京の話題

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「和」の国、日本国の仏教では考えれれない、外国の悲惨な宗教戦争の歴史

2013-05-30 03:18:15 | 我が誇れる日本国の事

前記に日本国は「和」の国によって成り立っていると記載しました。日本国は「縄文時代」から宗教において悲惨な戦争はほとんど有りませんでした。また「仏教」が日本に伝来しても、以前からその土地で信仰されいた「産土神」とうまく融合して、「神仏融合」となり長く平和な宗教世界が築かれてゆきました。

少し、世界に目を向けてい見ると、世界の人類の歴史は、「宗経戦争」の歴史の連続でもありました。

中世における最も悲惨な宗経戦争は「十字軍遠征」であると考えられます。ローマ経王「ウルパヌス三世」が、聖地エルサレムを異教徒の手から戻すように号令をかけや事で、約20000人の軍隊が結成されました。「第一回十字軍遠征」のはじまりです。エルサレムは「ユダヤ教」・「キリスト教」・「イスラム教」共通の聖地で「イエス・キリスト」処刑された地です。その帰属については古代から深刻な対立が有りました。

1099年に十字軍による「エルサレム」への攻撃が始まると、イスラム側はたちまち総崩れになりました。降伏した「イスラム総督」は財産をすべて渡すことで亡命が許され、結局、総督とその警護兵を除くと、すべてのイスラム兵が殺されたと伝えられています。戦争で、敗戦国の全の兵を処刑するのは、全く尋常な事ではありません。

第一回エルサレム攻撃(写本)

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そして、エルサレムを制圧した十字軍は、エルサレム王国を建て、イスラム教徒とユダヤ教徒らを虐殺し、全ての財産を奪いました。これに味を占めたヨーロッパのキリスト教徒の諸候は、様々な経済権益を求めてイスラム世界への略奪を繰り返しました。

キリスト教とイスラム教による聖地をめぐる骨肉の争いは長らく続き、1187年にイスラムの英雄「サラディン」により、およそ90年ぶりにエルサレムがイスラム教に奪還されました。「教皇サラディン八世」は聖地奪還のため、再度の十字軍遠征を呼びかけますが、成果は上がりませんでした。

その後、神聖ローマ帝国の「皇帝フリードリヒ二世」の遠征により、1229年にキリスト教側が再びエルサレムを手中に収めましたが、1244年にイスラム側に攻撃されてエルサレムは再び陥落し、多くのキリスト教徒が殺されました。その後、エルサレムは1917年にイギリス軍がオスマン軍を破り入城するまでは、イスラム世界が支配することになります。

しかし、聖地をめぐる宗教戦争は現代まで続いているのは、誰でも知っています。20世紀初期よりユダヤ人のパレスチナ移住が増大して、1947年の国際連合総会でパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分断する決議が採択されると、イスラムはその決議を受け入れ1948年に独立宣言をしました。その後も、イスラエルは周辺アラブ諸国と四度の中東戦争を経て、現在でもパレスチナ武装勢力との紛争を続けています。問題は、エルサレムの帰属があるために、いずれも宗教的な対立が背景にあります。

中東には反米の思想を持つイスラム教徒が多く、あの記憶にも新しい2003年のイラク戦争以降、反米テロが各地で起こり、現代でもイスラム教徒とキリスト教徒が対立する世界の構造になっています。(元々は、同じ、イエス・キリストからの宗教的基盤からのものでありますが)

以上の事をふまえて、いかに宗教的には「仏教宗派」は一部を除いて、平和な「和」を保って現代まで来たと感心さされます。