izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

陳鑫著 「陳氏太極拳図解」その17〜斜行拗歩

2022-01-10 15:30:15 | 太極拳

前回アップした時からどれだけ時間が空いたことやら。。(^_^;)

やっと時間的な余裕が出来て、続きを打ち込み。今回の「斜行拗歩」は、原本にある図解説明を翻訳しているので同じ言葉が何度も出てくるが、じっくり読むとかなり理解が深まる(ような気がする。。)。

太極拳の理念にある易経(八卦の方向と意味)が説明されているので、そんなところを意識してみると面白いかも。

〜〜〜〜〜・〜〜〜〜〜・〜〜〜〜〜〜

第八勢 斜行拗歩

 一旦その場に立てば顔を正北に向け、第二金刚捣碓に至れば顔は西に向かう。第一収の際、身体は既に西南に向かっている。斜行拗歩に入るが、胸は西南に向け、眼は西北にある右手を見ながら身体を捻らす法をとる。

①右手は西北に向わせる。ここは義の艮方、文の乾方である。②左手は東南に、ここは義の兌方、文の巽方である。③この勢は伏義八卦艮兌震巽の方である。④身体を捩らせ、上下手足は方向を決めない。

⑤歩の動きは義の八卦四隅に合致させる。

⑥卦の方位は拳中では又別な身法とされ、⑦詩の自由自在であるが如く、東西の方角にはとらわれない。⑧左足は西南に、義は巽方で文の坤方である。

⑨腰を一捩転すれば、上体が自然に捩転し、下体もこれに従う。ともかく、腰は上下体の枢軸である。

⑩震方は文の艮方である。右足は東北に置く。義は震方で文の坤方である。

 

 本勢は身法を変化させ、四方骨節も相互に呼応して、全体の開合と一つになるため中気は自然に全体を貫き、上下一気となして流通(貫通?)する。形こそ変化するが理念は不変で、これはいわゆる異なれども同じであるの理。

①本勢の身法は最も難しく図解ではその捩転の形が解釈しにくい。ましてやその内勁の動きは形容が難しいのは当然である。内勁は左手を纏わり、肱へ逆転させ、背勢勁も肱から指腹前部へ纏わって合わせる。

②右手を逆転一回りさせ、内側に引っかけた時、内勁は内側から外へ纏わり、指へ向かう。これも胸前で合わせられ、左右の手は一斉に合わせられる。

③この手は動作が完成されたときには背後へ回す。

④左手は後ろに指を揃えて置き、東南に向ける。

⑤左手のスタートは、膝頭を抱いてひとまわりし、その勢で東南へ運び、手甲は西南に向ける。西南は身体のある方向である。左手は後ろへ持って行く。

⑥手甲は肱に向け、新月のように軽く曲げ、ひとまわり逆転させる。

⑦左足は西南に向け、前におく⑧右足は東北に向け後ろへ置く。⑧右手のスタートも膝を抱いてひとまわりさせ、その勢で内側に引っかけるとすぐ西北へ向かって運行させる。逆転ひとまわりして手を内側へ引っかけるとき、手は勁に従い、西北に運用させる。身体は西南に向け、右手甲も西南に向け、眼は右手の中指を注視し、左手から先に膝を抱き、右手も続けて膝を抱き、右手を前に左手を後ろに置く。スタートの時は左から先に、右手はそれに続くが、運動が完成すれば右手を前に左手を後ろに置く。

 

斜行拗歩

 “斜行”は東北から西南に向かって左足をまず大きく一歩出し、右足も一歩それに続き足の前に置いて、まだ立ちとどまらない中に左足をまた西南へ大きく約2尺あまり出して停止させる。左二歩右一歩、すなわち三歩続けて斜めに行く歩法で、“拗歩”とは左足を西南、右足を東北へ、右手を西北、左手を東南へ手足を別方向へ運び、左右の手を異なった方向へ運動させる歩法である。初収後、右手のリードで左手と左脚は半寸ほど後ろに退き、左手は上に、左足は下に、斜め西南方角へ約2尺ばかり大きく開く。左手は後ろに向かって半廻り逆転させる。

 この場合の勢は、軒水が地に注ぐように早い。左手を逆転させ膝を抱いて後ろへ引くとき、右手もこれに従い、上から下へ逆転させ、左手を逆転させ膝を抱いて後ろへ向かうとき、右手はこの勢について上から下へ逆転させ、膝を抱いて後ろに向かって上行した後、前へ持ってくる。右手が後部へ行った頃、左手は続いて前へ運び、右手を十分ひとまわりさせたら順勁で内側から外側に肱に纏わせ、腕を広げて前へ持って行き指を合わせる。指は下を引っかけるようにし、眼は右手指を見つめ、右手は伸ばして開き、四本の指は揃えて並べ、親指は揃えることができないが、第二節は食指に寄り添うようにすると上下一斉に合わさる。両手は各自の動作をなすが、左手の運勁が終わってから右手が始まるわけではなく左手がそこへ来ると右手に続いて運ばれ、左手が前に転回すると右手も後から前へ回る。前後いささかの差にすぎない。肱を伸ばせば右手はひとまわりして腕を伸ばし、左手も続いて後ろへ転回され、腕をゆるやかに小さくひとまわりさせて開く。

 

①左右両手とも二回りする。図で説明できなかった部分をここに説明する。

②順勁は内側から外に向かい、順纏のまわしは内から上へ、外へ、下へと行き、下から内側へひとまわりするのが斜纏法である。③右手の内勁図。④この手は右耳そばから始まる。⑤下行は水が地に注がれるように非常に早く⑥勁は下から上行し逆転ひとまわりすること車輪のように⑦順纏でもう一度小さくひとまわり、⑧手を内側へ引きかける。⑨右手を上へ持って行き、内側に向かって引きかける。⑩左手の運勁は肱を前に手甲を前に向け、纏わりながら広げ、腕は逆纏を用いる。逆纏とは腋から外へ、外から上へ向かい、内側に向かって再び腕腹に帰るが、十分にひとまわりすれば斜纏絲となる。

⑪これは右手に従って右へ一寸ばかり引導する。

⑫左手からスタート⑬もう一度まわって下に向かう。⑭左手は上まで運んでひとまわり⑮下から上行させる。⑯軒の水が池に注ぐような勢いで逆転させ⑰斜下から上行し⑱左足勁⑲終わり⑳はじめ㉑このとき、左手もひとまわり小さく逆転させ五本の指を揃える

 

斜行拗歩艮兌震巽をもって取象

 艮は手のことで、右手は西北に、文卦は乾、乾健は艮止で手で物を止める意味で、的が我を侵すことができないようにする、実に剛中の気である。左手は東南にあり、物を崩壊する力があり、敵は懼れて犯せない。文王の卦は巽でこれは風を意味し、手の運行が疾風のようで的に応ずること妙を得ている。白眼手を後ろに置くと心もそこを顧み、まるで手も物を見ることができるようになる。すなわち、眼で見なくと見えるが如く、白眼で物を見分けるので余裕をもって敵に応ずることができる。我に近づいて侮ろうとするものは、後ろにある左手によって撃退され、このとき、手が動けば全身の骨格皆これを助ける。それでももともと左手一つで敵を撃退できる力を具えているから心強い。左足は西南にあり、辰巳は左足が進退する前にすでに進退を知っており、文卦は坤で、左足が上体を支持するように守り力の大なること衆を集めたようで、少数で多数を打ち負かす。右足は東北にあり震である。震は雷のように疾く耳は竜、右脚は龍の如く変化は測りしれない。これは足の不安定を静止し右足の力を固める。文卦は艮、艮は山で右足が東北にあるのは、山のように穏健であることを示し、手の指は敵が後ろから追ってくるのを防ぐ。すなわち動物の蹄、鳥の嘴のように力強い作用をなす。本勢の手足は四隅に位置し、各々一角をなす。中気を四肢に運び、各々その作用を発揮するのは兵を用いる元帥の謀略にも似て、三軍の勢力を以て勝利を勝ちうる。斜行拗歩の奇兵はこの通り、奇しくも正しい道にそむかないので勝ち目にあうわけだ。

 

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形意刀を教わり始めたヨ

2021-07-26 13:30:55 | 太極拳

東京に緊急事態宣言、横浜にはまん延防止等重点措置が期間延長されている中ではあるが、昨日は陸 瑤先生の形意拳講習会を受講するために八王子まで。

金曜日から無観客でオリンピックが始まったが、なんだか普通の人たちの生活とオリンピックが別々の次元の出来事のよう。4連休の最後の日、新幹線に乗って出かける(帰る?)人たちで横浜線は新横浜駅まで混雑。バスケットボールの試合でもあるのか、ボールを持った少年たちのグループも乗っているし、家族連れで旅行でしたか(?)と思われる人たちも大勢。(帰りに根岸線に乗って外を見ると、横浜スタジアム周辺には柵が張り巡らされている。試合が終わったのだろうか(ソフトボールと野球の会場なのだ)、選手達を乗せるバスが2〜3台止まっていた。プロ野球の試合があるときは駅もJRも観客でいっぱいなのに、車内も駅もガランと空いていた。。。あ〜あ、なんだろうな〜である)。

 

昨日の講習会で、陸先生は何度も繰り返し「緩めないッ!!」「ファンソンなしッ!!」と叫んでいた(昨日の参加者はほとんど女性だったしね)😅

形意拳は太極拳と身体の使い方が違う。太極拳でしきりに「力を入れるな」とか「ファンソンして」とか言われ続けてきているから、身体の芯がしっかり定まらない人が多いのだ。でもそれは誤解。太極拳でも力は必要。身体の芯を真っ直ぐ整えて(足の裏とアタマを繋げる、とワタシは理解している)グラグラしない。柔らかさの中に強さがあるのが太極拳。それに対して、形意拳は足から腰から、手を貫いて真っ直ぐに出ていく強さが特徴かな。。。(脇を締める、膝を開かない、足は一線上におく、などは太極拳と大きく違う点)。

 

練習は、基本の站桩(タントウ)から始まって(最初は両脚そろえて”猿”になるつもり。それから左右の足を踏み出して三体式。各5分ずつ立つから、慣れたとはいえ大腿部はプルプルだ・・。翌日はお尻の筋肉も痛い。お尻は締まってるからね)、その後、五行拳、連環拳、八式の復習と続く。

五行拳は、身体全体を使って手を出すことを繰り返しチェック。中から伝えて手に至るーその力の出し方を細かくチェックされ(「もっと身体を使って〜!!」を身体ごとで指導。女同士だから遠慮なく密着だ。イヤでも”分かりました”)。講習会ごとに、要求はどんどん深く細かくなる。

その五つの基本動作(劈・崩・横・砲・zuan)を組み合わせての連環拳、八式のおさらい。順番に気を取られると足・腰が使われていないことになるので、陸先生から「○○〜っ!どこ見てるっ〜!?」とか「△△〜っ!違〜うっ!!」とか大声が飛んでくる(^_^;) 出来てると思っても、いい加減になってるのだ。言われた通りにやってみて「そうっ!!」となって身体が感覚を覚えてくれればヤッタ!である。(でも、またすぐに忘れる(^_^;)。忘れるー思い出すー少し忘れるーまた思い出す、行きつ戻りつの繰り返し)。

 

月に一度の形意拳講習会、前回から刀が始まった。

講習会の後半1時間くらいで、毎回少しずつ順番を教わる。後からその日習った動画を見て復習するも、前回と昨日分、ゆっくりやってほんの46秒程度の順番が後から見ると忘れてるところがあるのよ(^_^;)。左足?右足?やら、刀の方向やら、あちらが出来ればこちらが抜けるで、ありゃりゃ?。。。これで最後まで覚えられるのだろうか??である。

ワタシは武器を使った太極拳は大好き!剣、単刀、槍、双刀、大刀。。。これまで陳正雷老師に習った陳式太極拳器械の数々。当時は順番を覚えるのはそれほど難儀なことではなかったけれど、年ごとに記憶力が低下してくるから、今は流れをつかむのに四苦八苦である(よく考えれば、徒手の身法がしっかり出来ていれば、順番は自然に覚えられるのかもしれない)。

何はともあれ、いくつになっても新しいことを覚えること、挑戦しようとすることは大事。教室で指導をする立場であっても自分が一番優れているワケではないし、自分で考えるだけでは得られないことはある。習うことは嬉しい楽しい!太極拳の世界がどんどん広がっていくのは大きな喜びである(時々怒鳴られることがあってもネ)。  

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「陳氏太極拳図解」 陳 鑫 著・華 厳峰 校〜その16〜初収

2021-06-30 13:18:21 | 太極拳

すっかり間が開いてしまった(^_^;)「陳 鑫の陳氏太極拳図解」その16。前回の「初収」の続きなのだが、翻訳と原本を付け合わせながらであるが、理解しやすいようにとのことか(?)文章の組み立てを変えてあるので、いまいち分かりにくい。動きの順番説明にとらわれず、後半の動きの目的(何をしている?)をイメージするのがいいかもしれない。

次回のアップはいつになることやら(^_^;)だが、図を見ながらボチボチと進んで行こうと思う。

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前題七言俚語

渾身純陰の如く縮め陰中に陽を秘し、徐々に人を引き入れ、意を留めるにつれてますます深さが増し、右実左虚におさめ上に掲げ下につかむ。

① 左手を背後に置き、指をそろえ、左に向かって前へ一回りさせ、左胸前に落とす。手甲は外に向け、に右手と相向かうが左手をやや高く、右手をやや低くおく。

② 左から右へ回す。③ 左手④ 右手⑤ 右手からスタート。

⑥左足指を地に着けるのは虚足で、下勢起端の準備姿勢である。

⑦右足を平らに地に踏みつけるのは実足。

⑧右手は胸の前から上方へリードし、左に向かって右へ運び、肘を落とし、指を右耳の側へ持って行き、上を向け、やや斜めに向かって上行する。頬から約一尺の位置で落ち着く。

 

 初収は第二収と区別されるためにつけられた名称で、状勢は右手を前に、左手を後ろに置き、始めは精神も統一していないが、その両手を胸前に引き、その外形が一カ所に集中すると精神も集中するので「収」と名付けられる。これは又、上が開き、下に伝わる脈を言う。右手は下から左上へ行き、左から右転一回りさせ、手を下ろす時、手は内側を向き、斜めにして上に運ぶ。敵が肱で我を侵すと我は右手でこれを迎え、両手両肱で我に手向かう時、我は右手で彼の右手を引いて我に近づけるが、敵が前進しなければ我は彼を撃ってはならない。右足をあげ、右転一回りしてやや内側に三・四寸移し、着実に地を踏むと、右手を動かし、左手もこれに続く。左手は後から左上を行き、左から右転一回りして胸前左乳が左虚、上に撃ち、下に提げ、縦横自在成果は無窮である。

以下続く(2021,6,30)

   

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含胸抜背とか、沈肩墜肘とか。。。。

2021-04-27 14:47:03 | 太極拳

太極拳の練習には、基本となる身体への要求が多々ある。

立身中正、虚領頂勁、気沈丹田、剛柔相在、虚実分明、含胸抜背、沈肩墜肘、上下相随、陰陽相在、軽妙沈着、内外相合・・・・四文字熟語ばかりだ💦。

同じ漢字文化の国だから、文字から大体の意味は分かる。しかし!日本語とは微妙に意味するところや考え方が違うところがあり、その違いを間違って認識している面が多々あるのだった。

 

一番大きな違いは、腰はどこ?

日本人的には、腰はイコールヒップ(骨盤周り)。と捉えていることが多いが、腰とは腰椎の周り。多くの日本人がイメージする腰とはヒップのこと。骨盤の方だ。だから、腰を回すと言うと骨盤を回している人が多い。骨盤は骨だから回らない(若干の上下、左右、前後に動くことはあるが)。これやると肩も一緒に回って身体の軸はグラグラ。膝は内側に向いてしまう。四角い上体が右や左に向くだけで、力を出す動きにはならない。腰からの力が肩―肘―手首と伝わって、最終的に指先まで気が通る(勁力が生まれる)。

手足を動かすのは筋肉。腰を雑巾絞りのように右と左に絞ることでそれを解いた時に全身にふわっと気血が流れる。ある中国人の先生は、「腰と骨盤は反対方向に回す」と表現していたが、呼吸と合わせてやってみると確かにギュッと絞ってからの解きは、全身に伝わるのだった。

 

ここ数年、陸 瑤先生の指導に接しているが、講習中に何度も言われるのが「含胸抜背」と「沈肩墜肘」。陸先生は最近はYOU TUBEで太極拳の用語解説も始めていて、勉強になることが多い。

「含胸抜背」は胸を縮めて背中を丸くする人が多いが、それはただの猫背!背中の筋肉は緊張して、胸は縮んで萎えている。。。これは違う!前後協調して身体を支えていなければ太極拳でいうところの“掤勁”にならない。“柔”ではあっても“軟”ではないのだ。

“緩める”と“萎える”が似て非なるものであるように、胸を閉じて縮めて背中を張り出すのは“含胸抜背“とは言わない。

過日のオンライン配信では、陸先生は、私たちに“抜”という字の意味から考えさせた。

“抜”を使うのはどんな場面か?――大根を抜く、とか何かを引き抜く、という動作。それから考えれば“抜背”とは背を抜く。ン?背中を抜く〜?!。。。。ここで思い出したのが、亡くなったワタシの師である三代一美先生が語っていた「“抜背”は、背中の力を抜くことよ」という言葉。

背中の力を抜くーーと言っても背中全体の力をダラっと抜くのではなくて、脊柱は上に尾てい骨は下に引き合った状態で、息を吐いて肩の力を抜く(肩甲骨を下げる)。 上に引き上げる、といっても腰から下は下に、地面の奥深くに根を下ろすように沈めているのだから、腰は浮かない。肩甲骨や肩も上がらない。背中から脊柱だけを引き上げる、と言ったイメージ。背中を立ち上げる、背中を伸ばす、といった方が分かりやすいかもしれない。。。

言葉は違っても言いたいことは同じ。だから、陸先生の解説を聞いて初めて一美先生が言いたいことが、確信としてストンと腑に落ちる。

同じことを言っているのだが指導者によって言葉が違うことはよくあること。それを「違う!」と受け取るか「あ、同じことだ!」と受け取るかで、学ぶ側の意識が問われる。学べることは楽しい!

 

もう一つの「沈肩墜肘」も重要なキーワード。

肩が沈めば肘が墜ちるーー太極拳では、根節―中節―末(梢)節という言葉がある。

手や足の付け根は根節、肘や膝は中節、足首・手首は末節だ。足の裏(湧泉)から大地の気を吸い上げ、足から腰に上がり、背中を上がり、肩から肘、手(〜指先)まで、身体全体に意識で気を通すことが要求される。

“意によって気を生じ、気を持って身体の隅々まで勁を運ぶ”のが太極拳運動の原理(勁は力。ただし硬い剛の力でなく、柔の力のこと)。動きの中の手の動作は、必ず、肩―肘―手、の順番で伝わって形となっていくもの。手を下ろす動作は、いきなり手が下に行くのではなく、肩が沈む(緩む)→肘が落(墜)ちる→手首が収まる。。。という順番で、最終的に出来上がりの形となる。

ちなみに、手を上に挙げる動作は、肩を下げれば軽やかに動作を完成させることができる。物理でいう運動の原理と同じ。手を上に向けようと思えば肘を下げればよく、肘を下げようと思うなら肩を下げれば良いのであった(こっちを下げればあっちは上がる、である)。例えばまた、ボートを岸から漕ぎ出す場合、オールで岸を押せばボートは水面を反対に動き出す。昔々の中学か高校生の頃の教科書の絵が浮かぶ。

太極拳は物理の原理にも適っている!と、これまでも何度か感じたことであったのだが、中国語と日本語のニュアンスの違いを知ることでこれまで何度“目から鱗が落ちた”ことか!陸先生には感謝感謝!である。

陸 瑤先生はYOU TUBEで武術用語の解説や健身気功の八段錦や十二法を配信している。とってもとっても参考になりますヨ!

 

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「鬆」と「緩」、「旋」と「転」ーー日本語と中国語。同じ文字でも意味するところが違う

2021-04-07 11:19:43 | 太極拳

太極拳は中国の伝統身体文化であるから、そこで言われる言葉は中国語である(もちろん!)。

漢字であるから文字を見ればおおよその意味は分かる。。。しか〜しッ!日本語としての理解でいると、思わぬ違い(それも基本的なこと。大きな間違いになる違い)がある。

 

よく聞かれる言葉に「放鬆(ファンソン)」がある(放松と書くことも)。

最初に太極拳を習い始めると、「力を抜いて」という意味でしきりに言われる言葉だ。

これを単純に力を抜く、緩める、と取ってしまうと、身体全体の芯もだらっと抜けて、「立身中世」も崩れる。丹田にも力(気)が入らない。やがて腰回りやお腹周りが締まりなくだらっとしてきて、歳を取るほど体型が(普通に)崩れてくる(!)。”剛柔相在”ー柔らかさの中に強さもあるのが太極拳なのであります。

 

日本人が理解している「緩む」の状態は、実は中国的には「散」。バラバラになることを意味する。「散」を避けるとは日本でも指摘されるが、では「鬆」とは何?

song)は、中国語でも緩むという意味はあるが、空間を空けるとか、ゆとりがある。キツくない。といったニュアンスを含んでいる。硬く結んだ結び目を緩める、ネクタイを少し緩める。ほどくなどなど、バラバラになるのではなくて元はまとまっているのだ。

「鬆」は緩まない。身体の芯はしっかりと立ち上がって力がある。その中に柔らかさ、弾力、膨らみがあることが要求されるのだ。

Wikipediaによると、鬆は、日本語では「す」。「本来は均質であるべきものの中にできた空間をいう」とある。蓮根の孔とか煮過ぎた豆腐にできる気泡のようなもの。いずれにせよ、実体があるものの中にできるゆとり、隙間、空間。。全体が萎むわけではない。

 

 

同じように転と旋の違いもある。

「転」は転がる。軸を中心として回転すること。

一方、太極拳や気功は「旋」。回転に方向性が加わることで旋転となる。(足元から)巻き付くように(全身に伝わり)、(足から手に)纏わり付いて、(上下に)伸びていく、(左右に)広がる。。

伝統拳で良く言われる「纏糸勁」は、形としては前腕が内旋・外旋をすることによって掌が外に向いたり中に向いたりするが、これは軸を中心として回転すること。陳式太極拳ではそれに方向性が加わることで「旋」になる。台風とかトルネードの渦巻きをイメージすると分かりやすい。下(足の裏)から湧き上がった渦巻きが背中を通って大きく広がって指先に至る。その中心は柱のように下から上まで繋がっている。これが「旋」。螺旋階段のように柱に巻きつきながら上がっていく感じ。

 

他にも“拳理”と言われる言葉(大抵は四文字熟語)がいくつもあって、文字面だけを見ると難しくもない(と思ってしまう)が、正く理解するには相当の意識と感覚が必要。四文字熟語大好き!なワタシ的には、言葉の説明は簡単。でもそれを身体の状態で説明するには言葉の真の意味を知り、身体の感覚を認識してそれをもう一度日本語に置き換えるのが必要。でなければ人に指導するにも行き詰まる。指導する立場になっても、勉強はまだまだ続くのであります。

伝統拳は知れば知るほど深い!面白い!!

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