ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)24日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日) |
中東ヘロヘロ紀行の最後の訪問地は、ベイルートのアル・アミン・モスクだった。
ここには、2005年2月14日に、暗殺された、ラフィク・ハリリ前首相の遺体が安置されている。
昨日も少し触れたが、ハリリ前首相は、レバノン内乱終了後にサウジアラビアから帰国し、自らが筆頭株主を務めるソリダール社を使って、レバノンを復興した。
一方、シリア軍は内乱終了後もレバノンに駐留を続け、内政にも強く干渉し続けた。
2004年9月2日には、国連安保理が「レバノンからの外国軍の即時撤退要求」を採択。外国軍という表現を使っているものの、該当するのはシリア軍しかない。しかしシリア軍は撤退しなかった。
2004年10月、親シリア派のラフード大統領が憲法を改正し、自分の任期を延長。ハリリはこれに抗議するために首相を辞任。その後も、シリア軍の撤退を主張した。
そして運命の2005年2月14日。
ハリリ前首相は、4名の警察官、12人の護衛を乗せた6台の車列で、ベイルート市内を移動していた。
ハリリ前首相の乗った車は、当時世界最高レベルのテロ対策を施したものであった。
窓ガラスは世界最高レベルの防弾能力を持ち、レーダーで爆発物をキャッチして未然に避ける性能を備えていた。
にもかかわらず、セント・ジョージ・ホテル前を通過した瞬間、車は大爆発を起こし、ハリリ前首相と7人の護衛、巻き添えになった12人の市民が死んだ。(写真の赤い星印が爆発した場所)
この事件には、シリアの関与が疑われており、現在も国連の独立調査委員会が調査中である。
これをきっかけに、レバノン国民は大団結をし、シリア軍駐留反対デモを各地で繰り返した。そしてついに4月26日にシリア軍が完全撤退。
アル・アミン・モスクの中に設置された、ハリリ首相の安置所で遺影に手を合わせた。
「ハリリ氏が天国へ行けますように。レバノンに平和を。そして世界に平和を」
そう願った後、帰国便に乗るべく空港に向かった。
車に乗る直前のもの。金属板で保護されている。