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源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

16日大河「兄弟絶縁」

2005-10-17 00:02:45 | 大河「義経」
義経を鎌倉に入れずに京都に帰らせた頼朝だが不安でしかたがない。それは、義経がまだ生きている平家の棟梁・宗盛と組んで刃向かってこないか心配だった。そして気が小さい頼朝は、宗盛、重衡を斬首する。
義経は、そんな兄と一緒に新しい国造りは出来ないと「兄とは別の道を歩む」と兄との決別を決意する。

兄弟の性格が出た大河でした。
非情で気の小さい頼朝が武家を中心とした国造り歩みはじめ、優しさと人への情を持ちすぎた義経が頼朝から追われる身になってしまった。

9日大河「血の涙」

2005-10-10 00:40:52 | 大河「義経」
兄弟愛をテーマーにした「宮尾本 平家物語」が原作ですので、兄弟の別れを画いた「血の涙」は、重要な部分なのでしょうが、ドラマとしては盛り上がりも無く退屈な内容でした。

頼朝が義経に期待したのは「血縁の情ではなく御家人としての義経」の姿勢でした。しかし、腰越状には書かれていなかった。関東武士団の棟梁としての頼朝は、そんな義経を切らざるをえなかった。頼朝の涙。

義経は、数々の武功をたてながら恩賞も無く、会ってもくれない頼朝に対してこれまた別れることを決断せねばならなかった。義経号泣。

お互い相手を思いながら別れなければならない非情さを描いた「義経」でした。

2日大河「涙の腰越状」

2005-10-03 00:53:25 | 大河「義経」
マツケン弁慶と回想シーンで構成された大河でした。
大姫の話は付け足しでストーリーとしてはあまり重要では無かった。
今後もこの話は発展しないでしょう。

弁慶「頼朝をあまく見ている。情を捨てて現実を見なさい」
義経「情を捨てよと言う郎党はいらぬ」
このようなやり取りで弁慶が去るが直ぐに縁りを戻す。
あとは、腰越状を義経が口伝して弁慶が書いていく、その間、苦労義経の身の上話を回想シーンで再現する。

端正な顔のタッキー義経だから「まっすぐに生きる」をドラマ上の義経にしているのでしょうが、本当の義経は、平家を滅ぼした最高殊勲選手ですから当然、地位も名誉も欲しかったでしょう。だから、それを要求するために鎌倉まで来たのではないでしょうか。しかし、平家が滅亡した今、頼朝には義経が邪魔になってきた。だから会うことを拒んで義経を孤立させていく作戦に出たとおもいます。
それにしても、義経に郎党以外、慕ってついてくる武将がいなかったのは、戦の才能はあるが人徳が無かったと言うことでしょう。

それでも、頼朝より義経で「判官贔屓」になります。


25日大河「遠き鎌倉」

2005-09-26 00:09:05 | 大河「義経」
破竹の勢いで平家を倒し若武者義経を演じてきたタッキーの額にしわができ憂鬱な顔ばかりの大河でした。落日義経の始まりです。

景時「何故、建礼門院に会った」
景季「義経殿、もう会うことはないでしょう」
起請文、頼朝に送るがナシのつぶて。
お徳、景時の報告書で頼朝が不審をいだいている。
行家、頼朝を打倒することを義経に進言する。
後白河法皇、頼朝と義経の不和をあおるため義経を鎌倉に送り出す。
大姫、義経叔父に会いたい
時政、鎌倉に宗盛父子だけを連れて行く。

これだけ色々と起こってくれば、さすがの義経も頼朝への不信感が出てきて、憂鬱顔で終わりました。
もう、タッキー義経の顔に笑顔が戻る日はないのでしょうか。

18日大河「平家最後の秘密」

2005-09-19 00:34:07 | 大河「義経」
三種の神器のうちの二神器を後白河法皇に返還したことで頼朝が怒りを表すが、義経はなぜ怒っているのかわからない。義経「戦が終わると私に用はないのか」

髪を下ろして仏門に入った建礼門院徳子に、義経は会いに行く。 義経は親王が安徳天皇であることを見抜いているが、徳子の「親王には、亡き人の菩提を弔ってもらう生涯を送っていただきます」の言葉でそれ以上の追求をしない。それにたいして徳子は「お気遣いありがとう」の言葉。

二人が相対する場面は緊迫感があってよかった。お互いに核心にはふれないが、タッキーと中越典子の演技で十分に伝わってきた。

11日大河「源平無常」

2005-09-12 01:24:14 | 大河「義経」
今回は、義経幼少のころから壇ノ浦で平家を滅亡させるまでの、一番華やかに活躍した前回までを視聴者にもう一度、思い出してもらい、これから始まる義経が死亡するまでの悲しいストーリーに変わる節目の回でした。
「義経」のNHK公式HPも2週続いた壇ノ浦の決戦場面もなくなり、通常のシーンに変わりました。大河ドラマストーリー「義経」には、今回の紹介は8行だけでした。

お徳が義経に「大きな改革をした」(このような意味の言葉だったと思う)と言い、義経は奢れる平家をつぶし新しい武家の世の扉を開いた。
義経ははじめて、妹・能子に会った。能子は抱いていた幼子を守貞親王だと告げるが、義経には安徳天皇であったと分かったようだが、能子の言葉に黙ってうなずいた。

義経も純一郎も人気は絶大、義経は平家を滅亡させるまでは鮮やかな手腕を見せた、純一郎も総選挙で刺客を送る予想もしない手法を用いて圧倒的勝利を収めた。

小泉純一郎、「郵政民営化賛成か反対か」と言って、実力者によるなれあい自民党をつぶしたが、これから真の改革をスピードアップして実行してくれるのか。




4日大河「決戦・壇ノ浦」

2005-09-05 00:15:28 | 大河「義経」
それなりに楽しめました。

船戦、八艘飛び、安徳帝のすり替え、知盛の死、平家女性陣の入水、戦いの終わった後の戦場など見せ場も多く、間延びせずにスピーディに物語が展開していました。

「平家にあらずんば人にあらず」と豪語した平家もあっけなく破れ、「おごれる者久しからず」と散っていき、義経絶頂のときでした。その義経もここからは滅亡に向かって進んでいきます。

大河を見た後に「義経」公式HPをいつも見るのですが、NHKは相当この「決戦・壇ノ浦」が気に入ってたのか、まだ八艘飛びのシーンが上映されていました。そして金粉舞う華麗な八艘飛びのシーンがNHKの屋上で撮られていたとは。
平家の女人が入水する場面は、チョット寂しい作り、有名女優が画面に上半身顔を出し、下にさがって画面から消える。ここは平家が滅亡する最後の場面、松坂時子が微笑んで海に飛び込んでいくところを演じてくれたら、もっと胸に迫る思いがしたでしょう。

来週は「源平無常」、アピールするところがあまりないようで予告もサラッと流しました。

28日大河「妹への密書」

2005-08-29 01:12:20 | 大河「義経」
注目の義経をとりまく3人の女の場面は、前半に登場して直ぐに次の場面に変わってしまいました。義経の正妻・萌、愛人(妾)・静そしてうつぼとこれだけ集まればもめごとがあってもおかしくないのに、そこはテレビ、仲良く「義経様の留守を守る」と一致団結。昔でもこんなことってあるの。義経君は幸せ者、当代一のプレイボーイ。しかし、これほど寛大な女性が3人も居るなんて考えられない。又この場面あまりNHK的ではないです。

うつぼの存在がよく分からない。設定では、義経とは幼馴染で、義経に思いを寄せるが、静が現れ義経をとられてしまい、ある男性と結婚するが男は死んでしまう。義経が頼朝に追われて平泉に行くと後を追い義経の最後を見取る。
義経の追っかけをしている中途半端な役どころでいなくてもいいようなもんですが、当代随一の若手人気女優「上戸彩」を随所に登場させるための苦肉の策なんでしょう。

次回9月4日放送「決戦・壇ノ浦」はNHKも力が入っているようです。


26日(金)夜からネットへの接続がうまくいかなかった。あまりにも時間がかかるので27日0時ころからインターネットやめていました。29日1時ころにやっと正常になりました。原因は不明ですがMSNデスクトップサーチをインストールしたせいかなと思って削除したら直りました。しかし、デスクトップサーチが原因かどうかはわかりません。
とゆうわけでコメントの返事が遅くなってすみませんでした。

28日「義経」予告

2005-08-26 01:25:05 | 大河「義経」
28日は「妹への密書」、ドラマの内容よりも若手4女優の競演が見所です。

うつぼ(上戸彩)と静(石原さとみ)が会っている所へ義経の妻・萌(尾野真知子)が姿を見せる。本来ならここで義経をめぐって3人の女が壮絶なバトルが繰り広げられるところですが、
「義経様の留守をともに守りたい」と仲良し3人組となる。

義経の妹・能子(後藤真希)も出番が多くありそうです。


21日大河 「弁慶走る」

2005-08-22 01:07:38 | 大河「義経」
今回は、マツケン弁慶の一人舞台で、熱演が印象に残ったくらいです。

弁慶は強い、一人で二十人くらいをまとめてやっつけてします。
なぜ、闘鶏で熊野水軍棟梁の湛増(たんぞう)自慢の・雷(いかずち)に挑戦するの???、あっさりやられる。
突然、中島千鳥が現れて弁慶と。(女優陣の主な出演は彼女だけ)
熊野水軍を味方につけた弁慶が湛増から受け取った証文を持って海辺に立ち、義経と再会する。

ちょっと白け気味の「義経」でしたが、物語ですのでこんなのもありでしょう。


屋島での弁慶に関する史跡
長刀泉」  源氏の兵が炊事をするとき、水が無かったが弁慶が長刀で井戸を掘り水が湧いたとされる古井戸。
菜切地蔵」 弁慶がまな板がわりにしたというお地蔵さん、今も包丁の傷が残っているといわれています。

(ことでん やくり駅より徒歩10分くらい。)

実際に訪ねたわけでもありませんので写真はありません。