昨年交通事故後のリハビリ病院に入院中の審査で、要介護1を認定された実家母Yこさん。
あれから、丸1年経ち、介護認定の審査を受けました。
歩行の方は、杖は使用するものの、かなり歩けるようになり、介助はほどんと必要無く、速度もいつも、オット母のよちよち歩きに付き合っている私を置いて行ってしまうぐらいの早さになりました。
審査後の認定待ちの間に、事故後1年そして、フォルテオがそろそろ終了になるかもとの骨密度の審査があり、私が付き添って行ってきました。
最近はオット母Bこさんにつききりで、実家母Yこさんは、一緒のデイに行く日にバスに乗り込んでいるのを、Bこさんを送りだす時に見るぐらいで、ご無沙汰しています。
検査の日の朝、天気はよく穏やかではあるけれど、歩かせるのはどうなのかと、車で迎えに行ったのですが、本人は歩く気がまんまんで、どんどん、病院の方に行ってしまいます。あわてて、車に上着を取りに行き、追いかける私。
Bこさんは、認知の方も引っかかっているんですけど、Bこさん、一番の問題は、人の言う事に耳を傾けられない事です。思いこんだままというか、自分の思うままに行動してしまうんです。
その日も検査のみで、結果を2週間後の予約の診察日に教えてもらい、検査の結果で、今自己注射で行っている、フォルテオから、別の薬にすることになっているのですが(本当は2年間フォルテオが打てるはずですが、どうも効果が今一のようで、別の薬に変更になるようです。と言う事は、なかなかBこさんには理解できないので、単にフォルテオはもう終わりになるんだってよとだけ言ってあります)
その日は検査だけだというのも、なかなか納得していないまま、検査に入りました。
実はYこさん、なぜか靴の「装具」にこだわりがあり、リハビリ病院入院してのリハビリ中に「装具」をつけるかもと言われ、結局必要がなくなったんですが、「装具」をつけるだの、特殊な靴を買わなくてはいけないだの言って、同じ靴を何足も勝手に注文してしまったことがありました。
その後、総合病院の方で、「足底板」を作ってもらい(保険を使って)前回も「装具を作るといわれた」と言いだして、装具の方にまわったんですが、結局保険では一度作ってあるので、1年半以上経たないと作れないし、それも、何が不具合があればだけれども、何もなければ新たに作ることはできないと言われました。
その時、何度も説明したので納得しているのかと思ったら、またその日も
「(装具を作るから)靴を持って行く」というので、
「装具の方は予約してないし、必要がないと作れないんだよ。」と言うと、
「じゃあ、靴を病院に置いてきて作ってもらう。」
「今日はね、靴は置いて来れないよ。予約してないからね。この次診察の時に先生に聞いてみようか。今日は持って行っても病院でも困るよ。」
と言っても、なかなか理解できず、靴を持ったまま、すったもんだ。
まあ何とか、それは納得したんですが2つある検査の順番が変わるともう、わからなくなってしまって、検査室の前で、「ここじゃない」とごねまして…。
レントゲン室でも、質問の答えはあれあれな内容だし、この向きだとか、この辺まで上がってとかいうのが、わからないらしく、大声で指示されているのが外まで聞こえてきました。
どうも、服を着たまま撮影するというのが理解できなかったらしく、血液検査に回っての順番待ちの時に、(あと、30人前にいる。もちろん、老若男女同じ部屋で待っている)なぜか服を脱ぎ始め、おいおい、上着だけでいいよ、皆着たまま腕だけ出しているよと言うのですが、ずるずるシャツから肌着から出し、ズボンのファスナーも降ろしそうになりました。
「腕から血液取るから、お腹は出さなくていいんだよ。」と言うのですが、もしかして、お腹に自分で注射するフォルテオと間違えている?
と思うと、「いや、レントゲンとるのに、だって、ボタンはファスナーは外すでしょ?」
「……、レントゲンはさっき撮ったでしょ?」
「でも服を脱がなかったから撮れてない。だってここにボタンがあるから。レントゲンは撮れてない。」
「今はね、腕を出せばいいんだよ。ここでは、ほら、皆腕を出しているでしょ?」
なんて言っているうちに順番が来て、一昔前の若者のズルパンのようになって、血液採取。
そして、そのまま、部屋を出ようとするのを、なんとか押しとどめ、ズルパンをなんとか、シャツを入れズボンを引き上げ、書類を受け取って、整形外科外来に戻りました。
Bこさん、だいぶお耳の方も、遠くの方に行ってしまったので、検査待合室で大声で説明しなくてはならず、出ているシャツの端を持ってBこさんの背中を追いかけるという図でごぜえますだ
長くなるので続きは、次に~~~
まあ、こんな様子ですから、要支援にでもなってしまったら、かなりんでありますよ