日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記13/マリ

2005年07月30日 09時02分50秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)24日 ヤウム・サブティ(土曜日)
アフリカ共同館公式HP
アフリカ共同館の中は、どこの国だったかわからなくなる。たぶん、マリのコーナーにあった象の頭蓋骨。

 「まだやるか?」という感じの愛知万博ネタ第13弾。しかも、「マリってどこにある国?」という気もする。

 アフリカには結構イスラーム国が多いのだが、なにしろアフリカ共同館はごちゃごちゃしていて、後で写真を見直しても「うーむ、これってどこの国だっけ?」と思うことが多い。

 その上、『アフリカ共同館公式カタログ』が非売品でなかなか手に入らない。
 たまたま1冊ゲットしたと思ったら(目黒リバーサイドフェスティバルでガボンの人がくれた)、国々の紹介がメインで、どこの国が何の展示しているかが書いていない。
 というわけで、この記事には間違いが含まれるかもしれないが仕方ないね。

 ええと、マリのコーナーの前にはいきなり象の頭蓋骨が置いてあった
 無垢な(?)子供たちは、みすぼらしく毛が残ったマンモスの化石より、素直にこちらの綺麗な頭蓋骨に心惹かれていたようだ。
 しかもペタペタ触り放題。

 イスラーム国ではないのだが、愛知万博には「化石の穴場」ともいうべきパビリオンがいくつかある。

 まず、モンゴル館の恐竜全身化石。卵の化石もあるが、こちらはよくわからない。

 それからロシア館のマンモス全身化石。かなり復元も含まれるが、見て楽しむ分には十分。長久手会場の南の最果てにあるので、比較的人も少ない。

 さらに、アフリカ共同館の中のマダガスカル・コーナー。ダチョウの仲間だかなんだかのデカイ鳥の全身化石が展示してある。この鳥の化石って世界でこれだけらしい。おいおい、メチャメチャ貴重ぢゃないか!
実は僕、貴重な化石です。クェ~ッ!

 マンモス・ラボよりこれらを見ることをお勧めしたい。あっという間に通り過ぎることないし。 

 話はマリに戻るが、あとはマリの遊牧民のテントが展示してあったり、「イェーイッ!」という感じの3mくらいの謎の像が並んでいたり、異文化感というより、異次元感が漂っていて結構楽しかった。

 限られた時間の中で、人気パビリオンに8時間待ちするのもいいけど、アフリカ共同館あたりでゆったり過ごすのもぜいたくかもしれない。

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記12/イラン

2005年07月13日 06時31分46秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)7日 ヤウム・ル・アルビアーイ(水曜日)
イラン館公式HP
 
イスラム系パビリオンの中では客の数がとても多い。


 久しぶりの「愛知万博」である。ペルシア語の勉強も始めたことだし、今回はイラン館だ。

 と意気込んでみたものの、たいしたことが書けない。記憶が薄れつつあるし、「どうだぁ! 君たち日本人が想像する通りのイランだろう!?」という感じのパビリオンだからである。

 ええと、ペルシア絨毯がいっぱい展示・販売されていました。高くて買えませんでした。
 それから、茶も売っていました。茶自体よりもカップの珍しさに惹かれて1杯注文する人が多かったようです。

 なんかの仕掛けみたいのもあったような気がするけど、よく覚えていません。
 他のパビリオンにも言えることなんだけど、技術などを紹介する場合、ただ機械の一部を展示するのではなく、なにかひと工夫欲しい。よくわからないし、記憶に残らないんだよねえ。

 パビリオンの外観はアケメネス朝ペルシアという雰囲気でした。
 「イランは高度な文明が芽生えた地」ということが、日本ではあまり知られておらず、イランの人々の微妙なくやしさみたいなものを感じることがある。

 でも、同僚に「ペルシアってどういうイメージがある?」と尋ねたら、「絨毯とかネコとか高級な感じ」と言っていました。
 ただし「ではイランというと?」と質問を変えると「う~ん、思いつかない…」と悩んでいたのが残念です。

 もしかしたら、イランとペルシアが結びつかない日本人って、自分が思っているより多いのかなあと感じました。

 というわけで、イラン館はがんばってください。ことの成り行き上(?)、微力ながら私もさまざまな機会にイランをもっとアピールしたいと思います。

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記11/ヨルダン

2005年06月27日 06時26分04秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)20日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)
ヨルダン館公式HP
呑気に浮いてそうだが、実はある秘密があるらしい

 ヨルダン館に入ると、いきなりエレベーターに乗せられる。2階で降りると、くら~い通路があり、吹き抜けの1階を見ると、人々がプールで死海の浮遊体験をしている。

 浮いている人は意外に少ない。人に見られるのが抵抗あるという理由の他に、もうひとつ理由があるのではないか?

 旅のライター(肩書きはこれでいいのかな?)、宮田珠己氏のエッセイ『旅の理不尽”アジア悶絶編”』の141ページによると、死海に入って2、3分もすると、肛門が痛くなるそうである。
 
 だから、本を読みながらプカプカ浮くという、定番のポーズは、あくまでポーズであって、あんなことをずっとできるわけではないらしい。

 死海と同じ成分のプールなのだから、ここもそうなのだろう。1000円払って、10分間浮いて、オケツが痛いというのは、どうなんだろう? 入った人は納得しているのだろうか?

 ちなみに、静岡県の御殿場にある、「時の栖(ときのすみか)」というホテルの温泉にも、「死海風呂」みたいなのがあり、暖かいお湯の中で気持ちいいくらいプカプカ浮くが、こちらはオケツが痛くならないので、浮遊体験したい人にはお勧めだ。

 本音を言えば、他人の死海体験を見ても別に面白くないので、さっさと1階に降りた。
 サンドアートの実演をやっている。これは見事だと思う。

 ふてくされたオッサンがいきなり「ネーム・ライト・ヒヤ」と言って、紙をつきだしてきた。
 そこには「サンドアートでお前の名前を書いてやるぞ。3000円でな」という趣旨のことが書いてあった。
 うむ、それはとてもうれしいが高い。お断りした。

 それを抜けると、みやげ物屋だった。サンドアートの他に香水、ローズウォーターなど売っていた。どうやらターゲットは女性のようだ。

 外に列ができていても、回転が速い。短時間で見るのにお勧めのパビリオンかもしれない。

砂絵作りの実演こちらが砂絵。ただしこれはチュ
ニジアで買ったモノ。
 油断して、フタをちょっとあけ
ると、右端のビンのようになる。

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記9/トルコ

2005年06月21日 10時02分02秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)14日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)
トルコ館公式HP
神秘的な雰囲気とおばあちゃんたちとのミスマッチがグッド!

 とにかく内部が暗いなあ。暗すぎてカメラのフラッシュがあまり光を拾えず、写真がうまく撮れなかった(もともとうまくないけど)。

 全体的に説明は少なく、クルアーンを載せる台(書架台)を見ていたおじさんが「なんだ、こりゃ? 説明が無きゃなんだかわかんないよなあ~」と奥さんに愚痴っていた。
 確かに知らない人が見てもわからないと思う。

 アラビア文字で書かれた、クルアーンではない書物もあったりするのだが、やはり説明もなくガラスケースの中に鎮座している。全体的に高尚すぎるのかもしれない。

 多くのお客さんは、パビリオンの真ん中の、木製アーチの下で一休みするようだ。すると、一瞬稲光のように光ったりする。

 う~ん、神秘的な雰囲気を醸し出すのにいろいろやっているんだろうけど、一歩まちがえると、どこかのテーマパークの演出みたいだ。
 足下からスモークが出て、天井の方から、魔王のような声で「わぁっはっは! わが城へようこそ!」と言われても不思議ではない雰囲気。

 個人的には、最後の方に展示してあった、イスラム建築に関するパネルに一番興味を引かれた。イスラム建築が好きなのだ。
 幾何学模様のパターンとか、タイルの実物とか、スルタン・メフメト・モスクと東京ジャーミイの比較とか、もぉ~最高! こういうの大好き!
 でも、パネルのバックが黒いから、フラッシュ焚いても写真がうまく写らないんだよぉ。

 パンフレットか何か無いかと思ってスタッフに尋ねようとするが、日本人スタッフがいない…。トルコ人らしきスタッフに話しかけるが日本語が通じないらしい。

 もう、日本語勉強してきなさいよ! 仕方なく十年ぶりにむちゃくちゃなトルコ語を話す(昔トルコ旅行中に少しだけ覚えた)。

わたくし「トルクチェ・パビリオン・ハックンダ・キタップ・ヴァル・ム?(トルコ・パビリオンに関する本ありますか?)
とるこ君「ハユル(いいえ)
わたくし「アルマック・イスティヨルム。ネレデ・アルメメッキ?(買いたいんです。どこで買えますか?)
とるこ君「そうですねぇ、トルコでなら買えます」。

 貴様、日本語話せるぢゃないか! それにトルコに行くヒマが無いぞ。 
 
 それにしてもよく通じたな。人間必死になると、恥ずかしがっている場合じゃないな。発音や文法がめちゃくちゃでもいざとなれば通じるものだ。

 などという奮闘も虚しく、幾何学模様のパターンに関する本は手に入らなかった。

 そういうマニアックなものは売っていないが、一般的なトルコみやげは売店で大量に売られており大繁盛していた。
 魔よけの目玉「ナザール・ボンジュウ」とか、チャイのセットとかね。
 もしかしたら、展示物よりみやげ屋の方がにぎわっていたかもしれない。

クルアーンを載せる台美しいトルコ・ブルーのタイル
「人面鳥」ではなく天使と思われる幾何学模様のパターンの紹介

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記8/インドネシア

2005年06月20日 09時45分01秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)13日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)
インドネシア館公式HP
トロピカルと言うよりファンタスティックな雰囲気

 入場するとすぐに熱帯雨林のような装飾が広がる(インドネシア館公式HPの図を参照)。

 そのまま通路を数メートル進むと、突き当たりで、呑気な顔の動物たちと小振りなラフレシアの花「こんにちは!」という雰囲気で迎えてくれる。脱力感抜群。

 さらに進むと広い空間で民芸品の販売や、なにやら物作り体験みたいなことやら、勝手に流れるビデオなどがある。装飾はあくまで熱帯雨林。

 壁の上の方にはガルーダ像などが見える。インドネシアは世界最大のイスラム国だが、パビリオンにイスラム色は薄い。

 公式HPや各種ガイドブックで猛烈にアピールしている「有名なトラジャの米倉」はよくわからない。
 そもそも「トラジャ(族)」って、インドネシア政府が思っているほど、日本じゃ有名じゃないと思うぞ。もう少しトラジャについての説明があってもいいんじゃないかな。

 どうやらイスラム系パビリオンには地域によって次のような特徴があるようだ。目的に合わせてプランを立てよう。イスラム色に浸りたいならやはり中東系とマグレブ系だね。
1.中東系イスラム文化で真っ向勝負
2.マグレブ系古代遺跡と職人の技
3.南アジア系民芸品と庶民文化
4.中央アジア系古代の遺跡と伝統的な暮らし
5.東南アジア系熱帯雨林と伝統文化


愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記7/チュニジア

2005年06月17日 23時49分13秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)10日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)
チュニジア館公式HP

チュニジアの観光地シディ・ブ・サイドの雰囲気を再現

 午後遅く訪れたため、あまり滞在時間は長くなかったが、できればもっとゆっくりしたかったパビリオン。

 中にはオアシスの模型があり、その近くではチュニジアの職人が真鍮で鳥かごを作ったりしている。ちょっと離れたところにはカフェのスペース
 もちろんチュニジア・コーヒーも売店で売っている。

 上を見上げると、青と白のベランダ。チュニジアの観光地シディ・ブ・サイドの雰囲気を出しているのだろう。
 中世より続く街シディ・ブ・サイドには、現存する世界最古のカフェと言われる「カフェ・デ・ナット」がある。チュニジアとカフェは切っても切れない。

 パビリオンの中央には、カルタゴ・ローマ時代のモザイクなどが再現されている。

 古代の香りがあり、中世の雰囲気がちりばめられ、伝統的なオアシスの空気が漂い、現代の都市の活気も見られる。

 時の流れと空間の広がりをバランス良く表現しているような気がした。全体としてはくつろぎ感が漂っている。

 めざとい人々は、疲れたときに、ここのようにあまり派手でないアピール度の少ないパビリオンにやすらぎを求めるらしく、カフェのスペースではくたびれたオッサン&オバサンくつろぎまくりだ。
 
 実際のチュニジアは、ヨーロッパ化が進んでいる(特に都市部)ので、古き良きチュニジアを再現したような、ある意味ノスタルジックなパビリオンとも言える。

蝋人形たちが暮らすオアシス模型。疲れ切った人々が憩うカフェ・スペース
カルタゴ・ローマ時代のモザイクを再現入口正面のモザイク「カニ頭男(勝手に命名)」

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記6/カザフスタン

2005年06月16日 19時35分02秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)9日 ヤウム・ル・ハミースィー(木曜日)
中央アジア共同館公式HP

こんな感じの出土品が並ぶ。いいぞ、カザフスタン!

 私の期待を最も上回ったのが、カザフスタンだった。
 「カザフスタン」と言われても、なんとなくイスラム国という印象が弱いかもしれない。しかし国民の半数以上がムスリムである。
 
 愛知万博では中央アジア共同館で、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンと共に参加していた。
 しかし、内容的には単独でも十分いけるのではないか? 自国の歴史の深さや文化、科学技術をアピールするという意味では、万国博覧会という趣旨に沿った内容だったと思う。
 単独で参加していながら、カザフスタンより内容が薄い国はたくさんあったし。
 
 まず1階部分には、移動式住居ユルタが設置してある。もちろん本物。中には民族衣装を着た蝋人形が3体あり、遊牧生活の雰囲気を再現している。
 このテントの周囲にも、遊牧民式のイスだとかいろいろ置いてあり、なかなか芸が細かい。子供たちの興味をがっちり引いている。

 2階には、カザフスタンの遺跡から発見された出土品が展示してある。どうやら本物のようだ。博物館から持ってきたのかな?
 黄金の鎧だとか、水牛の角で作った弓だとか、金銀のアクセサリーだとか、大変に充実している。

 世界史の授業などでは思い切り無視されがちな地域だが、これらの展示を見ると、カザフスタンの歴史の深さがうかがえる。

 2階真ん中には、布製の地球儀だかテーブルだかわからないものが置いてあり、中心はもちろんカザフスタンである。
 そのまわりに布製のイスがいくつか置いてあって、疲れた人々が地球儀を見ながらくつろいでいた。

 奥の方には、宇宙飛行士の蝋人形と、宇宙開発関係の展示。カザフスタンと言えば、ソ連時代からバイコヌール宇宙基地で有名だ。やはり宇宙はアピールしておきたいところだろう。

 その横にはイスラム学者の蝋人形が立ち、後ろの棚にイスラム関係の展示。イスラム国であることも抜かりなくアピールしている。
 それにしても蝋人形が好きなんだなあ。
 
実際に訪れた旅行者の間でもイマイチ評判がよくないカザフスタンだが、「やりようによっては観光立国になれるのではないか?」と期待させるパビリオンであった。

移動式住居ユルタ。みんな興味津々。マイペースなポーズの蝋人形たち
水牛の角でできた弓。引くの大変そう。東洋人にもメキシコ人にも見える宇宙飛行士

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記5/エジプト

2005年06月16日 16時11分23秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)9日 ヤウム・ル・ハミースィー(木曜日)
エジプト館公式HP

やはり本物の輝きには遠く及ばないけれどね。

 イスラム系パビリオンの中で、入場に一番時間がかかったのがエジプト館である。と言っても20分くらいなので、企業パビリオンの「7~8時間待ち」に比べれば、「時間がかかる」うちには入らない。
 
 中には、古代エジプトの出土品のレプリカがずらーりと並んでいる。「最も予想を裏切った」パキスタンに対して、「最も予想通りの」エジプトである。

 カイロの考古学博物館に行ったときは、写真撮影が禁止されていたので、そのリベンジとばかりにレプリカの写真を撮りまくった。

 しかし、ツタンカーメンの黄金マスク(レプリカ)の写真を見てもらえればわかるように、本物の輝きには遠く及ばない。ピカピカ度が全然違う。

 しばらく進むと、古代エジプト人に扮したおっさんが「パピールス!」「ヒエログリーフ!」と、独特なイントネーションで叫びながら、客にパピルスの短冊(みたいなもの)を配っていた。

 なんとなく受け取ると、ジェスチャーで「ここに並べ」と促された。何かと思ったら、500円出せば、パピルスにヒエログリフで名前を書いてくれるというイベントだった。

 そういうことはエジプトに行ったときにやったし、ヒエログリフは自分でも多少の読み書きはできるので、列から外れさせて頂いた。

 つらつら歩いていると、実際にヒエログリフを書いている場面に出くわしたが、「うわっ、ヘタやんけ」というのが本音である。
 まず、油性マジックで書くのはやめなさい。興ざめだから。
 エジプト大使館のアラビア語教室のテキストで、現代エジプト人の絵心の無さはよく存じ上げていたので、「ああ、やっぱりなあ」という感じではあった。

 最後にみやげ物屋を少し覗いた。ハン・ハリーリ・バザールの支店(?)ということで、なるほどいろいろなものが売っているが、現地とは比べものにならない価格である。

 ショーケースの中に、「クルアーン第113章・黎明章」の第1節をスルス体で刻んだ、真鍮製のプレートを見つけた。
 異教徒の国で、クルアーンの一節を書いたアクセサリーを売るのは、エジプトにしては珍しい。アラブ・バザールのときでさえ、「イスラム関係の言葉を書いたアクセサリーは異教徒に触らせるわけにはいかないから」と言っていたのに。

 店の兄ちゃんに、アラビア語で「これって『スーラト・ル・ファラク(黎明章)』だよね? いくら?」と尋ねると、ちょっと驚いてプレートを出して見せてくれた。
 1万4000円。
 高ーーーーーーーい!!
 「これでも安いよ」と兄ちゃん。
 いろいろと話すうちに、私がイスラム教徒だとわかると大層喜んでくれた後、申し訳なさそうに「ここでは、これは1万円までしかまけられないんだ。ごめんね」と言って、替わりにバッジと絵はがきをくれた。

 彼はアリーという名で、ここで売り子をするために2ヶ月間日本に派遣されたらしい。彼の収入から考えると、バッジと絵はがきの「日本価格」は決して安くないはずである。
 豊かな日本人にとっては、たかがバッジと絵はがきかもしれないが、友情の証しとしてとても貴重なものに思えた。

 そして嬉しい反面、ちょっとだけ申し訳ないような複雑な気持ちでエジプト館を後にした。ありがとうアリー。そしてごめんね。

「いかにも」なパビリオン外壁のレリーフ本物より「はっきりした」書記の像
本物はベルリンにあるネフェルティティ像ツタンカーメン夫妻を描いた玉座のレプリカ

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記4/パキスタン

2005年06月14日 05時36分01秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)7日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)
パキスタン館公式HP

ええーっ!?

 今回訪問したすべてのパビリオンの中で一番驚いたのがパキスタン館である。
 イスラム系パビリオンだと思って入館した途端、正面奥に釈迦苦行像が見えてビックリしてコケた(本当に転んだ)。

 正確に言うと、周囲の壁には民話だかなんだかのレリーフが彫ってあるのだが、高さ30センチほどの土台が斜めに40センチほど突きだしており、釈迦苦行像に気を取られた途端に足を取られた次第。

 文章力がないため、わかりにくくて申し訳ないが、とにかく、パキスタン館ではよそ見するとこけやすい。他のお客さんも何人か同じような目にあっていた。
 
 残念ながら、何の解説もないので、壁のレリーフに関心を示す人は皆無だった。そもそも客があまりいない。激混みの万博会場の中で激空きである。
 何人かのお客さんの動きを見ていると、だいたい次のような共通した行動パターンを取ることがわかった。
 
 ①入館して釈迦苦行像を発見
 ②壁のレリーフをちらっと見て、釈迦苦行像の近くまでゆっくり進む
 ③釈迦苦行像を正面下から覗き込んだあと、後ろに回って眺める
 ④苦行像の後ろのパキスタンレストランを覗く
 ⑤レストランに入らず、他の展示物を所在なさ気に眺める
 ⑥出口付近まで進み、みやげ物屋をちらっと見て何も買わずに退場

 今回の総合プロデューサーは、ジャマール=シャーという彫刻家らしいが、彼は仏教徒なのだろうか?
 宗教の共存はもちろんすばらしいが、パキスタン館でイスラム色全く無しなのには、ホントに驚いた。
 モスクなどでも、パキスタン人には非常に熱心なムスリムが多いし、何しろ基本的にイスラム国である。

 パキスタン館公式ホームページに、「仏教」とか「釈迦」という言葉を一切使っていないのが、イスラム国としての最後の一線なのかもしれない。
 

中央に空間、周囲に山の模型とレリーフと
いうシンプルな作り
モヘンジョ=ダロ出土品のレプリカ(?)


愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記3/イエメン

2005年06月13日 05時57分45秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)6日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)
イエメン館公式HP
ジャンビーアを持って踊るイエメン人たち

 イエメン館の入口付近では、3人のイエメン人がイスに座ってぼーっとしていた。
 たぶん彼らが踊るんだろうなあ…と推測し「何時からダンス始まるの?」と尋ねる。フスハーで聞いたつもりなのに、カタコトの英語で「もうすぐ、中でやるよ」と答えられてしまった。せっかくアラビア語使ったのに…うう、悲しい。

 雨が降っていたので、パビリオン内でダンスが始まった。笛ひとり、太鼓ひとり(正式な楽器名がわからない)、ダンサー4人の構成。
 最初は、拍子木のような木片をふたつ叩きながらのダンス。続いてジャンビーア(イエメンの男性が腹に携帯している、釣り針状の短剣)を使ったダンス。
 これは盛り上がった。狭いパビリオン内が見学者でごった返す。
 一番小柄な青年は、たれ目であどけない表情をしており、彼は女性に大人気だった。みんな写真撮ってたもんな。

 ダンスが終わり、2階に上がると、イエメンの伝統的な高層住宅のサロンが再現してあった。イエメンの家は4階、5階が珍しくなく、最上階には見晴らしのいいサロンがある。
 その再現なのだが、中に入れないのが残念。狭い入口からただ覗くだけである。

 あとはもう、ひたすらイエメンの物品を売っている。アクセサリーがほとんど。ジャンビーアも売っているが、品質は良くなさそう。
 でも大いに盛り上がっている。人々が電卓やメモを使って値段交渉をしており、「ああ、現地の雰囲気が再現されていて、なんか正しい万博だなあ」と勝手にひとりで納得していた。

 最後は、やる気なさそうにウードを弾いていたオヤジと少し話し、せっかくだから一緒に記念撮影してパビリオンを後にした。

 ハイテクなどは一切使っていないが、結構お勧めのパビリオンだと思う。


イエメンダンスの始まり2階にはイエメンの高層住宅のサロンを再現
1階はスーク(市場)。イエメンの物産展。ウードを弾いていたオヤジとともに。