地福寺ブログ

地福寺は、宮崎県延岡市の山あいにある曹洞宗のお寺です。
永代供養のご相談も承ります。

実りの秋

2012-09-26 10:53:57 | 周囲の自然
お彼岸も過ぎて、いよいよ秋が深まってきました。
近くの集落では、田圃がごらんのとおり、金色の波です。

このまま、無事に収穫できるといいですね。
先日、秋季彼岸会のお手伝いに呼ばれて近隣を回りましたが、どのお寺さんへ行く道でも、
同じような豊かな風景が広がっています。
サラリーマンの頃は、忙しさもあって単に綺麗な景色としか映らなかったかもしれないこの風景ですが、
改めてじっくり見ていると、自然と感謝する気持ちがわいてきます。
だから「お彼岸」という習慣も生まれたのかなと思います。



上の写真は、昨年の6月、田植え直後の田んぼを撮ったものです。


それが、今ではこんなに。土と水と光と風の偉大さを改めて感じます。
そして、それらの恵みを上手に生かして、食べ物を生産する人々にも感謝です。

根松

2012-09-26 10:40:11 | 日常のヒトコマ
今月末、延岡のお寺で大きな法要があります。
ご住職が新たに任命されて、そのお寺へ入るという
「晋山結制」という式です。

師匠と私も、微力ながらお手伝いをさせていただきます。
そう頻繁には行われない法要ですので、とても楽しみです。


その際に、根っこがついたままの松「根松」が必要になります。
それを用意してほしいという話がありました。
幸いウチの周りは山ばかり。なんぼでもありまっせ!まかしとき!



…と言ったものの、あまりにありすぎて、どれを取ってよいやら…。

花瓶の大きさだけは聞いているのですが、
できれば枝ぶりがカッコイイものがいいと思うのが人情…むむむ。


結局、私が採取したものは、師匠に見て頂きましたが、大きすぎてボツ。
再度、山へ植樹しました(涙)。

師匠と一緒にもう一度山に探しにいき、よさそうなものを頂きました。
気付くともう夕暮れ。日没に間に合ってよかった。


今度、新たに住職になられる方は、私と同い年の方です。
私が僧侶になって、修行へ出る時から、とても良くして下さっている方なので、
ぜひとも立派な晋山結制を行ってほしいと思います。

この根松が、法要に少しでも華を添えられますように。

秋のお彼岸

2012-09-26 10:11:41 | 周囲の自然
すっかりと秋めいてきました。
もう朝夕は肌寒さを感じるようになりましたね。

今年のお彼岸では、いくつかのお寺で彼岸会法要の際の法話をさせていただきました。
私本来の手際の悪さもあって、昨年までとは違う忙しさとなり、
すっかりブログの更新ができませんでした。
お楽しみにされている皆さま、申し訳ございません…。

さて、8月末の落雷からこちら、
いろいろとご紹介したい事もありましたが、
いつのまにやら、周りはすっかり秋。

9月19日の彼岸入りには、永代供養塔のご供養をさせていただき、
9月22日の中日は彼岸法要を厳修致しました。
毎年、この時期に顔を出してくれるヒガンバナが今年もキレイです。


人間がデザインしても、こんなに凝った形にはなかなかできないのでは?
良く見ると、本当に手の込んだ(?)花ですね。自然はすごいナァ…。


撮影したのは彼岸あけの25日でしたが、この日は見事な秋晴れでした。



お彼岸とは、
苦しみや悲しみの人間の世界(此岸)から、
そのようなものが無い、仏様の世界(彼岸)へ、
渡っていこうという気持ちを新たに起こす、
大切な7日間です。

「幾山河 越えさり行かば寂しさの 終(は)てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」

宮崎が生んだ有名な歌人、若山牧水の歌です。

あとどのくらい山や川を越えれば、寂しさの無い国にたどりつけるのだろうか?
そんなことを思いながら、今日も旅をしている。

そんな牧水の心が表現された歌ですが、しかし牧水はもう分かっていました。
どこまで行っても、そんな国はない。
寂しさを自分のものとして、その場その場で生きていくのだ、
という牧水の境地が一緒に詠まれた歌です。

牧水は、昭和三年九月十七日、まさに秋の彼岸の頃に四十三歳でこの世を去ります。
そのとき、牧水の妻、喜志子(きしこ)さんは、牧水の棺に手紙をさし入れました。

「往き往きて彼岸に往きて、彼岸に到達せる覚(さとり)」

旅に生きた牧水でしたが、最後は彼岸へ渡ってほしい、という妻・喜志子の願いと同時に、
共に同じ時間を生きたことへの感謝が込められた手紙でした。



牧水は、全国を歩いても、歩いても、彼岸の国はどこにも無かった。
しかし、毎日の苦しみ、悲しみを、しっかりと見つめる中にこそ、
心が安らぐ彼岸の国を見つけ出したのではないでしょうか。