カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

カンボジアの教育についてー教育大臣のお話―

2008年02月27日 00時03分48秒 | カンボジアの教育
こんにちは、中川香須美です。先日、上級大臣・教育省大臣であるコール・ペイン博士の通訳をした際に、大臣が「自分が大切だと思っている信念」についてお話されたので、補足を加えながら、内容を簡単に紹介します。大臣の発言については、かぎ括弧で紹介します。


教育大臣として重要視している分野

カンボジアは、長い戦争を経て、パリ和平協定を1991年に締結、1993年に総選挙が実施されて民主的な政府が設立しました。それ以来、教育省が重要視してきたのは教育制度を整備すること、基礎教育を実施する学校(小・中学校)を設立すること、教育に必要な機材(教科書など)を整備することでした。特に教育制度の整備は、ほとんどゼロからの出発といっていいほど未整備だったので、大変な時間と労力がかかりました。大臣は、「わたしが5年前に大臣に就任した時は、そういった基本的な整備については、完全ではないものの、一段落ついてもいいかなという程度には整っていました。したがって、わたしが在任中に尽力してきたのは教育の質の向上です。具体的には、特に教員のレベルアップに重点を置いてきました。」とおっしゃっていました。


教員養成の困難

教育の質を高めるためには、教員のレベルを向上させることが不可欠です。大臣は、日本を含め、さまざまな国からの支援を最大限に活用して、教員が高いレベルのトレーニングを受けられるようにしました。ところが、トレーニングを受けて優秀に育った教員は、その多くが教職を去ってしまうそうです。「時間と予算をかけて訓練しても、教員の給料が低いために、民間の企業に移ってしまう若い教員が非常に多くて残念です。企業で働けば、教員の2-3倍の給料がもらえるので、こちらとしても引き止めるのがとても困難です。」


なぜ教員はやめるのか

最近の教員に欠けているものは、「信念」だと大臣はおっしゃいます。「自分の国が将来どうなっていてほしいか、そのためには子どもたちにどういった教育が必要か、教員として自分に何ができるのか、そういった信念が欠けている教員が、より高い給料を求めて辞めていきます。」せっかくトレーニングを受けてもらった教員がやめるのは残念なので、教育省としてもさまざまな戦略で教員を引きとめようとしています。「その中でも、給与を補填して、一般公務員よりも高い給料を払うようにしています。ただ、給与補填をすることによって、教員の仕事量や義務も増えるので、それを快く思わず辞める教員もいます。いずれにしても、結果的には民間企業のほうが給料はかなり高いのです。」


なぜ「信念」が欠けているのか

現在実施されているカンボジアの基礎教育の教科書では、愛国心や忠誠心などが徹底的に教育されています。でも、かつてしばらくの間、これらは教育のカリキュラムから除外されていたそうです。「わたしが大臣になったとき、道徳教育は基礎教育のカリキュラムに存在していませんでした。将来のカンボジアを考えると、道徳を学ぶこと、特に信念をもってもらえるような教育を子どもたちが受けることが重要だと思い、道徳教育を復活させました。道徳教育では、家族とは何か、親の子に対する義務、子の親に対する義務、教員の生徒に対する義務、生徒の教員に対する義務、などを徹底的に考えてもらうようにしています。友情とは何か、いい友達をどうやって選べばいいか、なども学習内容に入っています。仏教の教えも、きちんと学べるようにしています。」ところが、最近の子どもたちは道徳を学んでいるものの、5年位前までの子どもたちは道徳を学んでいないという問題があります。現在教員になっている若い世代は、「信念」を学ばずに大学まで進学しているのです。「道徳を学んでいない世代のために、私自身がほぼ毎日パンニャサ大学で講義をしています。特に仏教の教えを紹介しながら、信念をもってもらうために学生に色々考えてもらう場を提供しています。大臣の仕事もあるし、わたしは高齢なので、簡単なことではありません。クラスには、僧侶も招待して、生徒と話してもらうこともあります。」(ちなみに大臣の年齢は不詳ですがかなり高齢です)

大臣は現在、学部と修士課程で講義を担当されていますが、大臣ご自身が、信念にのっとって実践されているのです。パンニャサの学生に将来指導者に育ってほしいという大臣の希望から、コースの名前は「リーダーシップ」となっています。わたしは受講したことがありませんが、学生の話を聞くととても面白く魅力的な講義だそうです。


中川香須美のコメント

カンボジアでは、たぶん戦後の日本と同じように、「戦争を経験した世代」と「戦後世代」との間に大きな断絶があります。カンボジアで両方の世代に接してきた私の経験では、戦争を経験した世代に対しては、他人の苦しみに対して黙ってあたたかく理解を示したり、許容力があったり、「やっぱり苦しい時代を生き抜いてきたんだな」と感じることが時々あります。他方、若い世代は、自己中心であったり、「戦争があったなんて信じられない」と、自分の両親たちの過去の苦しい経験を知ろうともしなかったり、聞いても頭から否定して信じなかったりする姿勢を見せる時がよくあります。授業の中で実施するグループ学習などで協調性がなかったり、理解が遅いクラスメートを助けずに無視しようとしたりする姿勢が見られるのはとても残念なことです。この背景には、戦後世代は、長い内戦によって徹底的に破壊されたカンボジアの仏教信仰や家族の破壊などの影響があると思います。戦後は、「かっこいい」と思って手本にできる年配の世代も欠けています。こういった社会的背景が、若い教員たちにも影響を及ぼし、「信念が欠けている」と大臣が称している気がします。

教育大臣は、30年以上にわたるアメリカでの生活で成功を収められ、カンボジアに戻って苦労しなくてもよかった人です。でも、「国の発展に役立つ人材育成に貢献したい」という信念から、アメリカでの生活を捨てて大変な時期のカンボジアに戻ってこられ、大学を設立されました。難民としてアメリカに移住して成功を収めていた多くのカンボジア人から資金を集め、ゼロから大学運営を開始されたのです。以前ブログで紹介したわたしの親友リー・ビチュターと同じ信念です。彼女も、カナダでの華やかな弁護士生活を捨てて、困っている人を助けるNGOをカンボジアで創設しました。彼女の場合、私財を投入してNGOを立ち上げ、貯金をすでに使い果たしています。彼女の生き方は、わたしにはとても真似できない確固たる「信念」に基づいていると思います。わたしのカンボジアでの生活が、従来予定していた10年間を過ぎてどんどん長くなるのも、こういった信念を持った素敵な人たちとの交流を通じて、次世代の人材育成に少しでも役に立てるかな、役に立てるといいな、という自分なりの「信念」が生まれてきているからだと思います。




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写真は、クロプハ小学校で子どもの権利教育を熱心に進めている先生とその授業を受けている子どもたち(国際子ども権利センターのプロジェクト実施校)  ©甲斐田万智子