38歳からの出産、育児

38歳、高齢出産しました。

パートでも産休、育児休業中にもらえるお金

2010-12-25 18:25:17 | 出産
私の職場では正規雇用の職員は産休、育児休業を取ることができ、その間お給料が出ます。パートの場合は産休、育児休業の制度はなく無給ですが、長期欠勤という形で籍を残しておいてもらうことができました。その間、要件を満たしたので健康保険や雇用保険から給付を受けることができました。
事務の人は忙しいので、事務側からの制度の説明はありませんでしたが、必要書類を揃えて持っていくと後の処理をしてくれたので助かりました。

●出産手当金、出産一時金→加入している健康保険のホームページで申込書をダウンロードし、必要事項を記入して事務に提出したら手続きをしてくれました。出産して病院で記入してもらう箇所があるので、入院前に申込書を入手して、入院中に記入してもらうと便利です。
●育児休業給付金→ハローワークで書類をもらい、必要事項を記入して事務に提出(これだけはハローワークに行かないと申込書が入手できませんでした)
●育児休業中の社会保険料免除→社会保険庁のホームページで申請書をダウンロードし、必要事項を記入して事務に提出

産後は何かとお金が必要となるので、給付金は有難いです。いずれも申請期限があるので調べて早めに申請するとよいと思います。


産後の体調など

2010-12-04 11:20:37 | 出産
●排尿
 お産の後、尿意があるのですが尿の出し方がわからずその日の夜は導尿してもらいました。思ったより多量に尿がたまっていて驚きました。翌日の朝からは自分で排尿できるようになりました。力を入れると糸が切れて傷がプチッと裂けそうで怖く、おそるおそる排尿しました。違和感(うまく出せない、出し切れず残尿があるような感じ)は退院後も暫く続きましたが、1ヶ月健診の頃には戻りました。

●排便
 お産の翌々日にありました。これも力を入れると傷が裂けそうで、いきむのが怖かったです。今(産後5ヶ月)は特に問題ありません。

●会陰切開の痛み
 産後一番辛かったのはこれです。円座なしでは座れませんでした。産後2週間頃から段々楽になり、1ヶ月健診の頃には円座がなくても何とか座れるようになりました。今は時々ピリッと痛むことがある位で、生活には差し支えありません。

●骨盤底の緩み、痛み
 骨盤底が緩んで落ちてくるような感じ、鈍い痛みは暫く続きました。今も長時間立ったり、歩いたり、息子をずっと立って抱っこすると鈍く痛みますが、お産直後よりは大分良くなりました。

●手首の痛み
退院して息子を抱っこするようになって、利き手の手首が痛みました。今もひねると痛いです。

●肩の痛み
抱っこのし過ぎで肩も痛く、今は両肩が上がりません。四十肩かもしれません...

 産後は体が辛く、家に帰ってから2週間ほどは家の中を杖をついて移動していました。トイレ、洗面、宅急便の応対、おむつや着替えを取りに移動するのも辛く、10cm動くのも嫌でした。産後の体調は人それぞれだと思いますが、もし退院したら日中は赤ちゃんとお母さんと二人だけ、という状況でしたら、手の届くところに必要なものが揃っていて、トイレや洗面所や台所のすぐそばにお母さんと赤ちゃんの寝床があるような配置にしておくと便利だと思います。

 

出産を振り返って

2010-12-04 00:37:42 | 出産
 結局、息子の頭が引っかかったり(頭は大きかったです)、私のいきみが足りなかったりしているうちに、息子の状態も悪くなり私も疲れてきたので、吸引器で出したということだったのでしょうか。暫くは「息子は本当に大丈夫なのだろうか?」とか「最初から帝王切開を希望していればよかったのだろうか?」とブルーな気分でしたが、今のところ息子も元気です。

 お産を振り返って思うのは次のようなことです。

●初産婦でもお産の進みが早いこともあるので、病院へはタクシーや車で行くのが無難
 12時頃陣痛室に入った際は痛みも殆どありませんでしたが、1時間の内にどんどん陣痛が強くなり2時間ほどで破水し、16時半過ぎに生まれました。救急車を呼ぶ人がいるのも納得できる位陣痛は痛く、電車に乗っている最中に陣痛が強くなっていたら、独力では病院に行けなかったと思います。タクシーで行ってよかったと思いました。

●いきまないと生まれない
 いきむとは、脱肛する位の勢いでウンチをひねり出すように赤ちゃんを押し出すことでした。子宮口が全開大するまでは陣痛に身を任せていればお産が進んでいくのですが、その後は能動的にいきまないと赤ちゃんは降りていかないのですね...。その辺がはずかしながら私はわかっておらず、大事な所で力尽きていました。次回はもっと上手にいきむことができると思います(次があるかはわかりませんが)。

●産科の先生ありがとうございました
 素人なのでよくわかりませんが、全開大からの時間や、胎児の頭の高さや向きや、胎児の心拍の状態や、いきんでもあまり進まないことなど、総合的に状況を判断して、そのまま待つのではなく、吸引分娩を選択されたのだと思います。プロとしての判断に敬服します。お産は危険と隣り合わせだと今回つくづく感じました。息子は無事に生まれましたが、それは先生の的確な判断、迅速な処置があったからです。お産は平日も休日も夜も昼もなく、産科医の仕事は激務で、産科医の処遇がもっと良くなるとよいと思います。本当にありがとうございました。

●助産師さんありがとうございました
一番身近にいてケアしてくれるのはやはり助産師さんでした。感謝しています。

●立会い分娩は心強い
夫はそばにいるだけで何もできませんが、それでもそばにいてくれて本当に心強かったです。

●平日の昼間でラッキー
お産は何があるかわかりませんし、結果的には医療介入の必要なお産だったので、平日の昼間の人手の多い時間に総合病院で生まれて良かったです。もし次にお産をするとしたら、やはりこのような時間帯に当たりたいと思いますし、平日に生まれるために誘発してもらっても構わないと思う位です。

出産まで (3)

2010-12-03 17:54:15 | 出産
 分娩台はクッションが効いており両側にハンドルもついていて、ここで仰向けになりつつハンドルを握って陣痛に耐えるのが一番楽でした。いきんで下さいね、と助産師さんに言われたのですが、私はいきむということがわかっておらず、陣痛の度にウンウン言っていただけでした。助産師さんが診察にやって来て「陣痛室の方がいきみやすいですか?戻りましょうか?」と言ってくれたのですが「ここが一番楽です」と言って分娩台の上にいました(胎児の頭が全然降りてこないのを、いきみが足りないからだと助産師さんが考えてそう言ってくれたのだと思います)。
 暫くしてベテラン風の先生がやってきて、助産師さんに「全開大は何時?」と聞きながら時計を見上げました。16時半になっていました。内診して「回旋異常はないみたいだね。恥骨に引っかかって降りてこないんだろう。恥骨をうまく外すようにして誘導してやれば出てくるよ」と助産師さんに言い、息子の頭のあたりを触りながら、「こっちにむかっていきんで下さい」と私に言いました。この時はじめていきむということがわかりました。ウンチを出す時のように力を入れるべきだったのですね...。何度かいきみました。先生たちの会話が聞こえてきました。
「すぐそこに見えるけど、それは産瘤だね。まだ頭は高いね」
「あまり進まないね」
「大横径はどれ位だった?」
「過強陣痛です」
「lateが出ています」
「またlateが出ています。今度は長いです」
「小児科の先生も呼んで。吸引器準備できてる?」
「ガウン着るから」
この頃はもういきむのも辛くなってきて、早く終わってくれることを願うばかりでした。胎児の状態もあまり良くなさげな雰囲気で、私の気分も沈んでいきました。
「吸引するので、切開しますね」
と言われ、会陰部に麻酔の針が刺さる感覚とパツン、とハサミが入る感覚がしましたが痛みは感じませんでした。会陰部をめくるようにして息子の頭にカップをパチパチ嵌めている感覚がしました。次の陣痛が来たときに「はい、いきんで、その調子」と言われながらいきむと、カップに引っ張られながらスーッとコルク栓を抜くように息子の頭が出てきて、急に楽になりました。引っ張られるというよりは、いきむのを助けてもらうような感じでした。
「肩甲骨が引っかかっている。McRoberts!」
と言われ、一斉に他の先生や助産師さんが私の太ももをお腹につけるように曲げました。「もう一回いきんで」といわれ陣痛に合わせて最後の力を振り絞っていきむと、息子の肩が出てきたのが見え、今度はスッキリ楽になりました。続いてニュルニュルと胴体、足が出てきました。臍の緒を切った後、息子は布にくるまれて私の背後の方に連れて行かれ、暫くして息子の泣き声が聞こえました。
 助産師さんがずるずると胎盤を引き出してくれました。何かが出ていく感覚はわかるのですが痛みはありませんでした。その後、傷を先生が縫ってくれました。奥の方は麻酔が効かないから少し痛いですよ、と言われました。確かに針を刺している感覚がありましたが、先ほどの痛みに比べると何でもありませんでした。外陰部を縫われているときは麻酔のおかげで殆ど痛みがありませんでした。傷が深いと先生が会話しているのが聞こえました。
 「あそこだったから引けたけど、もう少し頭が高かったらダブルセットアップだったね」
「昔だったら母児ともに多分助からなかったケースだね」
と吸引してくれたベテラン風の先生が他の若い先生に話しているのが聞こえました。
 最後にベテラン風の先生が
「お母さんも赤ちゃんも最後ちょっと疲れていたので吸引器で助けましたが、赤ちゃんは元気ですよ」と説明してくれました。

出産まで (2)

2010-12-03 15:59:44 | 出産
 41週1日の朝、お腹が周期的に張るような気がしました。痛みはありませんでした。念のため掃除をしながら9時半から10時半まではかってみると10分間隔でした。入院に備えてキャリーケースに荷物を詰め終ったら11時でした。やはり10分周期でお腹が張るので病院に電話をすると、とりあえず入院準備をして来るようにとのことでした。一人で荷物をガラガラ引いて近くの幹線道路まで歩いていきました。流しのタクシーがつかまらなかったので電車で行こうかと一瞬思いましたが、駅まで歩くのが面倒だったので電話でタクシーを呼びました。この時はまだまだ余裕があり、タクシーの中で運転手さんに「そろそろですか?」と聞かれ「そうかもしれませんねー」とのんびり答えたりしていました。
 病院に着いたのは11時40分でした。診察では「子宮口もまだ後ろだし先週とあまり変わっていないようですが、もう予定日を過ぎているし陣痛室で様子を見ましょう」と言われました。病棟の助産師さんが車椅子を持って外来まで迎えに来てくれたのですが、調子が良かったので歩いて病棟に行きました。
 陣痛室で着替えて胎児心拍陣痛モニターを装着してもらいました。この時は8分ごとにお腹が張っていたのですがあまり痛みはなく、お腹が張るとモニターに山ができるのを面白いなあと思って眺めていました。誰にもまだ連絡していなかったので、夫に陣痛室に入ったことをメールしました。お昼を食べていなかったので売店におにぎりを買いに行こうか迷っているうちに、13時頃から陣痛の間隔が短く強くなりました。「来院する時食べ物を買ってきて」と夫にメールしました。陣痛の最中はとてもメールを打てず、陣痛の合間に急いでメールしました。
 13時半頃バシャ、ザーッという感じがして破水しました。助産師さんが「破水かどうか確認しますね」と当てていたナプキンを持っていきました。暫くして「やはり破水でしたね」と行って戻ってきました。お産セットからT字帯を出してきて付け替えてくれました。痛みがどんどん強くなってきて、上を向いても横を向いても四つんばいになっても辛かったです。陣痛の合間は一息つけるのですが、お腹の圧を示すモニターの山がだんだん上がってくるに従ってお腹がギューッと絞られるように痛むのでした。私には付き添いが誰もいないからということで、実習中の看護学生さんがついてくれたのですが、陣痛が来るたびに学生さんの細い腕をギューッと握らせてもらって何とか耐えていました(学生さんに感謝しています!)。湯たんぽをもらってお腹に当てるとちょっと楽になりました。時々助産師さんが診察に来ましたが、内診自体よりも診察のために仰向きに姿勢を変えるのが辛かったです。14時頃夫が仕事を切り上げ食べ物を持ってきてくれたのですが、もう食べる余裕はありませんでした。肩をさすってくれたのですが、肩をさすられるのも辛くて「何もしなくていいよ」などと勝手なことを言っていました。
 14時半頃、段々痛みが下におりてきて、腰が痛く、大きなウンチが詰まっているような感じになってきました。その旨を学生さんに伝えると助産師さんに知らせに行ってくれ、診察がありました。子宮口が全開大しているとのことでした。一旦胎児の心拍が落ちたとのことで、分娩室に車椅子で移動になりました。向かいの部屋に行くだけなのに、辛かったです。

出産まで (1)

2010-12-01 23:39:46 | 出産
 40週2日の夕方から、月経最終日のような少量の出血が出産直前まで断続的にありました。おしるしだったのだと思います。
 40週3日の診察では、子宮口が4cm開いているし、軟らかくなっているので次週の予約日までに生まれると思いますよ、と言われました。心配になって「私は鈍い方なのですが、陣痛が来たらわかるでしょうか?気づかない内にお産が進んでしまったりしないでしょうか?」と先生に聞いたら「絶対わかります!骨盤が割れそうに痛みます!!」と断言されました(本当にその通りでした...)。
 41週に入ってからは下腹部が重たく、お腹がすぐに張って、買い物(それまで片道30分かけて歩いて行っていました)や炊事が辛くなりました。とにかくだるく、何もする気がおきませんでした。日曜日に夫に誘われて近所の神社に散歩に行きました。夫がお賽銭箱に1000円札を入れているのを見てびっくりしたら、「今日は気合を入れてお祈りするから」と夫が言いました。そんなに気遣ってくれているとは知らず、嬉しかったです。

高齢出産でよかったこと

2010-09-09 07:36:50 | 出産
高齢出産でよかったことは特にありません… 。
若い時に産むことができればそれに越したことはないのですが、縁がなかったり、結婚してもすぐに妊娠する訳でもなかったり…。避妊する・しない、人工流産する・しないは自分の意思で選べますが、それ以外はコントロールできません。自分の望んだ時期に授かることが出来た人は本当に幸運だと思います。
授かった時期は遅かったのですが、産むと決めたので、大変なことは覚悟の上で頑張ることにしました。

私の親も私が産まれた時、四十近かったのですが、小さい頃は、自分の両親が世界一素敵だと思っていたので、同級生のお父さんお母さんより年をとっていることに気付きませんでした。成長してからは、体力的にも経済的にも大変だったろうによく育ててくれたなあ、と感謝しています。

高齢出産で困ったこと

2010-09-07 16:43:46 | 出産
体力が落ちており、分娩も産後の育児も辛いこと。
親も高齢であり、助けを借りられないこと(若いお母さんは、里帰り出産したり、産後は親に手伝いに来てもらう人が私の周りでは殆んどでした)。
子供が成長する頃退職になり、お金が心配なこと。

が高齢出産で困ったことです。でも、何とか頑張りたいものです。