地福寺ブログ

地福寺は、宮崎県延岡市の山あいにある曹洞宗のお寺です。
永代供養のご相談も承ります。

実りの秋

2011-09-12 03:39:36 | 周囲の自然
朝、子供たちを学校へ送るのは、私の役目です。
子供たちを送る道すがら、近くの集落の田んぼを毎日目にしますが、
その稲が、いよいよ育ってきました♪


先日は、紀伊半島が甚大な被害を被りましたが、
ここ延岡では、平成17年に台風14号がもたらした激甚災害以降、台風らしい台風の襲来もなく、
素人目には順調に育っているように思います。


台風はこないけど、学校までの道すがら、スズメさんの大群と出会うときもあります。
そういえば、案山子が立ってないなあ。
キラキラと光る銀色のテープは巻いてありますが… あまり食べないでね。


近くで見ると、稲穂が光っています。
…あ、ご心配なく。子供たちを送った後に撮影しています(笑)。


葉の上にのった朝露が光っていますね。きれいだなぁ。


農業とは、仏道修行よりも大変なのではないでしょうか。
毎日毎日、水やり草とり、手間暇をかけて育てますが、
それでも自分にはどうしようもないことで、収穫を得られないこともあります。
悪天候であったり、経済的な価格の暴落であったり…。

自分たちが毎日頂くご飯も、お茶碗に入って食卓に上るまで、どれだけ多くの人が手間をかけるのでしょう。
米を作る人、流通させる人、販売する人、ご飯を炊く人。
その苦労を考えてみれば、目の前の食事を残せるわけがありません。
お米の一粒一粒が、本来なら次の世代のための種子。命そのものです。
自分の命を長らえるためには、どうしても他の命を奪わねばなりません。

食事を、一生懸命食べなければならない理由はここにあります。
本来なら、ダラダラとテレビなど見ながら食べてちゃいかんのです。

修行寺での食事は、おしゃべりはおろか、物音ひとつ立ててはいけません。
それだけ、皆が真剣に食に向かい合います。

家族と一緒に食事をするとなれば、一日の出来事を語り合ったり、
別の意味での大切さも出てきますが、ありがたく頂く姿勢を変えてはいけないのでしょう。
毎日、私たちの命を支えてくれているご飯に、あらためて感謝をしたいと思います。







2011-09-03 09:07:13 | 周囲の自然
速度の遅い台風12号が、四国・瀬戸内・中国地方で猛威をふるっていますが、
みなさんの地域は大丈夫ですか?
私は、学生のころ高知に住んでいたこともありまして、
今回の台風の進路上には友人知人が多く住んでおり、心配です。
どうぞ十分に警戒してください。

ここ延岡では、進路から外れ、今日は朝から台風一過の良い天気です。
台風の名残か、強めに吹いてくる風が心地良く思われます。
すると、家族が西の空に虹を見つけました。まずは本堂前から撮影。


キレイに見えますねえ。


これは、もっと高いところから見ようじゃないか。ということになり、永代供養墓に登りました。
おお、綺麗ですねぇ。
B'zというロックグループの「消えない虹」という歌を思い出しました。よい歌ですよ♪


そういえば昔、虹の根元にはお宝が埋まっている、という話を聞いたことがありませんか?
うーむ、あのへんかなあ…


よく見ると、外側にもうひとつ虹があります。
よく見えるほうを主虹(しゅこう)、うっすら外側にあるのを副虹(ふくこう)と言うそうです。
※写真に線を入れてみました。見えますか?
あっちに、お宝がもうひとつあるのか…(笑)。


虹全体を1枚に収めたいのですが、カメラのレンズがそれを許してくれません。もっと広角側のレンズが欲しいよ~。
とりあえず2枚をつないでパノラマっぽくしてみました。
当山から西にある速日の峰ETOランドを囲むように、虹が出ているのが判ります。


荒れた天気のあと、台風はこんな贈り物を残してくれました。
自然とは、大きな災害をもたらす厳しい面もありますが、こうして人々の目を楽しませてくれることもあります。


こんなにはっきりと見えているのに、この手につかむことが出来ないもの。
虹とは、おぼろげながらも美しいものの象徴として、よく言われます。
私たちが生きるこの世の中には、自分の手の指の間から、霞のようにこぼれてゆくものがなんと多いことでしょう。
時間、財産、名誉、命…。いずれもしかり。

掴み取ろうとするから、手に入らない事をあれこれと思い悩みます。
「放下著(ほうげじゃく)」という言葉があります。
「手放してしまいなさい。」という意味です。
最初から、あれもこれもと掴み、放さないのではなく、手を広げてみましょう。
手を放してしまえば、手に入らない事で思い悩む必要は、もうありません。
実はそうすることで、もっと大切なものが、手に入っています。
心静かに過ごせる時間、肩書きにとらわれない自由…。

朝の虹は、そのような事をとめどもなく考えさせつつ、消えて行きました。