源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

宝満寺

2005-10-04 00:42:02 | 源平勇士コース
1180年(治承4年)に平清盛が福原遷都の際、福原京の西の入り口にあたる現在地に移転したと言われています。その時に、自筆の「護国殿額」と清盛の懐中仏「金銅帝釈天立像」とともに伽藍を大修理しています。
「福原内裏分石」と往古仏体刻付棒石」の標石が保存されています。

那須与一の扇の的 その2

2005-06-15 04:19:26 | 源平勇士コース
源氏の兵の視線が小船に集まるなか、年のころ18,9の美しい女房が、先端に扇を結びつけた長竿を船端に立て、陸に向かって誘うように招いていた。・・・・・
平家の大将宗盛は、この戦の勝敗を扇で占おうとしていた。扇が射落とされなければ神意は平家の勝利にある。
【(株)学習研究社 源平ものがたり 名場面&史跡集】

この絵は、那須与一の墓の駐車場にあります。

那須与一の扇の的

2005-06-14 03:08:45 | 源平勇士コース
屋島の合戦は、勝敗の決着がつかないまま、一日が暮れようとしていた。ちょうどそのとき、沖の船団の中から小船が一艘、浜から約70mほどに近づき止まった。・・・・・
与一は弓をいっぱいに引いてひゅーと射た。長い海上をうなりが走る。
と、はらりと舞い上がった扇がひらひらと舞いながら海に落ちた。齢21歳

屋島の合戦で、源氏が勝利したことを印象付ける場面です。
【(株)学習研究社 源平ものがたり 名場面&史跡集】

この絵は那須与一の墓の駐車場にあります。

続けて那須神社

2005-06-11 02:03:36 | 源平勇士コース
那須与一の墓の道路をはさんで東側に那須神社があります。

平家追討に向かう前にこの地を訪れていた。合戦後、世話になったお礼にこの地を訪れた与一は、病気になりそのまま当地で亡くなったと言われています。

弓の名手であった与一にあやかろうと弓道やアーチェリー関係者のお参りも多いようです。

神戸市須磨区妙法寺