源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

竹生島詣で(平家物語)

2016-07-08 02:53:56 | 滋賀県源平の史跡

先日、歴史同好者と一緒に、琵琶湖に浮かぶ竹生島に行ってきました。平家物語にも記述があります。



竹生島は琵琶湖の北端近くに浮かぶ島で、周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルほどの小島で、島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっている。島には宝厳寺と都久夫須麻神社の他にはみやげ物店が数軒あるだけで、信仰の島です。
現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれていますが、このように区別されるようになったのは、明治時代初期の神仏分離令以降のことであり、竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていました。


平家物語7巻「竹生島詣」 
平家が北陸の木曽義仲を倒すために北国へ下向しました。その途中で、平経正(つねまさ)が竹生島に行ったことが記されています。

 ある朝、平経正が、琵琶湖のほとりに出て、遥か沖に見える島を見渡しました。経正は、供をしていた藤兵衛尉有教を呼び、「あれはなんという島だ」と問いました。有教の答えは「あれこそ、うわさに聞こえる竹生島です」。経正は、「そうか、そんなこともあるのか。それなら、いざ参ろう」と、有教、安衛門尉・守教以下の侍6人を連れ、小舟に乗り、竹生島へ行きました。

 時候は、卯月(4月)の18日、新緑の梢はまだ春の名残をとどめ、深い谷のうぐいすの声はなくなろうとしていますが、初音がういういしいホトトギスが今を盛りに声を響かせ、藤の花が松の木にからみつき、たいへん趣のある様子でした。

 経正は急ぎ船から降りて、岸に上がりました。竹生島の景色に触れ、心をつまらせ、声を失いました。

※1184年(寿永3年)のことです
経正は、平敦盛の兄、平清盛の甥にあたる。 琵琶の名手で、平経正の塚とされる琵琶塚( 兵庫県神戸市兵庫区)があります。















弁財天



厳島神社





琵琶塚(兵庫県神戸市兵庫区)





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5 コメント

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おはようございます! (しずか)
2016-07-26 07:21:48
こちらのブログの更新に気付かず、訪問が遅れてすみません。

竹生島!懐かしいです。
ここは、数年前にめりいさんと訪問しました。
次の船に乗るまでの見学という予定でしたので、慌ただしく見学しました。
またゆっくり見てみたいです。

私のFBにラメールさんの記事を掲載しました。
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Unknown (ラメール)
2016-07-26 11:26:09
このブログも源平ネタがほとんど無いので、
休日状態です。

先日、歴史同好者と湖北東を廻ったときに
行ってきました。
久しぶりに平家物語の一節を詠みました。

FBに掲載は、私も見れますか。
FB一度登録したことがありますが、意味がわからないので、
やめました。
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竹生島! (四方續夫)
2016-07-27 06:04:20
懐かしい所です!数十年前と数年前に2度見学しました!数年前は修理の工事中でした。FACEBOOKでしずかさんが掲載されているのを見て投稿しました!
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Unknown (ラメール)
2016-07-27 12:40:06
shikataさん
訪問とコメントありがとうございました。

FBつながりの訪問ありがとうございます。
今流行りのソーシャルネットワーク、さすがに
広いつながりがあるんですね。

竹生島は、信仰の島で、お寺も神社のあります。
平家の時代から、有名な所だったようです。
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追記 (しずか)
2016-07-27 21:31:33
ラメールさん、私のページをチェックされたら、↑のコメント消しておいてください!よろしくお願いしますm(__)m
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