源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

一の谷坂落し講演会

2005-11-12 23:47:57 | 一の谷の合戦
須磨歴史倶楽部主催の「源平講座」に参加しました。
日時:11月12日(土)14:00~
場所:すまいるプラザ大黒

義経の急襲「逆落し」の場所については、諸説ありますが、会場には、義経進軍ルート立体地形図があり、須磨歴史倶楽部は「坂落し」の場所を
『鉄拐山の東南の山複から赤旗谷』で行われたと決めておられます。

●平家物語では、熊谷次郎直実が一の谷へ行く道筋を「落さんずる谷をば弓手に見なし、馬手へあゆませゆく程に、としごろ人もかよわぬ田井の畑(多井畑)といふふる道をへて、一の谷の浪うちぎわへぞ出たりける」と記している。
●「源平盛衰記」では「辰半に鵯越一の谷の上、鉢伏礒の途(蟻の戸)という所に打ち登り。兵共遥に指のぞきて谷を見れば、軍陣には盾を並突、士卒は矢束をくつろげたり。前は海後は山、波も嵐も音合わせ、左は須磨右は明石、月の光も優ならん」と記しています。

このような文献や地図に残る名称、伝承又騎馬での奇襲を得意とした義経の兵法を考え合わせて「須磨一の谷」説をとっておられます。

知盛自害 平家滅亡

2005-11-12 02:08:41 | 壇ノ浦合戦
ブログ壇ノ浦決戦もいよいよ最後です。
平家はこの地で滅亡しました。最後に登場するのは知盛が一番ふさわしいと思います。

新中納言知盛は、「見るべきほどのことはみな見届けた。今は自害しよう」
といって、乳母子の伊賀平内左衛門家長を召して、
「どうだ、約束を変えることはないか」と言われると「いうまでもありません」
とこたえて、中納言に鎧二領をお着せ申し、自分も鎧二領着て、手をとりあって
海へ入ったのであった。・・・・
海上には、平家の赤旗や赤印が投げ出され、放り捨てられたので、竜田川のもみじ葉を嵐が吹き散らしたようである。
(平家物語)