の疲れを癒すためここの泉の水を風呂の用水にした。
●海峡ドラマシップ・人形アートでたどる歴史絵巻では、壇ノ浦合戦場面、源氏・平氏の群像、安徳天皇と二位の尼、海に沈む建礼門院などを再現しています。

門司にある史跡の紹介はこちらへどうぞ(10月18日~23日)




知盛自害 平家滅亡

2005-11-12 02:08:41 | 壇ノ浦合戦
ブログ壇ノ浦決戦もいよいよ最後です。
平家はこの地で滅亡しました。最後に登場するのは知盛が一番ふさわしいと思います。

新中納言知盛は、「見るべきほどのことはみな見届けた。今は自害しよう」
といって、乳母子の伊賀平内左衛門家長を召して、
「どうだ、約束を変えることはないか」と言われると「いうまでもありません」
とこたえて、中納言に鎧二領をお着せ申し、自分も鎧二領着て、手をとりあって
海へ入ったのであった。・・・・
海上には、平家の赤旗や赤印が投げ出され、放り捨てられたので、竜田川のもみじ葉を嵐が吹き散らしたようである。
(平家物語)

義経と知盛

2005-11-10 00:34:16 | 壇ノ浦合戦

みもすそ川公園の前は関門海峡の一番狭いところで、1185年(寿永4年)3月4日、
源平最後の合戦・壇ノ浦の闘いが繰り広げられた。

二位の尼辞世のの歌
 今ぞ知る 身もすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは

壇ノ浦決戦の源平の総大将の名場面を再現した銅像です。
「義経の八艘飛び」と「碇の綱を体に巻きつけ海中に身を投じる知盛」

画面中央の遠方に見える小さな島が源氏軍が集結した満珠・千珠島

壇ノ浦合戦紙芝居

2005-11-09 01:20:52 | 壇ノ浦合戦
壇ノ浦決戦のあった場所を目の前にしたみもすそ川公園で源平壇ノ浦合戦を題材にして、武者姿に扮した読み手が紙芝居が実演されています。なかなかの名調子で安徳天皇入水の場面では、涙を流す人もいました。
実演時間:午前10:00~午後3:00の毎正時(00分)10分ほど
     時間内ならお客が集まり次第、公演されます。



二位の尼のオブジェ

2005-11-05 00:30:07 | 壇ノ浦合戦
          
          赤間神宮前のバス停横にあります。
          二位の尼が安徳天皇を抱いているように見えます。
          平家物語の有名な一説が書かれています。

           祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり


八咫鏡(やたのかがみ 赤間神宮)

2005-11-04 01:12:03 | 壇ノ浦合戦
義経が探していた三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)、
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)です。
※八咫鏡とは天照大神が天の岩戸にこもったとき、奉ったという鏡。

安徳天皇とともに沈んだとされた八咫鏡が岡山県で発見され赤間神宮に奉鎮された。赤間神宮には、第十代祟神天皇から、壇ノ浦で崩御された第八十代安徳天皇までの八咫鏡が納められているということです。
伊勢神宮に御神体としてあるのが定説で模造のものが宮中にあるとされています。

平家一杯水

2005-11-03 01:40:40 | 壇ノ浦合戦
壇ノ浦の闘いで、傷を受けた平家の武将は痛む体を引きずって水溜りに近づき、その水をすくい喉をうるおしました。武将にとっては命の水とも思えました。あまりの美味しさに2度目を口にしたところ、真水は塩水に変わっていたと言われています。
(バス停「前田」レストランしずか西側)

耳なし芳一

2005-11-02 01:24:58 | 壇ノ浦合戦
赤間神宮に「耳なし芳一」の像があります。
その昔、阿弥陀寺(赤間神社)に芳一という琵琶法師がおり平家物語の語りがうまかった。
ある夜、平家一門の墓前に鎮座し壇ノ浦の秘曲を語っていた。あたりは数知れぬ鬼火が飛び交い、これは平家の怨霊が芳一を誘い出し八つ裂きせんとしていると、そこで寺の住職が芳一の顔手足に般若心経を書いた。ところが芳一の両耳に経文が書かれていなかったため、怨霊がそれに気付き、その両耳をちぎって立ち去りました。以降は怨霊が現れることはなくなりましたが、いつからとなく「耳なし芳一」といわれるようになったのです。