カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

子どもたちによる人身売買禁止ネットワーク (2)

2007年12月29日 09時37分48秒 | 人身売買防止プロジェクト(意識啓発)
こんにちは。中川香須美です。今回も前回に引き続き、学校を拠点としたネットワークによって、人身売買の被害から自分たちを守る子どもたちの取り組みについて紹介します。2007年12月5日、スバイリエン州のチュレ中学校でチュレ中学校とトロペアントロー小学校のネットワーク立ち上げのためのワークショップに、国際子ども権利センター代表甲斐田万智子さん、プノンペン事務所の近藤千晶さんと一緒に参加してきましたので、以下内容を報告します。

人身売買防止ネットワークを学校に設立するにあたって、子どもたちはHCC(カンボジアのNGO)のトレーナーから、子どもの権利や人身売買について学びます。子どもたち自身が正確な知識を得た後に、子どもたちがクラスメートや家族・地域の人たちに学んだことを普及させていくことがネットワークの活動だからです。学習の内容は、子どもの権利条約、重要な子どもの権利の概念、児童労働、および人身売買についてです。ほとんどの子どもが子どもの権利条約について学んだことがなく、なぜ子どもの権利条約が必要なのか、なぜ子どもに権利を持たせることが重要なのかについて話し合うところから学習は始まります。子どもたちは、「大人が子どもに対して悪いことをしないように」「学ぶ機会を得るために」「社会の活動に参加するために」、あるいは「子どもはカンボジアの発展に重要な将来大人になる資源だから」などなど、色々な意見を出し合います。カンボジアの学校では子どもが積極的に意見を言うことが奨励されているので、全員ではないとしても、かなり多くの子どもたちが挙手して自分の意見を述べているのは頼もしいです。発言内容がまとまらないうちから挙手して、先生に指名されると緊張もあってか発言できない子どももいて、子どもたちの積極的に学ぼうとする姿勢がとても印象的です。

子どもの権利条約は、生きる権利、保護される権利、発達の権利、参加する権利の4つの分野に分かれています。子どもたちは、権利とは何か、という先生の質問から学習を開始します。「正しいこと」、「全ての人がもっているもの」「えこひいきしないこと」「尊厳」「法律に書いてある」など、色々な意見がでます。今回は、一人一人が条文の絵が描かれているA4サイズのカードを使って、それぞれの絵が示す権利が上記の4つの分野のどの権利に属するのかをグループで話し合いました。トレーナーからは、権利を知ることが大切であると同時に、他人の権利を侵害しないように自分の権利を行使しなければならないという点も学びます。
 児童労働については、村の中で子どもたちがどんな仕事をしているかを検討します。圧倒的に多いのは牛の世話をしている子ども、その次がごはんの準備など家事手伝いです。まきわりや稲狩りの手伝いなど、カンボジアならではの労働もあります。また、ベトナムに送られて物乞いや宝くじ売りをさせられている子どもも数多くいます。学校に通える子どもが豊かだというわけでは決してありません。でも、学校に通えない貧しい家庭の子どもたちは、学校に通っている子どもたちよりもつらい仕事に従事させられていることが多い点について改めて考えます。参加している子どもたちによると、学校教育では児童労働が禁止されていることなどを学んだことがないそうです。身の回りで児童労働に従事させられている子どもを見ているものの、それが搾取である、権利侵害であるという認識はもったことがないということです。大人の手伝いをしていると思っていても、それが子どもの学業の妨げになるような仕事であれば、児童労働であり子どもの権利侵害につながることを、子どもたちは自分たちの生活に照らし合わせて考えます。
人身売買については、どういった手口で子どもたちがだまされるかを話し合いました。「お金をあげると約束する」「恋人になるという」「遊びに行こうと誘う」など、子どもたちの間でも「悪い大人が使う手段」についてはある程度の認識があることが伺えました。印象的だったのは、「飴などお菓子を与える」という子どもの発言に対して、学校の先生が「この地域では、飴をくれるといったら、その大人に子どもは簡単についていってしまう」と発言された点です。飴を食べることなどほとんどない子どもたちは、その程度の簡単な手口でもだまされる可能性があるのです。

今回参加した人身売買防止ネットワークは、12月5日から活動を開始しました。「子どもは親や保護者の指示に従って行動するべき」だと考えられているカンボジア社会で、子どもたちが主体となって自分たちの権利を主張していく機会を提供する貴重な活動がSBPNです。国際子ども権利センターの支援でエンパワーされていく子どもたちが、今後どうやって学んだことを友だちや家族に普及していくのか、みなさんも一緒に見守っていきませんか。


人身売買防止ネットワークの活動を成功させるため、ぜひ国際子ども権利センターの会員になってください。


http://jicrc/pc/member/index.html

写真は、ワークショップで子どもの権利について学ぶSBPNのメンバーの少年
©甲斐田万智子

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4 コメント

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Unknown (Nakakoji)
2008-01-12 20:21:18
こんにちは。
ひとつ言い忘れてました。

>どういったチョイスがあるのか、どういう風に自己決定
>していくのか、そういった過程を子どもが学ぶことが
>重要だと思います。
本当にそう思います。
これは権利に限らず、教育全般に言えることだと思います。

私は教育機関に所属するプロの教育者ではありませんが、教育することについては無いアタマなりにこだわりがあります:
『教育とは、単に知識や技術を習得させることではなくて、考え方を教えること・その人が自立して考えられるようにしてあげることである』

私が下の院生を教育していたとき院生の一人から「中小路さんは考え方を教えるのが特長的で、素晴らしい」ってほめられて嬉しかったのを強く覚えています。あぁ意図がちゃんと伝わってたんだなって。

私は考えることが苦手です。
これは私自身の能力の低さに原因があるのかもしれませんが、でも小さい時からの暗記型教育に大きな原因のひとつがあると考えています。

このような被害者(!)を一人でも出さないよう、教育者の皆さま、よろしくお願いいたします。。
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Unknown (Nakakoji)
2008-01-10 07:01:45
2008年、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


たしかにご指摘のとおりで、私の受けた義務教育では時間的に余裕がなくて形式的に法律上の権利しか教えない教師もいたのかなぁと思いました。
(あるいはハズレ教師に当たったのかも!!)


私も公立高校で生徒の3分の1弱くらい(?もう少し少ないかも)が在日朝鮮人という環境でしたが国歌斉唱・起立についてそういう選択が出来るということは教師からは教わりませんでした。でも結構な数の人が起立していなかったことは覚えています。
おそらく彼・彼女らの親やコミュニティから教育されての行動なんだと思っていましたが、それが正当な権利行使・自己決定権を根拠にした市民権を得た行為だとは考えていませんでした。
(「反骨やなー」くらいか。当時(も今も)私はボーっとした何も考えてない人でしたので。;いかんいかん)


さてさて、
教科書レベルでカンボジアでは権利より義務に重きが置かれているとのことですが、なぜなんでしょうね。
教科書を作る人が受けてきた道徳観、例えば、他人に何かを働きかけるような外向きなキリスト教的道徳観ではなくて自己を抑制するような内向きな仏教的道徳観を反映しているからなのか、文部省のそういう意思が反映しているからなのか。ちょっと私にはよく分かりません、ごめんなさい。
ただ実際の現場ではこれをネタ本にして教育されているわけで、どうしても「教科書の傾向≒実際の教育内容の傾向」には近くなるでしょうね。
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カンボジアで権利を教える? (中川かすみ)
2008-01-09 00:34:42


コメントありがとうございます。日本も世界も、いろいろ暗い話題でいっぱいですが、2008年はちょっとでもよい年になるといいですね。


さて、権利をどう教えるか、これは日本でもカンボジアでも、生徒に一番近い立場にいる教員がどういう理解をしているかによってかなり異なると思います。
ちなみに、わたしが高校生の時の社会科の教員は、「学校の行事の時に流れる国家斉唱で起立しない権利がある」と学生に教えていました。常に数人の学生が起立せず、わたしも権利などを考えないままでしたが、なぜあの歌を歌わなければいけないのかわからなかったので無言で起立しませんでした。今なら、許されない権利かもしれないですよね、場所によっては。処罰されても、文句を言えば制裁を受けてしまう。不公平な社会だと思ってしまいます。

さて、カンボジアでは、権利というより、義務についての教育が圧倒的に重視されています。これは教科書レベルでの単純な分析です。実際どういう風に教えられているかは、担当の教員の認識によってかなり変わっていると思います。

どういう権利が「正しい権利」なのか、議論は分かれると思います。でも、どういったチョイスがあるのか、どういう風に自己決定していくのか、そういった過程を子どもが学ぶことが重要だと思います。たとえば、わたしは女性には中絶する権利があると思っていますが、私の学生の大多数は女性に中絶の権利を与えるのはよくないと考えています。その意見に対して、「それは正しくない考えだ!」と反論せずに、なぜそういう意見を持つのか、反対意見にはどういうものがあるのか、さまざまな角度から話し合う機会を持つようにしています。でも、義務教育でそういった時間がとれるでしょうか。残念ながら限界がありますよね。
正しく噛み砕きたいけど、消化不良でなかなか、っていう悔しい感じでしょうか。

さらには、権利についての教育は、学校だけでなく、家庭や地域共同体で認識を深めていく必要もあると思います。長い道のりですね。




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権利を教えるということ (Nakakoji)
2007-12-30 20:53:43
こんにちは、中小路です。
ワークショップ参加お疲れさまでした。

さて、
日本の義務教育課程においては、権利には自由権と社会権の2種類が憲法上保障されていて、それぞれ拒否権的および請求権的性質を持つと学びます。
また、(精神的・経済的)自由権は(社会権に比べより重いが故に)具体的権利であるが社会権は抽象的権利でありその条文単体での権利行使はできないものであると学びます。

というような具合に、法律(の構造)論的観点からしか日本人は義務教育課程において権利については学んできませんでした。
(←昔の話です。小・中学校の先生にお聞きしますが現在はどのように教えられているのでしょうか?)

昔から思っていたことですが、(子どもの権利条約に限らず)日本でも、もっと「権利」というものを正しく噛み砕いて具体例をあげながら教育すべきだと思っています。でないと誤った権利意識を持って(最悪権利意識を持たずに)誤った権利行使をしてしまう。←2007年最後のグチです・・

さてさて、
早いものでいよいよ2007年も終わろうとしています。
さようなら2007年。
2008年が皆さまにとってよい年でありますように!
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