源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

泰産神社(たいさん) (仏御前)

2005-11-23 00:43:31 | 安宅の関コース
仏御前の原町から南に行くとありますが、それらしい標識も無く素通りして白山の方に行ってしまいました。あとで距離を測ると約2,5Kほどの距離でした。

仏御前が1176年(安元二年)の秋、京都から故郷の原村(現在は町)に帰って静に暮らしていた頃、安産を願って本社を創立したと伝えられています。

ここからまだ南(白山の方角)に行くと吉野谷村に木滑神社(きなめり)があります。ここは、仏御前が京から故郷・原村に帰る途中、清盛の子を出産する時に寄りかかった石が残っており、安産のお守りとして信仰されています。ここには時間が無く行けませんでした。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
京都から (sizuka)
2005-11-23 08:08:45
今から善峰寺へ行って来ます。
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Unknown (ラメール)
2005-11-23 08:59:15
sizukaさん

京都からのコメントありがとう。



今日は、で紅葉も素敵でしょう。十分に旅を楽しんでください。 
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Unknown (やっちゃん)
2005-11-23 10:46:51
「謝罪の地」すらどこにあるか判らずギブアップしてしまった私にはとても探し出す事は出来なかったでしょうね?



やはり「義経」にかける情熱の違いかも??
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Unknown (ラメール)
2005-11-23 11:50:02
やっちゃん

訪問とコメントありがとう。



情熱より源平史跡のマニアみたいなもんです。この神社も村はずれにある観光客は誰も訪れないところでした。

弁慶謝罪の地は後日紹介します。
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仏御前 (merry)
2005-11-23 22:05:30
仏御前が生んだ清盛の子は、その後どんな運命をたどったのでしょうね?・・



私は今日、吉野に行って来ました。

疲れました・・
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Unknown (ラメール)
2005-11-23 23:11:07
merryさん

訪問とコメントありがとう。



吉野行きお疲れさんでした。義経も同じようなところで身を隠していたのでしょうか。

仏御前の子供は、生後2週間で亡くなったと

伝えられています。
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