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根上の松とは、松の根が持ち上がった奇木です。
この史跡の資料は根上町にあると言うくらいの知識しかなく、根上町を走っていると偶然小さな看板を見つけてたどり着きました。観光客などは全くいません。
義経一行は、安宅関を通過し5k先で弁慶が義経に安宅の関での無礼を謝罪(11月26日に掲載)した後、源平古戦場跡の根上の松に立ち寄りました。
「義経記」によれば義経一行は『根上の松から9k先の巖根宮(いわねぐう 能美市辰口町)に籠り、次に倶利伽羅峠で平家の霊を慰める経を読んだ。』と書かれています。
※1183年(寿永二年)、平維盛軍が源軍を破って北上するとき、加賀の井家二郎ら17騎が根上松付近で平家の大軍に包囲され討ち死にしたと伝えられています。
※巖根宮は、探すのに時間がありませんでした。
この史跡の資料は根上町にあると言うくらいの知識しかなく、根上町を走っていると偶然小さな看板を見つけてたどり着きました。観光客などは全くいません。
義経一行は、安宅関を通過し5k先で弁慶が義経に安宅の関での無礼を謝罪(11月26日に掲載)した後、源平古戦場跡の根上の松に立ち寄りました。
「義経記」によれば義経一行は『根上の松から9k先の巖根宮(いわねぐう 能美市辰口町)に籠り、次に倶利伽羅峠で平家の霊を慰める経を読んだ。』と書かれています。
※1183年(寿永二年)、平維盛軍が源軍を破って北上するとき、加賀の井家二郎ら17騎が根上松付近で平家の大軍に包囲され討ち死にしたと伝えられています。
※巖根宮は、探すのに時間がありませんでした。
根が上に持ち上がってこのような姿になるまでの時間の長さに気が遠くなるような思いです。・・・
早朝からの訪問とコメントありがとう。
800年以上も前にあって、今もあると言うのはこの地ではこのような松が代々育っていると言うことですね。
この松がここの町名の「根上町」になりました。
余談ですが、主人の友人がこの地にいて、40年くらい前、ここから自転車で国道8号線をひたすら走って、主人の住む滋賀県の守山まで来られたそうです。
このような北陸の史跡を巡るにはバスでは無理でしょうか?
訪問とコメントありがとう。
merryさん、ここが直ぐに見つかったのはすごいことですね。全く標識なくナビでも町の詳細地図もありませんから私は適当にこの辺かなぁと思って走っていて見つけました。
しずかさん
バスでは無理でしょう。この史跡知っている人はあまりいないと思います。この機会に車に挑戦はどうですか。但し、事故は絶対に起こさないでください。一生がパーになることもあります。