(写真右が実盛です)
安宅の関のある石川県小松市では、主役は武蔵坊弁慶と斉藤実盛です。
3回連続で実盛の記事を掲載します。
実盛は、源氏の義朝に仕えていたが平治の乱後は平家の宗盛に仕えました。騒乱の続く中、幼少の木曽義仲の命を救ったが、時代が変わって義仲軍との一戦では平家が破れ、
1183年(寿永二年)6月1日に戦死しました。義仲はその死を知り実盛の兜をこの神社に奉納しました。
500年後、芭蕉が訪れ「奥の細道」の中で句を読んでいます。
むざんやな 甲の下の きりぎりす
甲について「目庇(まびさし)より吹返しまで、菊のから草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり」と賛美しています。
安宅の関のある石川県小松市では、主役は武蔵坊弁慶と斉藤実盛です。
3回連続で実盛の記事を掲載します。
実盛は、源氏の義朝に仕えていたが平治の乱後は平家の宗盛に仕えました。騒乱の続く中、幼少の木曽義仲の命を救ったが、時代が変わって義仲軍との一戦では平家が破れ、
1183年(寿永二年)6月1日に戦死しました。義仲はその死を知り実盛の兜をこの神社に奉納しました。
500年後、芭蕉が訪れ「奥の細道」の中で句を読んでいます。
むざんやな 甲の下の きりぎりす
甲について「目庇(まびさし)より吹返しまで、菊のから草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり」と賛美しています。
豪華なしつらえの「かぶと」だったんですね!
昔の職人は想像もつかないような手仕事を行って現代にお宝を残しているのですね・・
訪問とコメントありがとう。
兜の写真を見ると豪華なものですね。芸術品と言っていいのではないですか。見たかったです。
義仲が実盛を知っているのは小さいころにまだ若かった実盛の記憶がありますから、討たれた時、頭が白かったのでよけいに悲しみが大きかったでしょう。
髪を黒く染めたのは、せめて義仲に分ってもらいたかったのでしょうね。
訪問とコメントありがあとう。
名を名乗らず老いを隠して戦った実盛の清さに後世の人は賞賛を送るのでしょうね。
当地での実盛の人気は義経、弁慶を越えるものがあります。
ワタシも実盛の話は大好きです。
初秋に小松市,加賀市を巡ったのですが,多太神社には時間の都合上訪れることができませんでした
いずれ訪れたいですね。
関連記事をトラバさせていただきました。
また遊びに来ます
訪問、コメント&TBありがとう。
同じような頃に当地を訪問されたのですね。
斉藤実盛の話は、はじめて知りました。
今後ともよろしくお願いします。
弁慶謝罪の地から根上の松まで、車でどのくらいでしたか?
訪問とコメントありがとう。
義経ブログもネタきれで休館状態です。
謝辞の地から根上の松までは、直線距離で700mくらいです。謝罪の地は道林町にあって、
道林町交差点から南に600mくらい行けば高坂交差点、そこを右に曲がって約300mくらい行けば「根上の松古戦場跡」のような看板があります。そこからは徒歩で直ぐです。
看板見落としたら多分地元の人に聞いても分からないかも知れませんよ。
観光タクシーで尼御前岬~安宅の関~弁慶謝罪の地から廻れる範囲(コース)なのか尋ねてみます。
しばらくこちらにまたお邪魔させていただきます。