曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

男は(も)現実を受け入れられない?

2014年09月07日 | 日記

カテゴリー日記 ジャンル「子供」としましたが、親子であるので、自分の息子の事は「子供」ではあるんですが、大人か子供かとなると、大人の「子供」のお話でございます。

もう、私、いわゆるマゴつうもんが出来て数年。

大分、「おばあちゃん」と言われるのも自然になりつつあります。

ここも、さっきの子どもか大人かの時と同じく、世間的な「おばあさん」と、「祖母」が同じ言い方な為、正直「おばあさん」と言われるのには抵抗がある年頃ではあります。

で、我が息子、もうおばあちゃんであるわたくしめにですねえ、「かわいい」「お母ちゃん」でいてほしいと望む訳です。

まあ、そりゃあ、おしゃれを忘れてどうでもいい格好をするのはよくないとは思いますが、決して、年齢よりも老けて見られる訳でもなく、昔に比べれば、そりゃあ、それなりに「年を取って」仕方がないじゃないですかねえ。

「おばあちゃんなんだけど、それはわかっているんだけど、絶対、10年前のかわいいお母ちゃんになれるはず」と言い張るんですなあ。

具体的には「眼鏡を止めてコンタクトにする」→老眼が入ってきたので、眼鏡の方が楽(取ったり掛けたりが出来る)。コンタクトじゃあ、さっとは外せませんものね。花粉症もあるし。

白髪染めをしろ。髪を短くしろ。

こちらは、掛かり付けの美容院の美容師さんが年を取ってしまったのと、白髪染めでアレルギー反応が出てしまって、トラウマがあり、他の美容院に掛かれないってのがあるんですわ。

で、自分で、髪を巻き巻きしているんでありますが、夕方になると、取れてきてしまいますから、まあ、息子が見る時には、どうでもいい頭になっとるんですな。

でもさあ、10年前の「かわいい」お母ちゃんってねえ…。

あんたも10年前に戻れるのか?つうたりましたわ。

まあね、そりゃあ、いつまでたっても変わらない方もいますよ。若い若いって言われる、郷ひろみだって、顔にはやっぱり年齢を感じさせるものがあるじゃない?

逆に年を上手になった人には若い人にはない、魅力がある。

いえね、私にそんな魅力があるっていうわけじゃあない。はっきりいって、普通のオバサンよ。ま、普通のおばあさんになれりゃあ、上等じゃないかねえ。

というか、親が年を取ったのを認めたら?って思うのよね。

自分のおばあちゃんは、どうだったの?今どうよ!

現実はそういうもんよ。

綺麗だ綺麗だって言われ続けたBこさんだって、今は…でしょ?

仕方ないじゃない。

いや、努力をしないってわけじゃないのよ。

年相応に人間は年を取る。年を取れば若い時とは違うって事を、認めてほしいと思うのよね。

たぶん、息子のこういう気持ちが、親の衰えを認めることが出来ず、介護に支障が出るってやつだろうね。

オットや、自分の弟を見ていても感じるね。

それにね、先日、Bこさんがばったり横倒しになって、病院に運んだ時、自分もかかわっていたのに、Bこさんをそうそう一人にはしておけないとか、送迎や付き添いが必要って、認識がないんだよね。現実としてね。

まあねえ、正直言って、仕事行くよりも大変な訳なんだけど、そういう事がわかってないね。

仕事を辞めて家にいるから、「楽をして」動かないんだと思っているのよ。「だらだらして」動かないんだと思っているんだよね。

家にいれば「暇だ」と思っている訳さ。

まとまった時間が取れない(例えば、お昼前にはかえって来なくてはならない)から、例えば、自分の病院とか、美容院とか、午前中じゃあ、お昼前に帰って来れないし、午後じゃあ始まりの時間の遅い病院では、夕飯に差し支えるし、他にも用があるから、Bこさんの美容院や、病院の送迎及び付き添いが優先で、自分の用事は最小となるわけよ。

となると、髪を染めるだの、パーマを掛けるなんて時間がかかるものはなかなかねえ。

ま、そんな中、結構頑張っている方だと自分では思っているのさ。

これって、子育て中にも言えることだよね。

「自分の」時間がないってどういうことかって、わかってないよね。

なんかね、息子の「かわいい」お母ちゃんでいてほしい。(まあ、これには具体的にああしたら、こうしたらがあったんだけど)

けっこう、ずず~んと重しとなって、心に沈んでます。(ぶくぶく)