日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

なんだかオルド・サフナ楽団の追っかけみたいになってきた

2005年07月31日 17時53分19秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)25日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

ソリストのダミラさん。歌声がとても美しい。3児の母でもある。

 またもやオルド・サフナを見に行ってしまった。今回は川崎公演。
 等々力(とどろき)アリーナで行われた空手の大会に道場生が出場したので、その付き添いの合間を縫ってタクシーを拾い、隣町の国際交流センターまで往復という荒業を使った。

 遅れて着いたため、目当ての「オムル」という歌が終わっていたのが残念。ダミラさんが生で「オムル」を歌うの聞きたかったなあ。

 公演後、ロビーでキルギスの本 “KYRGYZ MUSICAL INSTRUMENTS”という本を購入。民族楽器の写真満載で、英語・ロシア語の解説付き、それぞれの楽器の音色を収録したCDまで着いている。
 はっきり言って、あまり音楽に詳しくない私には、宝の持ち腐れ、豚に真珠である。
 でも売り子さんに、「売り上げはオルド・サフナの活動資金になるから買ってください」と言われ、「ほんじゃまあ、そういうことなら」と思って購入したのだ。

 でも、オルド・サフナが好きという熱意は売り子さんにも伝わり、「まもなく出てくるので、よかったらサインをもらうなり、握手するなりしますか?」と言われた。
 おお! それは願ってもいないチャンス。二つ返事でお願いした。

 舞台袖のドアで待っていると、オルド・サフナの皆さんが出てきた。

 おお、ダミラさんだ!

 すかさず握手を求め、ついでに写真を撮らせてもらった。それが上の写真である。
 「なんだ、結構年じゃないか」とか「そんなに綺麗というわけじゃないな」という人は、大人の女性の本当の魅力がわかっていない。顔を洗って出直し!

 身振りで「撮った写真見せて」とアピールしてきたので、デジカメの画像を見せると、すごく喜んでくれた。目がキラキラしてとても綺麗だった。

 お話もしたかったが、ダミラさんは英語が話せない。こちらはロシア語が話せない。「オムル・オーチン・ハラショー!(オムル、とても素晴らしい!)」とか「スパシーバ(ありがとう)」などと怪しげなロシア語を言うのが精一杯で、コミュニケーションが取れない。

 そもそも時間が取れない。オルド・サフナのみなさんは、このあとすぐにチャーター機で羽田からセントレアに飛ぶらしい。
 8月4日の愛知万博ナショナル・デーに出演するのだ。行きたいけど行けない。
 うーん、残念…などと考えているようでは、追っかけの仲間入りなのかな?

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記13/マリ

2005年07月30日 09時02分50秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)24日 ヤウム・サブティ(土曜日)
アフリカ共同館公式HP
アフリカ共同館の中は、どこの国だったかわからなくなる。たぶん、マリのコーナーにあった象の頭蓋骨。

 「まだやるか?」という感じの愛知万博ネタ第13弾。しかも、「マリってどこにある国?」という気もする。

 アフリカには結構イスラーム国が多いのだが、なにしろアフリカ共同館はごちゃごちゃしていて、後で写真を見直しても「うーむ、これってどこの国だっけ?」と思うことが多い。

 その上、『アフリカ共同館公式カタログ』が非売品でなかなか手に入らない。
 たまたま1冊ゲットしたと思ったら(目黒リバーサイドフェスティバルでガボンの人がくれた)、国々の紹介がメインで、どこの国が何の展示しているかが書いていない。
 というわけで、この記事には間違いが含まれるかもしれないが仕方ないね。

 ええと、マリのコーナーの前にはいきなり象の頭蓋骨が置いてあった
 無垢な(?)子供たちは、みすぼらしく毛が残ったマンモスの化石より、素直にこちらの綺麗な頭蓋骨に心惹かれていたようだ。
 しかもペタペタ触り放題。

 イスラーム国ではないのだが、愛知万博には「化石の穴場」ともいうべきパビリオンがいくつかある。

 まず、モンゴル館の恐竜全身化石。卵の化石もあるが、こちらはよくわからない。

 それからロシア館のマンモス全身化石。かなり復元も含まれるが、見て楽しむ分には十分。長久手会場の南の最果てにあるので、比較的人も少ない。

 さらに、アフリカ共同館の中のマダガスカル・コーナー。ダチョウの仲間だかなんだかのデカイ鳥の全身化石が展示してある。この鳥の化石って世界でこれだけらしい。おいおい、メチャメチャ貴重ぢゃないか!
実は僕、貴重な化石です。クェ~ッ!

 マンモス・ラボよりこれらを見ることをお勧めしたい。あっという間に通り過ぎることないし。 

 話はマリに戻るが、あとはマリの遊牧民のテントが展示してあったり、「イェーイッ!」という感じの3mくらいの謎の像が並んでいたり、異文化感というより、異次元感が漂っていて結構楽しかった。

 限られた時間の中で、人気パビリオンに8時間待ちするのもいいけど、アフリカ共同館あたりでゆったり過ごすのもぜいたくかもしれない。

一日がかりの金曜礼拝に行って、ごちゃごちゃ考えたこと

2005年07月29日 19時11分57秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)23日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)


 東京ジャーミイに集団礼拝に行ってきた。
 礼拝が終わった後に図書室で本を読んだり、談笑することもあるが、今日は本当に礼拝
だけ。帰りに実家に寄る用事があったため。

 10時くらいに家を出て、1時間ほど礼拝に参加して、実家についたのが午後3時くらい。
 うーむ、結構時間かかるなあ。

 イスラーム国のように、家の近くに気軽に行けるモスクがあればいいんだけど、いかんせん日本にはモスクが少ない。

 自分は、基本的に金・土休み(でも不規則)だからいいけど、土・日休みで働いている人は集団礼拝行けないよな、ふつう。
 たまたま東京ジャーミイやアラブイスラーム学院の近くで働いているならいいけどね。

 それなのに、「3週連続で金曜の集団礼拝に参加しないと、ムスリムではなくなる」などという人もいて、これではますます日本にイスラームは根付かんのじゃないか?

 女性は金曜の集団礼拝の義務が無い上、旦那がイスラーム圏の人ということが多いから、男性よりはイスラームに定着しやすいと思う。
すると、日本人のムスリムとムスリマの比がますますアンバランスにもなっていく。

 チュニジアなんぞ、国をあげて集団礼拝の日を日曜にしちゃっているぞ。
ヨーロッパの国々とビジネスをやるには、土日休みにした方が都合いいので、そうしたということだが、現地で聞いたときにはさすがに驚いた。
でも、それもひとつのテなのかなあ…なんて思ったりもする。

 第一、若い人は全然礼拝しなくて、年取ってから信仰生活に入るあたりは、日本の仏教と変わらんじゃないか、チュニジア。

 ひとくちに「イスラーム国」と言っても、けっこう国ごとにアレンジしちゃって、その国ごとのイスラームとなっているのが現状だ。

 となれば、ぼちぼち「日本のイスラーム」というものも形成されつつあってもいいと思う。

 でも、基本的に日本人ってマジメだから、イスラームに入信すると、すごくきっちりやろうとする。
 そんでもって、きっちりできんヤツは、一部のマジメで優秀な日本人ムスリムから風当たりが強くなって、結局離れちゃったりするんだよね。

 ユーシューな人って「やればできる。できないのは努力が足りないからだ」という考えを持っていたりするけど、そういう因果律自体がイスラーム的ではないと思う(わあ、生意気な発言)。

 努力の結果がうまくいくかどうかはアッラーの意思(イン・シャー・アッラー)でしょう? なんで「努力すればできる」って、人間ごときが言い切っちゃうの?
 誰に聞いているんだか自分でもわからんけど。

 宗教って、なかなか決まりを守れない困ったヤツとか、努力しても結果が出ない人とかがいて、「広まっている」って言えるんじゃないかなあ。

 「日本のイスラーム」が、知らないうちに、ユーシューな一部の人によって「選民思想」みたいにならなければいいな。
 と、本人なりに努力しているつもりの凡人ムスリムはつぶやくのであった。

「シリア・ヨルダン・レバノンから手紙を送るよ!」企画
 初訪問の人でも、実はこのブログをま~ったく読んでいない人でもOKです。
 旅行先から絵葉書を送ります。詳細は7月17日の記事を参照してください。


そうは言っても眠いッス

2005年07月28日 06時16分32秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)22日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

東京ジャーミイの礼拝室入り口の右側扉の上のカリグラフィ「ビスミ・ッラーヒ・ッラフマーニ・ッラヒーム」。


 うーむ、眠い。
 この時期のファジュル(早朝)の礼拝は朝早い。
 
 ファジュルの礼拝は、日の出1時間半前から始めてよいことになっている。そして、日の出の10分前までには終わらせなくてはならない(ハナフィー派の場合)。

 とは言っても、計算の仕方がいろいろあるようで、イスラミックセンター・ジャパン、日本ムスリム協会、アラブイスラーム学院のサイトで礼拝時刻を調べると、それぞれ「始まり」の方は違いがある。

 どっちにしろ、あまり早くは起きられない。日の出の時刻には大差がないので、10分前までにはファジュルを終わらせるようにしている。

 今日は、4時35分までに終わらせればよいということで、4時に起きて、ウドゥー(洗浄)を行い、ファジュルに入る。
それが終わると、ブログを書いて、ひと仕事して、朝食を食べてから身支度、出勤となる。

 ファジュルの礼拝のアザーン(礼拝の呼びかけ)には、


الصلوة خير من النوم


(アッサラートゥ・ハイルン・ミナンナウム)〔礼拝は眠りに勝る〕
という言葉が入る。

 とは言っても、さすがに眠い。眠いけど、なんとかやっているので、アザーンの通りだ。

 朝食のときに、なんとなく『ズームイン・スーパー』をつける。朝の顔が並んでいる。
 「この人たちは、自分より早く起きて仕事に来ているんだなあ」などと思いながら、朝の時間は過ぎていくのであった。

ホントーにくだらないたわごと -アラビア文字を見て思ったこと-

2005年07月27日 05時21分21秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)21日 ヤウム・ル・アルビアーイ(水曜日)

 今までも、さんざんたわごとを綴ってきたけど、今回はホントーにくだらないことを書くことにする。アラビア文字を読み書きしながら常々感じていることなんだけど…


ك の中のS字状の部分は佐渡島に似ていると思う。


ت という文字は結構ニコやかに見えると思う。


ة という文字はハニワに似ていると思う。


قهوة (カフワ/コーヒー)という単語は花に似ていると思う。


بع (ビウ/売りなさい)という単語は、サイコロを振った瞬間の人に似ていると思う。



وقع (ワカア/落ちる)という単語は、小さい子供に拳を振り上げているオヤジに似ていると思う。





القاهرة (アル・カーヒラ/カイロ)という単語は、蛇に襲われて、


両手をあげて「ドヒャーっ!」って叫んでいる人に似ていると思う。



شاي با لنعناع (シャーイ・ビ・ルナアナーア/ペパーミント・ティー)という単語は、


うつぶせになって右手で川を探るクマに似ていると思う。目が点で可愛い。




فكر (ファッカラ/考える)という単語は、考える前にすでに走り出しているように見える。



الكرسي (アル・クルスィーィ/椅子)という単語は、某宅配便のマークの飛脚を思い出す。




لاتحكي (ラー・タフッキー/〔女性に向かって〕それを擦るな)という文章に至っては、


袴をはいているのに無理して走っている人のようだ。後ろ足のすそが柳の木に引っかかっているじゃないか。


تزورون (タズールーナ/あなたたちは訪問します)という単語は、


分身の術を使っているようにも見えるけど、人の顔にも見える。どっちかハッキリしろ!


فتح (ファタハ/開ける)という単語は、「レレレのおじさん」に似て…いないか。



 もういいや。書きたいこと書いたから気が済んだ。いやあスッキリ! 発作的にまたいつか同じようなことやるかもしれないけど。

養老孟司氏が講演会で語ったイスラーム

2005年07月26日 06時35分27秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)20日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)


 『バカの壁』、ずいぶん売れたよなあ。作者の養老孟司ってどんな人なんだ? 
 という興味もあって、先日、養老孟司氏の講演会に参加してきた。職場の研修の一環でもあるのだが。
 講演の中で、信仰としてのイスラーム(というよりは一神教全般だけど)のとらえ方とは違ったとらえ方を説明していたので紹介しておきたい。

■意識には「概念」と「感覚」の二つがあるんだって

  「概念」というのは似たモノ同士をグループ化する働きらしい。例えば、どのリンゴを見ても「あ、リンゴだ」とわかる脳内活動とかね。これは理屈の世界

 一方、「感覚」っていうのはストレートに目の前のことを捉える働きらしい。目の前のリンゴの姿を脳内で意識する個別化の活動なんだとか。こちらは直感の世界

 見ることについてだけでなく、聞くことに関しても同様らしい。
 例えば、どんな声の人が「リンゴ」と言っても、頭の中に「あの果物」が思い浮かぶのが「概念」。
 声を発した人の「リンゴ」という音をそのまま捉えるのが「感覚」。

 すると、猿とか他の動物は、「概念」という意識活動ができないからコトバを覚えられない。私が発する「リンゴ」という音と、アナタが発する「リンゴ」という音が同じモノを差していることが理解できないんだって。へぇ~。

■一神教の誕生

 農耕民族は、働けば働いただけ作物が取れるのが普通だから、頑張って働くし、労働に喜びを見出す。
 すると、ゴチャゴチャ考えるよりは、体で世界を捉える「感覚」の世界になっていく。

 一方、砂漠はいつでも食べ物があるわけではない。働いても食べ物が得られないこともある。
 となると、一生懸命働いても仕方ないので、ほどほどに食い物が得られれば良しとする。こういう所では、時間だけはいっぱいある。
 すると、ゴチャゴチャといろいろなことを考えるようになって「概念」の世界、要するに「リクツの世界」になっていく。

 で、「あれもリンゴ、これもリンゴ」と「あれも梨、これも梨」というのが合わさると、「あれもクダモノ、これもクダモノ」という風に、1個上の階層に「クダモノ」という概念が形成される。
 次に「あれもクダモノ、これもクダモノ」と「あれも花、これも花」を合わせると、「あれも植物、これも植物」という風に、さらに1個上の階層に「植物」という概念ができる。

 これを繰り返していくと、最終的には必ず「ただひとつ」に行き着く。それが「絶対者、神」なんだそうだ。ふむふむ。

 でも、グループ化の仕方って地域や人によって違うから、そこで必ず神学論争みたいのがおきるとか。
 「概念」というのはリクツだから、あんまりこれが支配的になると、人間は息苦しくなる。
 すると、「感覚」の方に揺り返しが来て、ガリレオのように「じゃあ、重い玉と軽い玉、どっちが先に地面に落っこちるか、ピサの斜塔から実際に落としてみようじゃねえか」という、感覚的な人、「実際にやってみよう」派の人が出てくるんだって。
 こういう「とりあえず実験してみようぜ」みたいなのが自然科学。

 「自然科学は、理屈に走りすぎて窮屈になった中世キリスト教社会の解毒剤」なんて、ちょっと過激なこと言っていたな。

 でも、今度は自然科学が行き過ぎると、逆の揺り返しで、「概念」である一神教が息を吹き返したりするんだとか。

 イスラームも一神教だから、このような経過を経て、アラビア半島で成立した宗教ということになる。
 そして、自然科学に対する揺り返しが各地で起こっているのが、原理主義(キリスト教側の言い方だけど)や、復古主義などの動きということになるらしい。

■日本でイスラームがあまり広まらないワケ

  となると、「感覚の世界」の日本では、「概念の世界」である一神教はなかなかなじまない
 「あーしろ、こーしろ」といちいち細かくゴチャゴチャ言われたり、神学やらシャリーアやらの理屈をこねられるよりは、自然に向かって無心で手を合わせる方が、日本人の性に合っている…ということになる。

 たしかに宗教的なとらえ方ではないけど、勉強になる。養老孟司氏は「悪口ではなく理屈です」と断ってから説明していた。キチンとした人なのだ。

 文章力の欠如のため、あまり面白くなかったかもしれないけど、講演会そのものは、養老孟司氏の話術の巧みさもあって、たいへん面白かった。
 ここでは書けない、オフレコなことを聞けるのも講演会の魅力だしね。

キルギス共和国は一応イスラーム国になっているけど…

2005年07月25日 06時14分22秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)19日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)

大きな体を丸めて、恥ずかしそうに挨拶をするキルギス大使。

 おとといはオルドサフナ楽団について延々と書いたが、成田空港到着1時間半後に公演という過酷なスケジュールをこなしたのだから、もっと讃えてもいいくらいである。

 さて、今日はキルギスについて語りたい。中央アジアのキルギスは行きたい国のひとつなのだ。なにしろ、イシククル湖で、汗血馬の子孫で、スイアブ跡だ!
 「よくわからん」という人がほとんどだと思うが、それでもいい。好きなんだもん。

 コンサートの前に、キルギスのコーナー(と言っても机ひとつ分のスペース)に行き、日本の大学に留学しているキルギス人女性にいろいろとお話を聞いた。
 初めは気を遣って「クルグズ」と言っていたのだが、彼女も自国のことを「キルギス」と呼んでいたので、ブログでもキルギスで統一することにした。

 言語は、やはりロシア語が主流。ソ連から独立してまだ14年だもんなあ。ウズベク人やカザフ人と話すにも便利だし。
 無理すれば、キルギス語とウズベク語でも通じるようだが、ロシア語が使えるのでそういう無理はしないようだ。
 会場内でも、ウズベク人たちとロシア語でコミュニケーションを取っていた。

 ムスリムは実はほとんどいないそうだ。村に1人くらいイマームがいて、葬式のときなどに『クルアーン』を読んだりするらしい。
 一般の人は『クルアーン』はまったく読めないし、内容も知らないのが普通だとか。
 こうなると、イスラームも日本の仏教とあまり変わらない。

 ソ連時代には公式には宗教が禁止されていたのだから、そんな急にはイスラームが復活するものでもないか。
 でも、ウズベキスタンのブハラとかは結構イスラームが復興していたよなあ。残っているモスクの数の差が、イスラーム復興の差になっているのかもしれない。

 そもそもイスラームが入ってきた7世紀くらいから土着のアニミズムと結びつき、独特のイスラームになっているらしい。動物をいけにえにして雨乞いしたりとかね。

 手元の『ISLAM』(ポール・ランディ:著/小杉泰:監訳/ネコ・パブリッシング)という本の、キルギスのデータを見ると、「スンナ派ムスリム70%」とあるが、どうも眉唾っぽいなあ。

 イスラーム諸国会議機構には参加しているものの、国民のほとんどは、イスラーム教徒というアイデンティティを持たずに暮らしている。
 イスラーム国も形態はさまざまである。

キルギスのコーナー。布製品を中心にちょっとした小物も売っていた。


 「遊牧民もいるんですよね?」と質問したら笑われてしまった。マヌケな質問だったようだ。
 ソ連時代はコルホーズやソフホーズに編成され、国民はみな定住させられていたのだから、遊牧民がいるわけないのであった。
 日本に来て初めて、「モンゴルやトルコには『現役の』遊牧民がいる」と知って驚いたとか。近隣諸国の情報は意外に入らないのかも。
 トルコなんか、羊を千頭も二千頭も所有している遊牧民は富裕層なのになあ(全て売ればすごい値段になる)。

 壁に貼ってある、国紹介のポスターみたいな紙に「食べ物:プロフなど」と書いてあったので、「やはりキルギスもプロフなんですか?」と尋ねたら再度笑われた。
 「それは、観光客がイメージしやすいものを書いてあるだけですよ。キルギスには70以上の民族が暮らしているし、地域ごとに食べているものも違うので、『これがキルギス料理』と言えるものは特に無いんです」と流暢な日本語で諭されてしまった。

 どうも、本で読んだりとか、イメージしていたのと違うことが多く、「ひとつの国を正しく理解するというのは、なかなか大変なことであるな」と改めて実感した。

 もっとも、私がきちんとしたモノを読んでいなかったり、読み方が悪かったりする可能性もあるのだけれどね。

昨年エジプトに行って、セキュリティについて感じたこと

2005年07月24日 15時03分27秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)18日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

 またテロが起こった。今回は、エジプトのシャルム・エル・シェイクか。

昨年、エジプトを旅行した際に感じたのだが、警官も軍隊も数は増え、ホテルの入り口にも金属探知機がついていたが、「穴」が多すぎる。

日本人イスラム教徒の旅行者ということで、現地でも話題となり、他のツアーの現地ガイドやら、ホテルの支配人やら、空港係員やら、警備員やら、とにかくもう、いろいろなエジプト人が接してきてくれて、それはそれで楽しかったのだが、「警備に緊張感が無い」ということはいつも気になっていた。

警官や軍人は数がいればいいというものではないだろう。ルクソールからアスワンに観光バスで向かったときのこと。
バス数台を、多くのパトカーと装甲車で囲むようにして移動したのだが、休憩地で警官に話しかけ、冗談で「腰にさげている、その拳銃を持たせてくれないか?」と言ったら、あっさりと持たせてくれた。私がもしテロリストで、そこで乱射したらどうするのか?

地域ごとに、観光バスに乗り込んでくる「セキュリティ」と呼ばれるスーツ姿の警備員。個人的に話してみると、「今、足を痛めていて実は警備ができないんだ」とか、「ここらへんは安全だから大丈夫」だとか言う。
観光地で、他の客もいるのに、私との話に夢中になるのも危ないと思った。

ホテルの警備も甘い。日本人や、偉そうな人は金属探知を潜らなくてもOKだし、例え潜って「ピーピー」鳴ったとしてもフリーパスだ。

こういう油断は、あっという間に、対象が日本人以外にも広がる。「同僚だから潜らなくてもいいや」「まだ少年だからOK」などと、だんだんと、警備が甘くなると思う。

ホテルの入り口の警備員たちとも談笑したが、警備員全員が私との話に参加して、その間、入り口はフリーパスということもあった。
ときには、自分たちの話で盛り上がり、警備そっちのけのホテルもあった。

また、ホテルの礼拝室はたいがい地下にあるのだが、駐車場からは警備無しであっさり入れるようになっているところがほとんどだ。
同じイスラム教徒やエジプト人を無差別に吹っ飛ばすようなヤツらは、平気で礼拝室にだって爆弾をしかけるだろう。

警官、軍人、警備員の数をいくら増やしても、「守るためのノウハウ」が全くできていない。そんな風に感じていたので、今回のテロの報に接したときには、「来るべきときが来てしまったなあ」と残念に思った。
油断の芽はそこら中に転がっているのである。


キルギス共和国のオルド・サフナ楽団に感動

2005年07月23日 11時12分16秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)17日 ヤウム・サブティ(土曜日)

アンコールで女性二人が「恋の季節」を熱唱。真ん中に座っている男性は、挨拶に出てきたはいいが、やることがなくて手持ち無沙汰なダンサー。

 今日も午前中は研修の一環で鎌倉・円覚寺へ。養老孟司氏の講演を聞いた。
 「私とはなにか」という演題だったが、イスラームにも少し触れたので、いずれブログに書こうと思う。

 午後は目黒リバーサイドフェスティバルへと足を運んだ。
 商工会議所のイベントなのだが、区内約10の大使館がちょこっと参加している。いろいろお世話になっているエジプト大使館は、何種類かのパンフレットを机の上に並べているだけである。
 やる気がないのではなく、この日は愛知万博のエジプト・ナショナル・デーが重なったので、こちらまで手が回らなかったようだ。
 他にガボン、バングラディシュ、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、ポーランド、アルジェリア、ウガンダ、ケニアが参加していた。なんかポーランドが浮いていたなあ。

 ここに来た最大の目的は、キルギス共和国のオルド・サフナ楽団だ。
 いや、よかった! 感動した! 音楽にはまったく詳しくないし、日本初公演なので、どんな楽団か見当もつかなかったのだが、ホントによかった。
 技術的なことはわからんが、私の感性には非常に合っている。シャーマンの踊り、哀愁を帯びたフォークロア、オーケストラなどなど。

 キルギスの伝統楽器のみを使用しているらしいけど、素人目にもチェロとよく似た楽器、アイヌのムックリそっくりの楽器もあり、キルギスの音楽史などを探ったら面白いかも。

 一番感動したのは、ダミラ・ニヤズベコヴァさんという女性の歌だ。「オムル」という曲を聴いたときは思わず涙が出た。この際だから、私にも繊細な一面があることは強調しておきたい。

左の女性がダミラさん。大人の色気もある。右のバキット・シャテノフさんもすばらしい。


 ちょっと長くなるが、配布されたパンフレットの紹介を引用しておく。
 「オルドサフナ」劇団は1998年7月に「オルド」というテレビ・ラジオ放送局の下でシャミル ジャパロフ局長・監督の指導の下に誕生した。
 この劇団は大きな遊牧民族史と文明を伝統音楽、踊り、民族楽器の魅力や種類を通して人々に伝えることを目的としている。民謡、伝統的な音楽、民族衣装、民俗音楽楽器の能力、魅力を引き出し、新しい捕らえ方を作りだしている。劇団の音楽家は昔からの民俗音楽楽器を演奏している。その楽器はコムズ、キヤク、キルーキヤク、チョロ、チョン チョロ、スブズグ、チョポ チョール、ケルネイ、スルナイ、テミルコムズ、ジガチ オオズ コムズ、ドブルバスである。
 劇団のメンバーの全員は音楽大学の卒業者で、国際音楽コンクール、地域音楽コンクールの優勝者でもある。
 ダンスグループは、オペラとバレエの主要なダンサーによって紹介された。バレエマスターはビセエフがつとめている。
 「伝説の音楽」と呼ばれている最初のCDは、2000年に発表され、なお2001年発表された「遊牧民の歌」は、キルギス歌のベスト曲に含まれている。
 「オルドサフナ」は多くの放送プロジェクトにも参加し、特に「トグズ アク」は大きな評判を得た。「オルドサフナ」のメンバーは、様々な民謡、伝統音楽、現代音楽の演奏をして大きな経験を蓄え、現在に至っている。また、最近ではヨーロッパ作曲家の音楽、ジャズなどと幅広いジャンルにも挑戦している。


 「マナス叙事詩」をモチーフにした踊り。コケているわけではない。私が撮るとなぜ妙な写真になってしまうのか?


パンフレットの曲紹介の文章も楽しい。ついツッコミぐせが出てしまう。

「ブゼファル」という曲の説明:
マケドンスキイ氏の馬について。多くの国々を征服してきた将軍はキルギスの自然の美しさに感動して、攻め落とさない事にしたらしい。

国の一大事のわりに文章がのんき。「らしい」じゃねえだろ。 ひとごとかい!?

「マシュ ボトイ」という曲の説明:
青春の歌。ラクダの子は丘を超え、青春時代が一番元気。ラクダのお母さんは誇りいっぱい。皆も可愛いラクダの子に大関心。

これって青春の歌なのか?

「エシインデビ」という曲の説明:恋愛を思い出すと、深いシワも伸びる。

恋愛を思い出していない様子のお客様が多数いらっしゃいました。

 また、アンコールで歌った、ザ・ピーナッツの「恋の季節」の歌詞の「♪裸で恋をしよう、人魚のように」の部分が「♪肌着で恋をしよう、金魚のように」と聞こえるのもほほえましい。シャツを着てデートしている金魚を想像しました(自分ながらアホである)。
 もちろん、歌自体はすばらしい。

 でも、なんだかんだ言いながら「THE MUSIC OF THE LEGENDS」と「SONG OF NOMAD」の2枚のCDを買った。自宅で聞くと、やはり生のほうがいいと感じたけど。

 それにしても、一国を代表する楽団のコンサートを商工会議所のお祭りでやるところが目黒区のすごいところだな。しかも入場無料だし。

 7月31日には川崎で公演があるので時間があったらまた行きたい。愛知万博のキルギス・ナショナル・デーでもやるようだが、それが何日かはわからない。

東京ジャーミイに有名俳優のあの人が…

2005年07月22日 05時31分40秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)16日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

東京ジャーミイの礼拝室の大ドームに書かれた文字もスルス体。聖クルアーンの第112章・純正章(アル・イフラース)が書かれている。

 昨日は、午前中鎌倉の円覚寺に行き、午後は東京ジャーミイへ行った。

 なぜ円覚寺なのかといえば、ノーベル賞をとった小柴昌俊教授の講演を聞くためである。円覚寺では毎年この時期に「夏期講座」なるイベントをやっており、各界の有名人の講演が聞ける。
 職場の研修の一環なので、宗教的な目的はまったくない。

 さて、東京ジャーミイである。トルコで発行されたアラビア書道の本を見て練習するのが本日の目的。

 到着すると、学習室で何かのイベントをやっていた。女性二人が場所を借りて写真や布の芸術作品の展覧会をやっているらしい。
 へえ、東京ジャーミイって、そんな使い方も「あり」なんだ。ふところ深いな。

 礼拝室でズフルのカダーの礼拝を行った後、学習室に戻り、目的の本を開いた。よく見ると、掲載してある作品はスルス体やムハッカク体ばかりだ。
 基本のナスヒー体しか書いたことないしなあ。スルス体は、もっとも難しい書体だから、きちんと教わらないと無理だ。

 ムハッカク体も厳しいが無理して挑戦。
 うむ、無理にも程があった。スルス体と同じくらい難しいではないか。まったく形がとれない。

 そうこうしているうちにアスルの礼拝の時間。トルコ人3人+私で礼拝を行い、礼拝室から出ると、いきなり古代ローマの兵士が立っていた。なんか浮いてますけど…。
 まわりをスタッフらしき人たちが囲んでおり、「大学の映画サークルかな?」と思ったが、兵士役の人も恥ずかしいだろうからあまり見ないようにしながら再び学習室へ。

 うまく字がかけないまま、時間が経ち、結局退散することにした。ドアから出ようとすると、ロビーで撮影をしていたので、スタッフに「少しだけ待ってください」と止められた。
 さっきの古代ローマ兵士がなんだか野太い声でカメラに語っている。「あんな格好で本人もツライだろうなあ」と思いながら、よく見ると竹中直人だった。

 スタッフの持つカンペ(?)には「杉良太郎がなんたらかたら」と書いてある。
 東京ジャーミイと、古代ローマ兵士と、竹中直人と、杉良太郎…いったいどんな番組の撮影なのか?
 つくづく東京ジャーミイはふところが深いと思った。