仏御前の原町から南に行くとありますが、それらしい標識も無く素通りして白山の方に行ってしまいました。あとで距離を測ると約2,5Kほどの距離でした。
仏御前が1176年(安元二年)の秋、京都から故郷の原村(現在は町)に帰って静に暮らしていた頃、安産を願って本社を創立したと伝えられています。
ここからまだ南(白山の方角)に行くと吉野谷村に木滑神社(きなめり)があります。ここは、仏御前が京から故郷・原村に帰る途中、清盛の子を出産する時に寄りかかった石が残っており、安産のお守りとして信仰されています。ここには時間が無く行けませんでした。
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仏御前が1176年(安元二年)の秋、京都から故郷の原村(現在は町)に帰って静に暮らしていた頃、安産を願って本社を創立したと伝えられています。
ここからまだ南(白山の方角)に行くと吉野谷村に木滑神社(きなめり)があります。ここは、仏御前が京から故郷・原村に帰る途中、清盛の子を出産する時に寄りかかった石が残っており、安産のお守りとして信仰されています。ここには時間が無く行けませんでした。
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