写真家の奈良原一高氏には、1970年代中頃、『流行通信』という雑誌の編集者時代に写真をお借りしていた時期がある。
飯島耕一氏が毎号書き下ろしてくれる詩と、奈良原一高氏の写真(確か、詩に合わせて選んでいただいたはず)を組んだ見開きページは、文章も写真もきっぱりと美しく、選び抜かれた言葉と選ばれた写真とが共鳴して何か別の世界を拡げていくような輝きがあった。
担当をしていた当時は、若くて何も分からなかったが、今にして思うのは、素晴らしい才能と豊かな感性に、毎月、直に触れていたのだなぁ~!ということだ。
奈良原氏が1958年に発表した「王国」は、北海道のトラピスト修道院と、和歌山県の女性刑務所というまったく異なる環境ではあるが、共に”閉ざされた壁の中の世界”だ。
ルポルタージュするように撮影した写真の数々は、静かで孤独で、捉えどころのない疎外感が漂っている。写真の一枚一枚を観ていると、気持ちが静まって、思考することへの意識が高まる(ような気がする)。
年が明けて以来、あまりにも多すぎる(しかも余計な)言葉ばかりが流れている今、「王国」に満ちている静けさを見つめたいと思う。。。
で、実は、近代美術館の主要な企画は、高松次郎「ミステリーズ」で、高松次郎氏も、同じ頃、雑誌で原稿をお願いしていた記憶がある。
光と影、点、紐、遠近法のあれやこれや、・・・・こちらの作品は、写真だったり、オブジェだったり、ドローイング、彫刻、絵画見る人自身を投影することで描かれる揺らぎだったり、いろいろあれこれ。
制作されたのは1960年代後半から90年代にかけてのものだが、なんだか近代がとても懐かしく、楽しくなる展示だった。
それでね、実は、今回の一番の感動が、「騎龍観音」を観られたこと!
明治23年(1890年)に、原田直次郎によって描かれた「騎龍観音」の絵だ。
写真で観たことはあったが、本物を観るのは初めて!
ヨーロッパの宗教画と日本の伝統的な観音像が一体化した油彩画は、それと知らずに足を踏み入れた収蔵作品展の奥の壁に、光を放って展示されていたのだった。
”神々しいまでに美しい”とはこのことか!
龍の眼の強さ、彼方を見つめる観音の美しさ。。。激流のごとく激しく逆巻く海と龍、それを足下にすっと立つ観音の広々と雄大で柔らかな姿。ドラマティックな構図に感動する。
「ここにいたのね~!」との思いが胸に満ちる。
ま、ワタシが知らないだけ、ってこともあるけど、今まで何度もいろいろな展覧会を観に来ている近代美術館で、日本の近代美術の草分け的な「騎龍観音」に出会って、900円の入館料でワクワクドキドキ、大きな嬉しいこと3つ、の午後であった。
「奈良原一高 王国」、「高松次郎 ミステリーズ」共に3月1日(日)まで、竹橋の東京国立近代美術館にて。
「騎龍観音」は、収蔵作品展にて展示。期間は変わることあり。