沖縄・台湾友の会

《台湾に興味のある方》《台湾を愛する方》《不治の病・台湾病を患ってしまった方》皆んなで色々語り合いたいものです。

 キャンベル国務副長官がトンガ、バヌアツを訪問    中国犯罪集団、フェンタニル拠点を南太平洋島嶼国家へ移転したか?

2024-09-02 16:34:47 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)9月3日(火曜日)
     通巻第8392号   <前日発行>
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 キャンベル国務副長官がトンガ、バヌアツを訪問
   中国犯罪集団、フェンタニル拠点を南太平洋島嶼国家へ移転したか?
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麻薬密売が太平洋島嶼国を悩ませはじめた。
メキシコを拠点としていた中国ギャング団のフェンタニル密密造工場が手入れを承け、またテキサス州などが国境警備を強化し、密売人を摘発しフェンタニルを大量に押収したためルートの変更を迫られたからだ。

テキサスの州兵は不法移民4・4万を逮捕し、フェンタニル致死量4億回分を押収した。
そこで中国のギャング団、密輸組織がつぎに密輸拠点として狙ったのが南太平洋の島嶼国家、とりわけバヌアツ、パプアニューギニア、フィジー、トンガなどである。

カート・キャンベル国務副長官は八月下旬にこれらの国々を訪問し、バヌアツで記者会見した。その席で、「米国は太平洋島嶼国の麻薬撲滅活動を支援する決意であり、具体的な関連法執行措置を発表する」と語った。「中国や東南アジアの一部の(犯罪)ネットワークが太平洋島嶼国を中南米や米国への麻薬密輸の中継地点として利用しているからだ」

キャンベル副長官は、トンガの首都ヌクアロファで開催された第53回太平洋諸島フォーラム(PIF)に出席していた。オーストラリアが警察訓練の改善と機動警察の創設を支援するために4億豪ドルを投資することが発表された。キャンベルは、その足で中国の進出めざましいバヌアツを訪問した。

バヌアツは目抜き通り商店街の大半が中国人経営、大統領官邸は中国が建造し寄付した。バヌアツ市内には中国語しか通じないホテルやレストランが多い。
これだけ力を入れるのも近年、バヌアツへの不動産投資をなす中国人にバヌアツパスポートが支給されるからである。

バヌアツパスポートは中国パスポートでは制限を受けヴィザが必要な国々へすらりと入国できる抜け穴がある。

 米国ではフェンタニルの過剰摂取による死亡が毎年七万人と報告され、フィジーとトンガでもフェンタニルの密輸摘発事件が発覚した。

中国は近年、太平洋島嶼国との関係を強化しており、「一帯一路」プロジェクトを推進、現地のインフラ建設に協力してきた。労働者を派遣し、銀行融資をつけて南太平洋島嶼国家に異様なアプローチを重ねてきた。フィジーのチャイナタウンでは華字紙も発行されており、サウスパシフィック大学には孔子学院もある。

パプアニューギニアやソロモン諸島には警察・治安協力も強化している。とくにソロモンは反中国暴動がおこったため中国政府と秘密安全保障協定を締結した。また中国は港湾近代化と嘯いているが、実際にはソロモンに軍港を建設していると米豪が警戒を強めてきた。


ロッキードマーチン、レイセオンが対戦車ミサイル4000発   ウクライナ向けに新たに4000発の契約

2024-09-02 16:13:31 | 日記
 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)9月2日(月曜日)
     通巻第8391号   
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 ロッキードマーチン、レイセオンが対戦車ミサイル4000発
  ウクライナ向けに新たに4000発の契約
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 ロシアのメディアグナが伝えたロシア軍の犠牲は死者が66471名という。
 この内2578人がバルコスタン人、重複で6877名が33歳から35歳。また12000名が囚人だったと報じた。

 ウクライナ大本営発表の戦果は、8月31日時点で、ロシア軍兵の死者が614550人、戦車8582両、装甲車18738両を破戒し、火砲17614門、飛行機368機、ヘリ328機、艦船28隻とした。

 AFPはウクライナ戦線の兵力不足を補うため、ブルキナファソで展開されていたロシア傭兵旅団を撤退させた。これは『ベア旅団』でワ、悪名高い「ワグネル軍団」と同様な傭兵部隊だが、ロシアでの転戦先は不明である。

 ウクライナの電撃的なクルスク地方侵攻は、ロシア領土への進撃である。
米国は8月28日に13億ドルの契約で、ジュベリンミサイル4000発の生産を急ぐと発表した。またゼレンスキーは供与されたハイマースミサイルをロシア領土内で使う許可を求めたとされる。
 バイデン政権のハイマース供与は『ロシア領内には打ち込まない』というゼレンスキーの誓約のもとでの供与だった。

 プーチンは戦争のエスカレーションを望んでおらず、ウクライナの侵攻を『挑発行為』だと批判するに留め、ドネツクでの作戦継続を命じている。
 軍事専門家は、ウクライナ軍のクルスク制圧の維持が長くは出来ない。この危険な賭けは長時間続かないとしている。

鍛冶俊樹の軍事ジャーナル (2024年9月1日号) *台湾と朝鮮半島の地政学6

2024-09-02 16:12:38 | 日記
鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
(2024年9月1日号)
*台湾と朝鮮半島の地政学6
 マゼラン提督率いるスペイン艦隊は、1522年に地球を一周してスペインに帰還したが、マゼラン自身は、後にフィリピンと呼ばれる島々で各部族長と交流し、スペインの主権下に置こうとしたが、その内の一つマクタン島では反発を招き、そこでの戦闘で死亡した。
 ルソン島はフィリピン諸島の最大の島だが、16世紀には日本人町もあった事が知られており、古来から海洋貿易の中継基地として栄えていた。マゼランは、もともとはポルトガルの宮廷に仕えていたポルトガル人で、ポルトガル軍が、東南アジアの貿易の要衝マラッカを1511年に征服した時、海軍士官として従軍していた。ポルトガルは当時、ここを拠点に東アジアへと貿易の拠点を拡大しようとしていたから、マゼラン自身、ルソン島について知っていたと思われる。
 当時、ポルトガルとスペインはライバル関係にあり、ポルトガルはインド洋経由で、スペインはアメリカ経由で東アジアの市場を争っていたのである。

 1492年、「コロンブス率いるスペイン艦隊が大西洋経由でインドに到達した。」と報告されたため、ライバルのポルトガルは、スペインの西インド航路に対抗する東インド航路すなわちアフリカ大陸南端を迂回してインド洋を経由してインドに至る航路を開拓した。
 これは1498年の事でコロンブスに遅れること6年と思われたが、実際にはコロンブスはインドに到達しておらず、スペインがアジアに到達したのはマゼランの1521年だから、ポルトガルの方がアジア進出においてスペインより進んでいたのである。
 遅れをとって焦ったスペインはマゼランの到達した島々へアメリカ経由で進出を図り、1542年、当時のスペイン国王フェリペ2世に因んでこれらの島々をフィリピン諸島と命名した。
(続く)