源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

義経 北陸道の史跡

2005-11-15 23:43:27 | 安宅の関コース
義経は、一の谷そして屋島と平家を追い詰め、壇ノ浦で滅亡させたが、頼朝は義経の軍事の才能と人気に危険を感じ「義経追討令」出した。追われる身となった義経は、京都→吉野→北陸→奥州へと落ち延びて行きました。

16日~17日にかけて、「義経伝説 南加賀の旅」を参考にして北陸にある義経関係の史跡を訪ねます。

上記の本は南加賀観光物産推進協議会に申し込めば送ってくださいます。

壇ノ浦合戦の史跡地図

2005-11-15 00:30:03 | 壇ノ浦合戦
            赤字は今回訪問した史跡です。

 満珠・千珠島・・・源平が集結した場所。
 豊功神社・・・満珠・千珠島を見るビューポイント
3 平家塚・・・平家落人の墓と伝えられており、古い五輪塔6基のほか墓石があります。
 平家の一杯水・・・合戦で喉の渇いた平家の武将が水を飲んだ場所
 みもすそ川公園・・・公園の前の海峡で壇ノ浦決戦が行われた。そのときの両軍の総大将の像があります。源氏軍・義経  平家軍・平知盛
 赤間神宮・・・安徳天皇が祀られており、竜宮城をイメージして造られています。耳なし芳一像や平家一門の墓・7盛塚があります。
安徳天皇陵と紅石稲荷神社が近くにあります。
7 海響館・・・平家蟹が展示されています。
 大歳神社・・・義経が戦勝祈願をしたところ。
9 厳島神社・・・安芸の厳島神社の分霊を平家の守護神として祀った。
10 御旅所・・・安徳天皇が引き上げられた時、一時安置された場所。
11 きぬかけ岩・・・敗れた平家の武将の妻が岩に衣をかけ身投げしたところ。
12 西楽寺・・・平家ゆかりの寺、本尊・阿弥陀如来像は重盛の守り本尊。
13 清盛塚・・・壇ノ浦合戦時、平家が砦を造っていた場所とされています。

●壇ノ浦合戦壁画・和布刈公園内に長さ44mの合戦を描いた有田焼の壁画があります。
    しずかblog(壁画の紹介をされています)
●門司城址・・平知盛が壇ノ浦の見える古城山に築造した城。
●海御前の碑・水天宮には平教経の奥方(海御前・あまごぜ)の碑があります。
●殿墓・・平家の敗戦を知った平休息が、山中に逃れ一族の墓を集めた所。
●平山観音院・院の起こりは、平家の残党が一族を弔うために建立した。
●貴船社の三坐像・安徳帝と思われる幼帝、二位の尼、知盛の像が安置されている
              (非公開)
●柳の御所(御所神社)・落ち延びた平家は門司区大里に御所を定めた。都を偲んだ平時忠、経正と忠度の歌碑三基があります。
●風呂の井戸・安徳帝一行の疲れを癒すためここの泉の水を風呂の用水にした。
●海峡ドラマシップ・人形アートでたどる歴史絵巻では、壇ノ浦合戦場面、源氏・平氏の群像、安徳天皇と二位の尼、海に沈む建礼門院などを再現しています。

門司にある史跡の紹介はこちらへどうぞ(10月18日~23日)