須磨歴史倶楽部主催の「源平講座」に参加しました。
日時:11月12日(土)14:00~
場所:すまいるプラザ大黒
義経の急襲「逆落し」の場所については、諸説ありますが、会場には、義経進軍ルート立体地形図があり、須磨歴史倶楽部は「坂落し」の場所を
『鉄拐山の東南の山複から赤旗谷』で行われたと決めておられます。
●平家物語では、熊谷次郎直実が一の谷へ行く道筋を「落さんずる谷をば弓手に見なし、馬手へあゆませゆく程に、としごろ人もかよわぬ田井の畑(多井畑)といふふる道をへて、一の谷の浪うちぎわへぞ出たりける」と記している。
●「源平盛衰記」では「辰半に鵯越一の谷の上、鉢伏礒の途(蟻の戸)という所に打ち登り。兵共遥に指のぞきて谷を見れば、軍陣には盾を並突、士卒は矢束をくつろげたり。前は海後は山、波も嵐も音合わせ、左は須磨右は明石、月の光も優ならん」と記しています。
このような文献や地図に残る名称、伝承又騎馬での奇襲を得意とした義経の兵法を考え合わせて「須磨一の谷」説をとっておられます。
日時:11月12日(土)14:00~
場所:すまいるプラザ大黒
義経の急襲「逆落し」の場所については、諸説ありますが、会場には、義経進軍ルート立体地形図があり、須磨歴史倶楽部は「坂落し」の場所を
『鉄拐山の東南の山複から赤旗谷』で行われたと決めておられます。
●平家物語では、熊谷次郎直実が一の谷へ行く道筋を「落さんずる谷をば弓手に見なし、馬手へあゆませゆく程に、としごろ人もかよわぬ田井の畑(多井畑)といふふる道をへて、一の谷の浪うちぎわへぞ出たりける」と記している。
●「源平盛衰記」では「辰半に鵯越一の谷の上、鉢伏礒の途(蟻の戸)という所に打ち登り。兵共遥に指のぞきて谷を見れば、軍陣には盾を並突、士卒は矢束をくつろげたり。前は海後は山、波も嵐も音合わせ、左は須磨右は明石、月の光も優ならん」と記しています。
このような文献や地図に残る名称、伝承又騎馬での奇襲を得意とした義経の兵法を考え合わせて「須磨一の谷」説をとっておられます。