文字の力

武田真治、主演舞台「電車男」大阪で上演 (大阪日刊スポーツ) - goo ニュース

『電車男』(クリックしてみてください)・・・電車の中で酔っ払いオヤジに絡まれている女性を助けたことから彼女にお礼を言われ、それをきっかけに彼女に恋をしてしまう。

ま、ここまでは今までもよくあるパターン。しかしここからが今風なんだろうな。

彼は身近な友人に恋の悩みを相談するのではなく『2チャンネル』の掲示板に書き込み、そこでいろいろ恋のアドバイスを受け,見事彼女と交際がはじまるというストーリー。

文字だけで繰り広げられる掲示板の世界での友人達の付き合い。
写真もない、そこは『名無し』と呼び合う匿名の連中の文字だけの世界・・なぜこんなにも人気がでたのだろうか。

でも『アキバ系』と呼ばれるネットに詳しい連中だけの特殊な世界だけの出来事ではないだろう。
昔は『文通』なんてのもあったし『ペンフレンド』なんて言葉もあった。
これなんて今で言う『メルトモ』そのものじゃないか!
メールが一般的になるまではポケベルで『084』なんて打って『オハヨー』なんて読ませたこともあった。
形はどうあれ『文字』で意思の疎通を図る行為は今も健在というより『メール』『掲示板』『チャット』とより隆盛を極めているのかもしれない。
だからこその大ヒットなのか。

しかしこの電車男の掲示板スレッド(一つの題材で作られた掲示板)が人気が出て本になり大ヒットを記録しなんと映画になり、今度はついに『舞台』にまでなるという。

その辺の『商魂』も今も昔も変わりない。

 (写真は仙石線・・多賀城駅のホームにて。)

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ハートカクテル

先日、片岡義男の小説のことを書いたときに彼の文庫本を写真に撮ろうと書棚を整理したら、
これまた80年代色の強い本に出会ってしまった。
『ハートカクテル』・・83年から89年まで男性向けのマンガ週刊誌「モーニング」に
連載されていたショートストーリーのイラスト。
話の中身は男女間を中心として友人間や親子間などのラブストーリー。
かなりアマ~くアメリカンな内容だった。
自分はこれ以外のマンガを読むのが目当てでこの雑誌を講読していた。
それで自分が読み終わると当時の彼女に回してあげていた。
片岡義男の小説にはまったく興味を示さなかった彼女だがこの「ハートカクテル」は
「こんな話現実にないよね」とか言いながらも必ず一番最初に読んでいた。
それがなんかおかしくて見てると必ずいつも『いやらしぃ。何見てんの』と照れ隠しで悪態をついていた。
それでもこの『わたせ せいぞう』の絵は二人とも好きだったので部屋の飾りにもなるとA4サイズのハードーカバーを12冊ほど買った。
今自分の手元に5冊あるので残りはたぶん彼女の元にあると思う。
あるとき、すでに読みを終えたことを忘れて『9巻目』をダブり買いしてしまった。
なぜかその9巻目が2冊とも自分の手元に残った5冊の中にある。
それがちょっとだけ心残りだ。
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レッツ・フィッシング

次の日曜日に久々にというか、約一年ぶりに釣りに行こうと思う。
場所は北上町の追波川河口。狙うのはヒラメとシーバス(スズキ)だ
釣りというとはりにミミズのようなにょろにょろした生きたえさをつけて、それを食べた魚の口にはりがつきささり釣れる。というエサ釣りを思い浮かべる人が多いと思う。・・が
自分の釣りは上の写真のようなルアーという魚の模型を使って釣る。
このルアーを投げてはリールで巻き取る。
そのときこのルアーがまるで生きてる小魚のように泳ぐ・・ゆっくり巻き取れば弱った魚のようにヨタヨタ泳ぎ『どうぞお食べください』と食肉性の魚を誘う。
これで大体は引っかかっててくれるのだけど。
しかし面白いことにこんなおいしいタイプのエサにまったく興味を示さない魚もいる。
今度は早く巻く、そうするとルアーはまさに身の危険を感じて『どうか食べないで』とか『食べられてたまるか』と逃げ惑う魚のような動きになる。
そうすると今度は我慢できずに追いかけてきてはガバっと食いつく魚もいる。
人生イロイロ、恋もイロイロ・・そして魚もイロイロなのだ。
これはもう魚の好みに合わせるしかないし、合わせなければ釣れない。

それともう一度上の写真を見てもらえばわかるのだが右に派手な色のルアー。
左が地味目な色合いのルアー。
派手なルアーを『アピール系』と呼び、地味なほうを『ナチュラル系』と呼ぶ。
アピール系は夜や水の中が濁っているときに使用する。
ナチュラル系は日中や水が澄んでいるときに使う。
だがこの原則をまったく無視したほうが良い時もあるから始末が悪い。
こうしてみるとなんかに似ている・・そう『プレゼン』だ!

ルアー釣りとは魚相手にプレゼンテーションをすることだったのだ。
さー日曜日に一番クライアントを満足させるのはどのルアーなのだろうか?
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素敵なブログ





前に片岡義男のことを書いたときコメントをつけてくれた『Maさん』のブログ。『La Vie En Rose』(ラ・ビアン・ローズ=バラ色の人生)このブログを書いている彼女はライダーです。オートバイでツーリングをした時のことを書いた文も、日々のことを書いた文もその感性と文章が自分はとても好きです。最近は毎日読むのが楽しみです。そんな訳でこのブログのブックマークに登録しておきました。お薦めのブログです。
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ソルティドッグをもう一杯

最近淋しい思いを書いた文章が多いせいか、クラブ108の先輩諸氏は自分が毎日泣き暮らしているのではないかと心配してくれる方もいらしゃるようだけど決してそんなことはないのでご安心していただきたい。(笑)
どうしても日本じゃ「男は女々しくしてはいけない」とか「弱音をはくな」とかいう風潮がある。
そこで抑えている部分がアルコールが入った時に愚痴になったり、泣きになったり、馬鹿騒ぎになったりすることも多いのかな~と思ったりもする。
『淋しい』や『切ない』も『楽しい』や『嬉しい』と同じ感情。
ことさら毛嫌いすることはないし決して恥ずかしい感情ではないと自分は思っている。

『ソルティドッグ』というカクテルがある。
イギリスでは「塩辛い犬」というのは船乗りの「甲板員」を表す隠語。
ウオッカをグレープフルーツで割っただけのシンプルなカクテルだけど、このカクテルが今でも非常に好まれて飲まれる理由はグラスのふちをレモンで湿らせそこに塩をもった『スノースタイル』と呼ばれる塩の冠をつけることにある。
そこに口をつけて飲むことになるのだけど、この塩の味がグレープフルーツのおいしさをより引き出してくれる。
甲板員が波しぶきを浴びた塩辛いグラスでカクテルを飲んだらおいしかったからって説もあるらしい。

自分は『淋しさ』や『切なさ』ってこのソルティドッグの塩のようなもんだと思っている・・というか思うようにしている。
そりゃ淋しいだけの、いってみれば『塩水』だけをがぶ飲みする気はないけど、やがて淋しさは思いやりとか、プラスの感情に変化することもあるし、前にも書いたようにブレークスルーしていくことで力にもなる。
新しい楽しいことにつながる原動力になればいくら感じてもいいし素直に表現することも悪いことじゃない、
最初グラスに口をつけたときは「しょっぺぇ~!」なんだけど次にカクテルが口に入ってきたときのおいしさは、その塩があるから。
よりおいしさのの輪郭がくっきりする。
淋しさや切なさを感じられればこそ、ちょっとした楽しさや小さな幸せもよりくっきりと感じられるかもしれない。


(写真はポリテク通学路の途中にある飲食ビル「エスペラント」の電飾看板。こういう店の名前にも由来みたいなものがあるのかな?とふと思った。)
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まるでカクテルのように・・・and I Love Her

昨夜はとても楽しい宴でした。
ゆったりとした空間でおいしい料理とおいしいお酒・・そしてなによりも大切な仲間たちが揃ったひと時はとても楽しかったです。
自分は元々大勢で飲むよりも、差し向かいや少人数が好きなのですが昨夜は素直に多くの仲間達と飲むことが楽しかったです。
(こちらをクリックすると銀禅のHPがでます)

飲んでる最中に23期のS組長が「不思議だよな。24期生はなぜ俺達を選んだんだろう。俺達は22期には戻らなかったな~」とおっしゃておられた。
たしかに『落ち着く』とか『懐かしい』とかはあるだろうけど・・『傷だらけの天使流』に解説すると僕らが共に学んだ1月から3月の間に『一つのおいしいカクテル』ができたような気がします。
酒、果実、氷、炭酸・・一つ一つの材料が独立しててもいいのだけれど、それがちょうど良い分量で一つのグラスに入ったとき『新しい味』ができます。
カクテルの由来にはいろんな説があるけどその中のひとつに・・・『18世紀アメリカで、ホテルの主人が飼っていた軍鶏が行方不明になり、見つけた者は主人の美しい娘と結婚させると言ったところ、若い士官が軍鶏をつれてきた。お祝いにホテルの酒場でいろいろな酒を混ぜて飲んだら美味しかった』という説があります。
僕らも偶然に「108教室」というグラスに入れられた材料だとすれば・・それがとても良い味のカクテルに仕上がったということじゃないかと思えるのです。
ここでさらに『傷だらけの天使流』に分析を付け加えるなら、まず23期男性・・彼らはベースになる「酒類」のような存在だと思います。とても大事な土台の部分ですね。
しかし失礼ながら彼らだけじゃあくまで『ただの酒』なんです。
カクテルがなぜ多くの人を魅了しつづけるのか・・それはあの『甘くフルーティな味わい』と心を捉えて離さない『魅惑の色』を持っているからではないでしょうか。
『魅惑の果実』の存在はカクテルのキモと言っても言いすぎじゃないでしょう。
昨夜の宴の楽しさにも『5人のスィートエンジェルス』の存在の大きさを否定する人はいないと思われます(笑)
そう男性諸氏よ!・・23期の女性陣も含め
『彼女達はクラブ108の至宝であると心得よ!!!』・・彼女達なくしては『おいしいカクテル』なんてできっこないんだから大切にしましょう。
で・・24期の男性は何かと言われれば・・
それは『氷』です。・・なんだ氷かよ。なんて馬鹿にしちゃダメ!カクテルが18世紀に大きく普及した陰には『製氷機の発明』が大きく寄与しているのです。そう氷が作れるようになってはじめてカクテルは万人に飲まれるおいしさを手に入れたのです。
お酒とフルーツのミックスされた液体をさらにおいしくするために『氷』の存在はかかせないのです。
ところでオマエさんは何なんだい?とマイクオン参謀総長の声が聞こえそうなので先回りして答えれば、僭越ながらカクテルに刺激を与える『炭酸』になりたいですね。
そんな訳で『カクテルクラブ108』がみんなの力でもっともっとおいしいカクテルになればいいな~思っております。

皆さん昨夜は本当にありがとうございました。
また楽しくやりましょうね。
みんな愛してま~す(゜∀゜)ノ・・・多謝!



写真は24期の誇り『5人の美しきスィートエンジェル達』・・えっ顔がみえないって・・自分のつたない撮影技術とケータイのカメラで彼女達の美しさを表現するなんて神をも恐れぬ行為でとてもできるものではない・・それにたとえできたとしても、とてももったいなくて公開なんてできないよ・・ってことでここはアート風味で仕上げてみました。
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川の流れのように

F・Kさんが就職を決められ今日からセンターに来なくなって淋しいな~と思っていたら、M・Wさんも昨日就職が決まり今日が最後の受講で来週から勤務だという。
彼女たちがいっぺんにいなくなるなんて嬉しいことなんだけど自分はとても淋しい。
自分はとても淋しがり屋だから仲間が去っても、自分の方が出ていくことになったとしても仲間が恋しくてたまらいだろう。『淋しさ』や『切なさ』といった感情とはどちらにしても無縁ではいられなかった。
でももう2週間すればみんなここを出ていくんだね。
思いがけずに訪れた『七ヶ月間の学生生活』・・先生から教わった知識もそうだけど仲間からもとても多くの大切なことを教わった。
もう彼女達や彼らと机を並べて勉強することはないんだと思うと本当に切なく淋しい。
でもこの感情を無視したり、忘れたりするのではなく、自然に受け止めてブレークスルーして歩いていく。
そうすることがコミニュケーションスキルだと思うしもう一歩突き進むことで淋しさや切なさが大切なコミュニケーションを持続させるエネルギーに変わるのだ。
淋しさや切なさを感じるからこそ・・それが力になるのだと自分は思う。
友よまた逢おう!
(写真は多賀城駅前の八幡橋より仙台方向に砂押川を眺める)
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スローなブギにしてくれ

これを最後にしばらく片岡ネタは休んで、次は片岡以降に読みあさった本の話を書こうかと思っています。
で最後は『スローなブギにしてくれ』から・・・・・


三日後、ゴローがそのスナックのカウンターでコークを飲んでいた。
店が開いたばかりなので、ほかに客はいず、バーテンと二人きりだった。
ドアが開き、二人が首を向けると、さち乃が入ってきた。
決まり悪そうにちょっと微笑してゴローのところまで歩いてきて、となりの椅子にすわった。
さち乃は、じっとゴローの目を見た。
「ニャーン」と長く引っ張って、ゴローは猫の声をまねた。と同時に、さち乃の目からぽろぽろと涙がこぼれ、頬を伝わり、スカートに落ちた。
「帰ってきたのいさせて」
口を「へ」の字に曲げ、さらに泣きながら、さち乃が言った。
ゴローは黙って笑っていた。
すぐにさち乃は化粧室に駆け込んだ。
カウンターから出てきたバーテンが、ゴローに体をつけんばかりにして、声をひそめた。
「詳しくはしらねぇけど、初めて捨てた女がやがて帰ってきて、ぽろぽろ泣きながらゴローさんいさせてくださいなんざあ、できすぎた話しじゃねぇか」
ゴローはただ黙っていた。
「おまえの人生これからだぜ。記念に音楽を贈ってやるよ。なにがいい?」
バーテンは、店の奥のジュークボックスを顎でしゃくった。
バーテンの顔をまっすぐ見たゴローは、声がふるえなければいいがと思いながら、
「スローなブギにしてくれ」
とゆっくり言った。
「なにを言いやがる。それでもセリフのつもりかよ」
そうは言いはしながらも、バーテンは首をふりつつ、ジュークボックスに歩いていった。スローなブギが、鳴りはじめた。
・・・
学校に行かずにホンダCB500で走ることでしか生の実感を感じない少年と仔猫に切ない愛情を注ぐ少女との出会いから始まる二人のストーリー「スローなブギにしてくれ」のエンディング部分。
実は昔からずっと気になっていたことがある。
それはここのラストシーンで流れる『スローなブギ』ってどんな曲なのだろう?
映画で流れた『ウォンチュー・オレの肩を抱きしーめてくれ~♪』という南佳孝の曲は残念ながら原作を読んでいる時には違和感が多く・・どうにもその気分ではない。
自分の頭の中ではローリングストーンズの"Time is on my side"が流れてくる。
『Time is on my side, yes it is
Time is on my side, yes it is

Now you always say that you want to be free

But you'll come runnin' back

(Bet you will baby)

You'll come runnin' back

(Like I said so many times before)

You'll come runnin' back to me』・・直訳すれば「時間はいつもボクの味方。やがて彼女は戻ってくるだろう』というような歌詞でこのラストシーンにもあっている。・・と思うのだが。
でもストーンズはイギリスだからできればやっぱりアメリカンな香りがする曲の方が雰囲気なのだろうがピッタリくる曲をまだ自分は知らない。

果たしてこの本を読んだ人は頭の中でははどんな曲をイメージしたのだろうか?
また当の片岡自身はどんな曲を思って書いたのだろう。


(写真は多賀城のポリテクの通学路の途中にある桜木飲食街の『チョッパー』という店。壁画と入口上のネオンサインが気分です)


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誰もがいい旅をと言った

F.Kさんが再就職を決めた。心からおめでとうといいたいです。
そうしてまた一人仲間がここから消えていくのは淋しいけれど、いずれ誰もがここから旅立っていかなければならない。
共に貴重な時間を共有しあった彼女たちや彼らがここから先、良い旅をしてくれることを心から願わずにはいられない。
やがてボクも旅立つ瞬間がやってくるだろう。
いつかまたどこかで仲間達と語り合える時がくることを楽しみにボクも旅を続けよう。
(写真は多賀城の洋菓子店『パテシエ・シセイドウ』。店頭に花がとてもきれいにディスプレイされている。通所時の行き帰りに目と心をなごませてくれる。お菓子も大変おいしい。)
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吹いていく風のバラッド

先日、片岡義男のことをブログに書いたら『Ma』さんという素敵な女性からコメントとトラックバックをいただきました。
彼女はロードライダーだそうです。そう片岡義男の小説が好きな方はオートバイ乗りの方も多いですね。
車好きも多いけどこちらは決してスポーツカー好きやヨーロッパ車好きではないんですね。
なんとなく古きよきアメ車とか日本車に揺さぶられる感じでしょうか。
自分もステーションワゴンに乗ってるのはたぶんに片岡義男の影響だと思われます。
レガシーのような日本的なスポーツワゴンじゃなく本来ならサイドに木目パネルが貼ってあるようなのが雰囲気ですね。
自分がアコードUSワゴンを買ったときもアメリカ製というところに惹かれました。ワゴンに乗るというのも考えてみれば片岡義男の小説を読んでた頃からの夢でしたね。買ったときには気づかなかったけど潜在意識のなかにすりこまれていたのかもしれません。
それくらい彼の小説にはステーションワゴンがよくでてきていたような気がします。
さて『吹いていく風のバラッド』・・片岡義男本人がいう『物語の断片のような、ある一つの情景のような文章』が28話詰まった205ページの文庫本。
やるせない思いを感じても、淋しさを感じても、泣きたくなっても・・自分の感情を受け入れながら目の前にある道を前に歩いていく主人公たち。
これは片岡義男の小説の主人公の共通項のように思う(自分が読んだ範囲で)・・彼らや彼女達は決して胸を張ってではないけど・・後ろを振り向き振り向きだったり、過去を引きずったり、全ての過去を捨ててあっけらかんとしてだったり・・とにかくそれぞれのスタイルで前に進む・・片岡義男の小説・・彼の物語は現実的ではないのかもしれないがそんなことは関係なく素直に物語の中の主人公たちのその姿がとても素敵なのだ。そんなエンディングの一つ一つががとても心に響く・・いや今はいくら年をとっても響く心を持っていたいものだとここ1週間で強く感じるようになった。
車のダッシュボードに忍ばせる一冊はやはりこれにしようかと思う。
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