38歳からの出産、育児

38歳、高齢出産しました。

母乳を諦めるまで

2011-01-01 19:25:01 | 育児
妊娠中はできれば母乳で育てたいと思っていました。調乳の手間がなく、お出かけ時の荷物も少なく、ミルク代も不要で経済的で、私の体にたまった脂肪も消費できるのならば、母乳がよいなと思っていました。

●37週 母親教室
病院主催の母親教室に行きました。母乳は頻繁に吸わせている内に段々出るようになってくるもので、退院時(その病院は分娩から4日目退院でした)は乳汁の分泌は不十分な人が多く、一ヶ月健診の頃漸く出るようになってくる感じですよ、と聞きました。教室で新生児の授乳の記録例を見せてもらったのですが、お母さんは入院中は1時間おきくらいに母乳を与えていました。これは大変だが頑張ろうと、その時はやる気まんまんでした。

●助産師外来
助産師外来で、助産師さんに乳頭のマッサージしてもらいました。爪の先をつまんだ時に、白くなる位の力加減で赤ちゃんはおっぱいを吸うそうです、拷問のような痛さに涙が滲みましたが、赤ちゃんはもっと強く吸うそうです。自分でも帰ってからやってみたものの、やはり手加減してしまい効果的なマッサージができなかったようで、息子が生まれた時には乳管はあまり開いていませんでした。

●分娩した夜
助産師さんが、4時間おきに息子を連れてきて、乳房に吸い付かせてくれました。思ったより強い力でした。

●生後1日~4日
翌日の昼から母児同室となりました。30分から1時間おきに、泣いたらとりあえず吸わせ、3時間おきにミルクを足しました。母乳が出なくて泣いていたのだと思います。吸うのに疲れて眠っているようでした。ミルクで赤ちゃん釣りができる位の勢いでミルクに食らいついてきました。

●退院後
退院する頃には乳頭は切れて痛く、吸われると飛び上がるくらい痛かったのですが、退院後2週間くらいすると慣れてきて、もう吸われても痛くありませんでした。3週間位すると、息子の泣き声を聞くと乳房にじーんという感じがして乳汁がにじむようになってきました。分娩した病院には母乳外来もあったのですが、家の中を杖をついて移動するほどの辛さに、息子と二人で外出する気力もありませんでした。

●2ヶ月
片方を吸われると、もう片方からはポトポト乳汁が垂れる位になりました。しかし、息子は本当にお腹が空いている時はおっぱいには見向きもせず(顔をそむけて顔を真っ赤にして怒りました)、口がさびしい時に飲んでくれました。母乳が足りなくてミルクを足すのですが、その間に、それほど泣かなくても。。。という位息子が泣くのが辛かったです。

●母乳が出なくなる
2ヶ月を過ぎた頃、余儀ない用事で36時間息子から離れることになりました。胸がカチカチに張り、あー、勿体ないなーと思っていました。帰ってきてから息子に飲んでもらいました。しかし翌日になると、胸の張りはなくなったのですが、同時に乳汁がでる前のじーんという感覚がもうなくなっています。泣く息子に含ませても、すぐに怒って顔をはなしてしまいます。出ない→吸ってもくれない→ますます出なくなるのネガティブフィードバック回路にはまり込んでしまいました。あんなに頑張ってきたのに、ここで吸ってくれないと今までの努力が水の泡になると焦って、息子に無理矢理飲ませようとしても、息子も頑として飲みません。ほぼミルクのみになりました。

●4ヶ月
少し滲む程度です。口が寂しい時に吸い付いてきました。寝付かせる時に使いました。

●6ヶ月
もう出なくなりました。たまに含ませてみても、すぐに離します。

●振り返って
出なくなった最大の原因は2ヶ月の時に1日半息子から離れたことでした。その頃は授乳が私の生活の80%位を占めていたので、母乳が出なくなった時は母親としての存在意義が無くなってしまうような気がして、ショックで暫くは諦めがつきませんでした。母親以外でもやれる点(夫は喜んでいました)、夜はよく眠ってくれるのがミルクの良い点でした。大きくなってくるとミルクや授乳以外での赤ちゃんとの関わりが多くなってくるので、今思うと何でそんなに母乳に拘っていたのか不思議です。