京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

シリアの内戦を知る前に、日本人の宗教観と、中東の宗教観を少し考えてみます-1

2013-06-22 01:01:44 | うんちく・小ネタ

欧米諸国が「中東」「アフリカ」「東南アジア」等を植民地する前に、その風土に即した、昔からの宗教がありました。欧米諸国が植民地化するにあたり、まず、その土地にさりげなく、見かけは自然に自国の宗教を根付かせます。その後、軍艦や軍隊・商人等を送り込み、自国の文化を、その土地にむかしから有った物を強制的に廃止して、自国と同じような文化を植え付け、自然に自国のものとしていきます。これが、一見平和裏にみえる植民地化ですが、大いに違うのは、その後の植民地化された人達の処遇です。見ているうちに、搾取に搾取を重ねたうえ、宗教を植え付けました。また奴隷化され、その国の文化はもちろん、以前から有った宗教も否定され、欧米の宗教を強制され、古くから有った者物を全て否定されます。それが欧米の植民地化の常套手段です。

強硬に自国の文化や文明を植え付けようとすると当然以前記載したように「十字軍遠征」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130530のような悲惨なことになります。

今、最も複雑に「宗教」が絡んでいる地が、「エルサレム」です。

 その前に複雑な「エルサレム」の位置から見てみます。

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「エルサレム」は「イスラエル東部」にある都市で、「イスラエル」は首都と主張しているものの、「国際連合」を始めとして多くの国家は認めていません。

 「エルサレム」の都市

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「エルサレム」は、「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」の三つの宗教の聖地です。もとはイスラエルの「エルのユダヤ王国」の首都で、「エルサレム神殿」がありました。

 今も残る「嘆きの壁」

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「嘆きの壁」は、「ローマ帝国」が紀元70年に破壊した「エルサレム神殿」の外壁の一部で、ユダヤ教徒が祈りを捧げます。また、「イエス・キリスト」が処刑され、復活した聖地でもあり、十字架に架けられた「ゴルゴダの丘」には「聖墳墓教会」が建っています。「イスラム教」では、「ムハンマド」が一夜のうちに「エルサレム神殿」に乗って昇天し、神に会ったとされています。ここにも聖地として、金の丸屋根で覆った「岩のドーム」が築かれているのです。

 この、ほんの小さな都市の、また一部の所が複雑に「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」がかからみこみ形成しているのが「エルサレム」の都市です。

     次記はもっと過激な所へ踏み込みます。


「和」の国、日本国民が守るべき最後の物は・三種の神器のことー15

2013-06-21 00:07:51 | 我が誇れる日本国の事

最後に 「三種の神器」のことを。

地球上の約200ヶ国の国々はすべて個性があり、国の仕組みも様々です。しかし、「天皇」を仰ぐ我が国・日本国のかたちが、他のどの国のかたちよりも優れていることは、前記まで長々と記載した通り間違いないことはありません。」欧米などが近代になって始めてきた「議会制民主主義」はいまだに成熟していません。また、「社会主義」(共産主義)に至っては、国の数が「旧、ソ連連邦」の崩壊で決して安定した形で無いことが証明されました。

 「皇室」の御存在は日本国民の最大の「福祉」を担保しているかも前記にて記載しました。それが無ければ、日本国は「仏教」が伝来して、日本中にいき渡った時点で「宗教戦争」が繰り返され、「王朝」が中国のように、幾度も交代して現在の形に、それか日本国がすでにこの世からなくなっていたかもしれません。

 以上のことから、我々日本国民は「皇祖」から連綿と続いてきた「皇統」を守ることが肝心かと思われます。かつて「三島由紀夫」は、日本人が最後に守るべきは「三種の神器」であると言っていました。「三種の神器」とは、「天皇」が「天皇」であることの「証」(あかし)であり、「御鏡」・「御剣」・「御勾玉」(すがたま)の三つの神宝により構成され、「天皇」のあるところに「神器」があり、また「神器」があるところに「天皇」があると言われています。

 三種の神器「八咫鏡」(やたのかがみ)

 

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三種の神器「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)

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三種の神器「天叢曇剣」(あめのむらくものつるぎ)

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通常は「天皇」と書くと「てんのう」と読みますが、この読み方は中国の「音」であり、この読み方の方が日本の「音」の方が相応しいと考えられて、「大和言葉」にしたようです。しかし、「大和言葉」でも前記に記載したように「すめらみこと」や「すめらぎ」とういような読み方があります。しかし「すめらみこと」は単に「天皇」や「今上天皇」を指す言葉であるにに対し、「すめらぎ」は「皇祖」や「皇祖」から連綿と続く「皇統」を表す言葉で、古代より続く「皇統」の連続性を含んだ文脈で用いられるために、若干の意味が異なります。

ちなみに「三種の神器」と書き一般的には「さんしゅのしんぎ」と読みますが、「大和言葉」では「みくさのかむだから」と読みます。

 「三島由紀夫」が最後に守るべきものとして、「天皇」ではなくあえて「三種の神器」といったその心は、もしも「玉体」と「三種の神器」が同時に危機に瀕し、いずれか一方しか守れない場合は、「玉体」ではなく「三種の神器」を守らなくてはならなという意味です。「三島由紀夫」のいう「三種の神器」とは、すなわち連綿と続く「皇統」を意味しています。「皇統」さえ守れば「天皇」は継承されますが、「玉体」を守るために「皇統」を破壊してしまえば、元も子もないという発想からきたことです。(全く、現在の皇位継承の議論に相当します)

以上のことから、「天皇」を「すめらみこと」でなく、「皇統」の連続性の意味を含めた「すめらぎ」とよむべきでしょう。(あくまでも、理論上のことです)

日本の「皇室」が途絶えることなく2600年以上続いたのは、単なる偶然ではなく、必然の結果と思われます。日本の「天皇」は「千代に八千代に」と歌われるように、未来永劫、継承され守られることは、日本国が未来永劫存在すると共に守られることは間違いありません。「天皇」(すめらぎ)が安泰ならば、我が国、日本国は永遠に不滅でしょう。

蛇足ながら、「天皇」と書いて「すめらぎ」といきなり読むのは違和感があると思います。天孫降臨した「天照大神」を、読みかたの知らない若者が音読みで「てんてるだいじん」と笑い話のような読みかたは一概に間違いではないです。我が日本の「八百万の神」は全て音読みでは読んでいません。「天照大神」と書いて「あまてらすおおみかみ」と訓読み、すなわち大和言葉(和音読み)で読んでいます。それから考えると案外に「すめらぎ」は違和感がないと思います。パソコンでも「あまてらすおおみかみ」と入力すると「天照大神」と変換されます。「すめらぎ」と入力しても「天皇」とは普通の変換ソフトで変換できないのは、日本語変換能力の欠如かと思います。しかし天下の「広辞苑」では「すめらぎ」をしらべると、きちんと「天皇」が出てきます。

「天皇」の継承問題が盛んに議論されていますが、単なる現状だけ見て議論するよりも、その根本から考えてからの議論が必要かと思います。

これらの項目は、今回で終りにします。 


1200年間天皇の御住い、「和」の国、京都御所が本来の皇居のかたちー14

2013-06-19 00:22:11 | 我が誇れる日本国の事

前記にも記載しように、2000年以上もの間「皇室」がいかに続いてきたかです。

京都御苑内「御所」の事についてはかなり以前に記載しました。参照下さい。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111229http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120420

 「皇室」が強い軍事力をもち、抵抗勢力をことごとぐ征伐しその結果2000年以上のあいだ「皇室」を築いたわけではありません。むしろ古代から「軍」を持たない存在でした。

「高松宮宣仁親王殿下」が生前に次の様なお話をなされたといいます。

  「皇族というのは国民に護ってもらっているのだから、過剰な警備などはいらないよ。掘りをめぐらして城壁を構えて、大々的に警護しなければならないような皇室なら、何百年も前に滅んでいるよ」

「今上天皇」の叔父、「大正天皇」の第三皇子「高松宮宣仁親王殿下」(御称号は”光宮”)1987年御逝去

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 「大正天皇」は皇子に恵まれ、第一皇子代124第「昭和天皇」第二皇子「秩父宮親王殿下」第四皇子「三笠宮親王殿下」です。

 「高松宮宣仁親王殿下」は「皇族」であられるので、謙虚なお考えをお示しになられたのでしょう。「皇室」が国民によって守られてきたのであれば、国民もまた「皇室」によって守られてきたのではあるまいと思います。「天皇」と国民は、支え合いながら長い歴史を共に歩んできたのでしょう。

それが現実的によく分かるのは「京都御所」です。現在の「皇居」は、旧「江戸城」で「明治維新」までは「徳川将軍家」の城郭でした。「平安時代」から明治初期までの1200年の間、機能してきた「京都御所」こそが、本来の「皇居」の形です。その「京都御所」には「お堀」がありません。また、敵を防ぐための石垣や、櫓、塀にある「弓狭間」や「鉄砲狭間」、そして「天守閣」など、防御する構造には一切なっていません。そのうえ、「御所内」には兵を駐屯させる建て物もすら存在しません。「京都御所」はまったくの無防備な建て物です。

 「京都御苑」

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「建礼門」

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京都御苑内の「御所」

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京都御苑内の「御所」には一切掘も石垣もありません。

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「京都御所」は設計の段階から敵が攻めてくることなど、一切考えなく建築されたものです。このように、無防備な「御所」に住み続けた「天皇」もまさか敵が攻め込んでくることなど、一切お考えにもされなかったことと思います。

 もしも、「平安時代」末期から武士政権になった「平清盛」や「源頼朝」「足利尊氏」「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」等がその気になれば「天皇」以下「皇族」をひとたまりもなく滅ぼしていたかもしれません。「京都御所」以前の「平城京」や「藤原京」、「長岡京」またそれ以前の都に置かれた「天皇」の「御所」もすべておなじでした。

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以上のような歴史から「天皇」を暗殺しようとする者が一人もいなかったからです。欧州などの内戦は「皇帝」や「王」を殺す目的の内乱や騒乱が多く有りましたが、日本の内乱では武家闘争のための戦争で、「王朝」を倒すための戦争は一度もありませんんでした。

 「清所門」(全くの、無防備です)、現在は時々皇宮警察が巡回にまわっています。

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例外的に「皇位」をめぐる皇室内の抗争は「承久の乱」(承久元年・1206年)など「天皇」が倒幕のための挙兵をした例、幕末には「蛤御門の変」など、大義に基づいたものに限られた騒乱はありましたが、「王朝」を倒すためのものは一切、長期の日本の歴史は存在しませんでした。

 ※「蛤御門の変」は以前に詳細を記載しています。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111230参照下さい。 

その他、蛇足ながら「京都御苑」の不思議「猿が辻」は以前に記載しました。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120422不思議なお話です。

また、京都に市電があった時から「烏丸通」の不思議な道路のことも記載します。(現在は、有りませんが)

※誤記のため一部訂正しました。平成25年6月25日


「和」の国、日本国が2000年以上も奇跡的に国を守ったことー13

2013-06-17 00:08:35 | 我が誇れる日本国の事

前記に記載したように、中国が4000年の歴史を持つ国と豪語するなれば、1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)の蒙古の襲来(元冦)によって多くの日本人が死んだことをどう言い訳するのかと思います。

4000年の歴史にこだわるなら、服属政権「高麗王国軍」(現在の韓国地方)の先導で、侵略の意図を持って日本を二度も攻めた「元」も、中国と同一の国家ということになります。しかし、偶然にも「神風」によって日本は辛うじて国を守ることができましたが、多くの日本の武士や対馬の民が命を落としただけでなく、「鎌倉幕府」滅亡の要因になりました。中国が、日本を「軍国主義」呼ばわりする前に、「元」の侵略の反省をするべきとおもいます。もしも「神風」が吹いていなければ、今頃は日本列島は中国の一部になっていたかもしれません。

 「蒙古襲来」の他にも日本の危機はありました。幕末から明治維新にかけて、日本を植民地化しようと狙っていた欧米列強が次々と艦隊を派遣したのも、日本にとって脅威でした。長州の「高杉晋作」や幕臣の「勝海舟」がいなければ日本の西半分は「イギリス」の植民地に、また「明治維新」が無事に行われなかったら、やはり欧米の属国になっていたかもしれません。東南アジアで植民地化されなかった国は「日本国」ただ唯一の国です。

 そして最大の危機は「大東亜戦争」に敗北したことです。連合軍は当初、皇室を廃止する計画でした。この時も、「昭和天皇」の御対処のおかげで日本国のかたちは破壊されることがありませんでした。

 以上のような数々の危機を何度も経て、日本が2000年以上も国の形を守ってこられたことは、奇跡以外の何物でもありません。あまりに偶然が重なると、必然ではないかとさえ思われます。

 「ヤマト王朝」が成立する前、世界には国家が多くありました。しかし、それらの国家はすでに滅び、今は一つも存在していません。中国や欧州を含め、世界の歴史は王朝交代の歴史で、これまで多くの王朝が興っては滅びてきました。

 特に、18世紀以降は王朝にとっては受難の時代でした。世界各地で「フランス革命」や「辛亥革命」に代表される「共和革命」が頻発し、王制を打倒して共和国を樹立する流れが起きました。また、近年においては「ジャスミン革命」が記憶に新しいです。

1911~1912年に発生した、中国の「辛亥革命」(Xinhan Revolution)

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1787年から発生した「フランス革命」、「ルイ16世」の処刑の絵

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それは、「王制」を廃止して「共和国」を樹立する流れが起き、多くの「皇帝」や「王」が処刑されたり、また退位を余儀なくされました。「ロシア帝国」や「ローマ帝国」「南シチリア王国」「オスマン帝国」「李氏朝鮮」もその例外ではありません。

 現在、「王朝」を保っているのは世界で30ヶ国を下回り、そのほとんどが「王」に政治実権がありません。2008年にも「ネパール」が「王制」を廃し、「共和国」になったことで、また一つの歴史的な「王朝」が姿を消しました。

 近現代に限らず国家は脆弱(ぜいじゃく)なもので、世界史を見ても、二百年以内に滅びる国が大半を占め、五百年以上続いた国は数えるしかありません。

以上は決してヒスリックにナショナリズムを煽るものでは無く、事実を記載しただけです。念のため。

話は変わりますが、貞観5年(863年)に始まった「祇園御霊会」(祇園祭)の季節がやって来ました。七月の一ヶ月にわたる、京都最大いや日本最大のお祭りです。早くも、八坂神社社務所から「祇園御霊会」の祈祷受付のお手紙が送られてきました。祇園祭の七月の一ヶ月間の日々の神事は昨年、詳細に記載しています。

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二礼二拍一礼


全くの暇ごなしです、ホントのうんちく。日産のDAYZのこと

2013-06-16 03:30:23 | うんちく・小ネタ

昨日は、梅雨に入っての関西では久しぶりの雨です。木々も甦ったような気がします。ちょっと暇ごなしに。昨今は各メーカーがTVで「軽自動車」の宣伝合戦です。

TVで盛んにコマーシャルをしている、日産が本格的に販売を開始した,軽自動車「DAYZ]の試乗に行ってきました。TVのコマーシャルでは、燃費は1リットル29.2Kmとのことです。以前に日産から発売した「モコ」はスズキのエンジンを使っているとの事。今度の「DAYZ」は新規に「三菱」との共同開発です。「三菱」の自動車は、以前に多くのリコール隠しで有名です。デイラーの方は絶対不具合は起こらないとは限りませんとの事?????

燃費も、我々ド素人のドライバーが公道を走れば、1リットルで21~22Kmくらいが関の山のこと。なんて正直な。しかし、車内は広く、騒音も少なく、至って乗り心地は抜群でした。以前、カタログに記載されいた10モード燃費は無くなり、2011年から「JCOB」燃費に変更されましたが、「国交省」のやることはよく分かりません。

しかし、一番の違いは、私の今の自動車の下取りは、「ダイハツ」では10万円、しかし「日産」はたったの2万円。36回のローンでも金利は「ダイハツ」では2.9%で「日産」は6.8%。値引きも新機種のためほんのわずかです。新機種こそ、うんと値引きをして、シェヤを伸ばさなくてはと思います。「日産」と「ダイハツ」のこの違いは?何?何?何??????商売下手?

やはり、「日産」は軽自動車の世界では素人ですか。老舗の難波の「ダイハツ」は商売が上手です。

お土産にもらった、日産「DAYZ]のミニカー

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ミニカーは嬉しかったけれど、全くの、たわごとです。しかし現実です。「日産」のファンの方は気を悪くなさらないように。