曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

「僕は力強く生きて行きます」

2018年11月30日 | 心に響く言葉

「僕は力強く生きて行きます」

彼は父親のお別れの会の時に、父親と、参列者に誓いました。

彼は27才。言葉は話せますが、重度の身体障碍者です。電動車いすでの移動はできますが、すべての筋肉が弛緩しているため、背筋も伸ばせないため、真っすぐ座ることも出来ません。手を持ちあげることも握ることも出来ないので、アームバンドで手を車いすのひじ掛けに固定してボタンを押します。

ですから、すべてに介助が必要ですが、昨年から「いずれは両親の力を借りずに生きて行かなくてはならないから」とヘルパーさんの力を借りながら、ひとり暮らしを始めました。

その矢先、父親が癌での余命宣告。

でも、父親も闘病を頑張り、生き抜きました。

誰もが、悲しみに暮れているだろう、打ちのめされているのではないか。これからどうやって生きて行くのだろうと、彼とその母親の顔を見るのがつらいお別れ会でした。

けれども、二人には涙はありませんでした。

3人で力を合わせて、精一杯生きてきたから。

3人で大事な時間を過ごしたから。

3人での旅行の様子がスクリーンに映されました。いつもお父さんかお母さんと2人、そして誰かに写してもらった3人の写真。どれもとびっきりの笑顔でした。

 

最後のあいさつで彼が言った言葉。

参列者に向かっていた彼は、「先にお父さんにいいですか?」と父親の遺影の方に向きを変え、大きな声で

「お父さん、本当に今までありがとうございました。お父さんが出かけるとき、いつも僕をどこへでも連れて行ってくれました。僕の身体介護もよくやってくれました。本当にお世話になりました。あなたには感謝の言葉しかありません。お父さんの息子で本当に幸せでした。

これからは、お母さんと力を合わせて、力強く生きて行きますから、天国から見守ってください。」

そして向きを変えて私たちに

「母と二人、力強く生き抜きますから、皆さんご支援のほどよろしくお願いします。」と最後まで大きな声で涙なく話したのです。まるで甲子園の選手宣誓のように、高らかに。

27才の立派な青年でした。

ついつい、彼の事を○○ちゃんと呼んでしまう私ですが、五体満足で何の不自由もないのに、なんだかんだ不平不満を言ってしまう自分が恥ずかしいと思いました。

そんな風に育てたご両親も立派です。

もうね、この言葉と聞いた、葬儀場の方々が、(たぶん、何もできない、よくわかっていないとか思われていたと思うんですが。だって、首もぐらぐらしてしじゅう動いてしまうような車いすの彼ですからね)絶句してしまって、進行が止まってしまったんですよ。

葬儀で感動したなんて言うとおかしいかもしれないですけど、もしかしたら今までで一番感動した言葉ではなかったかと思います。

私も、力強く生き抜きたいと思います。

 



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