両親はカルカッタ出身のベンガル人、ロンドン生まれで2歳で渡米。大学院修了後99年にO・ヘンリー賞、「停電の夜に」でピュリッツァー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞ほか受賞。08年に「見知らぬ場所」でフランク・オコナー国際短篇賞受賞。13年にイタリアに移住し、15年にはイタリア語によるエッセイを発表。。。
著者ジュンパ・ラヒリの経歴を見ると、国際化とはこのことか!と驚嘆する。日本語の語彙すら怪しくなりつつあり、学校で学んだ英語、ちょっと囓った中国語などは断片的にしか話せない身としては、置かれた環境の違いに(同時にその知性・感性に)ため息をつくばかり。。。
「わたしのいるところ」は、長編といっても何編もの短いストーリーで構成されている。
「歩道で」、「道で」、「美術館で」、「日だまりで」・・・「バールで」、「田舎で」、「ベッドで」・・・どれも2〜3ページの長さで、“生まれ育ったローマと思しき町に暮らす「わたし」の日々の光景が淡々と描かれている。
40代後半の女性、独身、大学教授という設定はあるものの、土地や人の名前はなく、ただ「医院の待合室で顔を合わせた老婦人」とか「かつて同棲していた恋人」とか「学会で泊まったホテルで隣室になった亡命学者」といったように設定されてはいるものの名前は記されず、曖昧な存在のまま。毎日見慣れているはずの光景や何人もの人々、同じような時間が、自分とは関わることなく通り過ぎて行くような、どこにも確たる所属する場がない不確かな気分と、同時に、そんな孤独感からこそ生まれるだろう境地を窺わせる安堵感(?)も漂っている。
特別な出来事も劇的なシーンも難しい言葉もなく、ただそこにある情景を淡々と描写しているだけ。。。簡単な言葉で平易に書かれている日常が、まるで感情も含めて、自分自身が体験していることのように思えてくる。
属する確固たる集団を持たず、国や言語といった自分で選択できないものの外にある世界に自分の立つ場所を持つことの開放感や自由さと不安、といったものがうっすらとベールの向こうに見えるような気がしてくる。
最近日本でも「孤独であること」を見つめ直す意識が出て来ているが、 「その孤独が、いつか背中を押してくれる。」という帯にかかる言葉通り、その孤独ときちんと向き合えるかどうかが、これからの時代の課題なのだろう。
その昔、単行本や雑誌などを仕事としていた頃に「写真や絵のように、文章で情景を切り取りたい」と思っていたけど、この本はまさに思い描いていたような内容。「“やる”じゃなくて”なる“」の心境に到った本。じんわりと静謐で美しい佇まいの本なのであった。
「わたしのいるところ」ジュンパ・ラヒリ著/中嶋浩郎訳 新潮クレスト・ブックス