じわじわと、ぞわぞわと近づくコロナ禍。
急拡大したその時期にまともにぶつかってしまった実家母の法事は、コロナの泡の中に潰えてしまいました。
1年前の葬儀もそうでしたが、近い親戚すら集まれずの中で行いましたが、今回1周忌はと、それなりに準備をしましたが、直前に中止やむなしの決断。
親も従兄弟も全員高齢者。ひ孫もまだ小さい子どもばかりとなれば仕方ありませんが、私は兎も角、弟が結構打ちひしがれております。
義妹も珍しく詫びを入れてきました。
今回の法事の中止よりも、わたしゃ、新暦のお盆に「○○さんが初盆だからと家にお参りに来た。うちはそういうことはやらないからお参りもくれぐれも心配しないでくれ!飾りも何もしてないし(つまりお参りに来るなって事よね)」と言われたほうが、どっちかと言うと腹が立っているので、(まあそういうやつとはわかってはいたが)中止の判断は結果として良かったと思いますが、(感染者も出たし、自宅待機者も何人か出た(^_^;)別に欠けてしまってもいいんじゃないかと思うんですけどね。もう、きりがないし。集まれる人だけで執り行えばいいのにとの思いもあるし、まあ、うちのBこさんをどないするか?って問題もあるし。しかもご本人あの状態で、当然のように出席するつもりでいるのだからすごいわね。)
で、当然用意していた生もの等は配りに行くわけで。同じことじゃん?って思うのは私だけで、弟は一度このようにやると決めたら、融通をきかせて臨機応変には出来ないようです。
もうね、そういう葬祭関係は弟に全て任せ、一切私は口は出さないと決めているので、悶々とするものはあるものの、実家の仏前にはお参りは出来なくてもお墓の方には行ける訳だし。それこそ、「お墓の中にはいない」かもしれないですけど、母親は私の心と体にいるわけで、その血を引いた子供や孫もいるわけで、形は関係ないしね。
と、自分自身を納得させているよし子がお送りしました~~。
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