日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

第3回アラビア語オリンピックに出場してきました④

2006年05月31日 05時35分41秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)4日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)
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いつも悔しい思いをする、このシリーズ。


 アラビア語オリンピックの内容について3回ほど語ってきましたが、最後にちょっとしたハプニングなどについて触れたいと思います。

 毎年、穂高書店さんという、外国語の書籍を扱っている本屋さんがアラビア語やイスラーム、アラブに関係する本を売りにきています。
 昨年、『アラブの学者たち』というアラブの子ども向けのシリーズを発見し、「全巻欲しいなあ」と思ったのですが、虫食い状態で買うのがためらわれました。
 イブン・シーナ、フワーリズミーのような、日本でも比較的メジャーな人物の本から売れてしまうようです。
 発行元はエジプトの新聞社アル・アフラーム社です。

 そこで後日、東京晴海のビッグサイトでおこなわれたブックフェアへ行き、当時お世話になっていたエジプト大使館のブースへ行ってみました。
 おお! このシリーズあるではないですか。しかも2セットあります。全巻買おうと思ったら、2セットとも虫食い状態。

 レジにいた女性(この方にもエジプト大使館でお世話になりました)に尋ねると、「3セットあったうち、1セットは丸ごと買っていった人がいます。残りのセットの中から、イブン・シーナやフワーリズミーなど有名どころだけが売れてしまいました」
 
 そういう買い方はしないで頂きたいのですが、個人の自由ですから仕方ありません。泣く泣くそこにある本だけ全部買ってきました。

 ということで、今年のアラビア語オリンピックでは、抜けた巻を買うぞーーーー! と張り切っていたのですが、今年は輸入した1セット丸々すでに売れてしまったそうです。
 
 以上、ただ単に「シリーズが虫食い状態解消が今年もできずに悲しい」という話でした。中身はありません。

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 さて、スピーチの部の後、トイレに入ると、洗浄スペースに黄色くて臭い液体がぶちまけられていました。
 とてもいや~な予感。
 近くで確認すると間違いなく小便です。

 トイレはすべて個室で、あとは洗浄スペースという作りを知らない日本人男性が、小便用のスペースと間違えて洗浄スペースで用を足してしまったようです。
 知らなかったのでしょうから仕方ないのですが、さすがに洗浄スペースに小便をされちゃーかないません。たまたま学院関係者の方に会ったので、そのことを知らせ係の方に掃除していただきました。

 「異文化理解って、ちょっとしたことが難しいんだな」とトイレの個室でしみじみ思いました。

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 さて、第3回アラビア語オリンピックの総括が自分なりに終わったので、明日あたり久しぶりに「カンボジア・アセアセ紀行」シリーズでも書こうかと思っています。
 文体が記事によって違うので読む方は落ち着かないと思いますが、「カンボジア・アセアセ紀行」では文体が変わります。

アラビア語オリンピックに出場してきました③

2006年05月30日 06時02分55秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)3日 ヤウム・ル・スラーサーィ(火曜日)
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 アラビア語スピーチの部が終わってしばらく休憩すると、「日本におけるアラビア語教育の現状」という内容のシンポジウムでした。

 3名の方が25分ずつ研究結果を報告し、最後の10分間くらいで質疑応答という内容です。

 最初の発表者はアラビア語でした。自動翻訳機が無料で貸し出されたので、それを使えば日本語でも内容が聞くことができます
 ところが、翻訳機を借りておきながら使用するのを忘れ、「う~ん、アラビア語を聞いても全然理解できない…」とガッカリしてしまいました。
 発表が終わり、拍手をする段になって、自分の手に握られている自動翻訳機の存在に気がつきました。最近物忘れがひどく、どうやら確実に脳みそが衰えているようです。

 あとのお二人は日本人の日本語による発表でした。ただし「日本人のための」という点についてはちょっと疑問が残ります。

 短時間でのシンポジウムということで、発表者のみなさんも、泣く泣くカットせざる得ない内容も多かったことと思われます。さぞかし無念でしょう。

 シンポジウムを聞いて、思うこと・考えることはたくさんあったのですが、質問したり意見を言ったりする時間的余裕もありませんでした。

 もし、この件について「朝まで生テレビ」(古っ! 若い人は知っているのかな?)程度のレベルの討論会があれば参加させて頂きたいと思います。
 「朝まで生テレビ」くらいの討論レベル(参加者の知的レベルではなく)なら、わたしなんぞが参加しても違和感無さそうです。 
 もっとも発言の機会も無いかもしれません。あの番組に参加されていたみなさんは、「人の話を聞かない」という点において、小さな子ども顔負けの実力者揃いでした。
 さらに言えば、人格と意見を混同する出演者も多かったので、やはり厳しいかもしれません。発言した途端に「なんだ、バカ野郎! お前みたいなヤツは黙ってろ!」とか怒られそうです。

 あ、くだらないことを書いているうちにまた出勤時間になってしまいました。いってきま~す。

第3回アラビア語オリンピックに出場してきました②

2006年05月29日 06時26分58秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)2日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)
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 さてさてアラビア語書道のコンテストはそういうわけで選外だったのですが、あまり悔しい気持ちはありません。
 「やるだけのことをやったつもりなのに結果が出ない」ということは、私の人生において別段珍しいことではないのでガッカリしても仕方ありません。
 それに、この後もやらなきゃいけないこと・やりたいことが目白押しなので、立ち止まっている場合でもありません。なぜか今、妙に前向きです。

 むしろ、残念なのは、初対面のスライマーンさんが私にしかけようとした、茶目っ気のあるイタズラを無意識に阻止してしまったことです。
 アラビア書道のコンテストのときから、「ふふふ、あれがイスハーク氏だな。どれどれちょっといたずらしてやれ~(←私の想像)」と考えていたそうで、ちょっと申し訳ない気分でした。

 初対面のスライマーンさんはマジメな雰囲気の中に茶目っ気を感じる、とてもいい味のムスリムでした。なんというか独特のオーラがあるので、見た途端「あ、彼がスライマーンさんだ!」と直感的にわかりました。結果として、それが彼のイタズラを挫いてしまったわけですが。

 さて、食べ損なうかと懸念された、昼食用のシュワルマサンドを無事に食べることができ、午後はアラビア語スピーチの部です。
 今回の出場者は8名、全員女性です。昨年は男性が3名ほど出場していたと記憶していますが、ついに男性0名です。前々から予想していたことなので驚きはありません。
 司会も2名とも女性です。昨年はメインの司会は若い男性でした。なかなかユーモラスな司会だったことを覚えています。

 内容的には、後の人になるほど高度な内容で、もしかしたらレベル別の代表だったのかもしれません。
 「イエス様の復活…」「同じ神を信仰するムスリムのみなさまに出会えたことを感謝しています」などの内容を話された女性がいました。どうやらクリスチャンのようです。
 アラブイスラーム学院のアラビア語スピーチの部に、クリスチャンが出場ということで、「画期的なことなのかな? それとも前例があるのかな?」と考えてしまいました。

 それにしても、みなさんの経歴が華やかで参りました。アラビア語だけでなくギリシア語も話せる方、チュニジアに留学していた方、サウジのリヤドに住んでいた方などなど。

 いつの日か、スーダン留学から帰ったスライマーンさんがこの場に立つ日が楽しみです。

 ここまで打ったところで今日も出勤時間となりました。いってきま~す。

第3回アラビア語オリンピックに出場してきました①

2006年05月28日 07時31分33秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)1日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)
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 以前から書いていた通り、昨日、アラブイスラーム学院で第3回アラビア語オリンピックが行われ、アラビア書道の部に出場してきました。

 結果はルクア体部門で選外です。ちょっとしたサプライズがありましたが、私個人が勝手にサプライズだったようで、他の出場者のみなさんは驚くこともなく作品に取り組み始めました。

 課題は次の通り。

بسم الله الرحمن الرحيم
واعتصموابحبل الله
جميعا ولاتفرقوا


ビスミッラーヒ・ッラフマーニ・ッラヒーム
ワ・アタシムー・ビハブリ・ッラーヒ
ジャミーアン・ワ・ラー・タファッラクー

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
アッラーの綱にしっかりとつかまり、
みながバラバラになってはいけない。

 
 今年の参加者は25名。昨年より10名ほど増えています。しかし、相変わらず男性は少なく、私を含めて3名でした。
 予想外だったのは、そのうち9名がルクア体部門に参加していたことです。あまり人気のない書体だと思っていましたが、読みが甘かったです。
 
 残り3分になったときに、重要なミスに気付き、慌てて新しく作品を書いて提出。それまでじっくり仕上げた作品はなんだったんだ? という気がしないでもありませんが、それを言っちゃおしまいです。

 あまりに慌てたためか、申込時に「ムスリム名だけで本名は出さないでください」とお願いしておいたのに、自分で作品の裏にフルネームを書いてしまい、作品が展示されたときに「ムスリム名+本名」のネームプレートを貼られてしまうというオマヌケなことをやってしまいました(関係者に説明して、本名部分を自分で隠した)。

 ここまで打ったところで、ボチボチ出勤しなくてはなりません。続きは帰ってきてから、または明日打ちます。 
 それでは行ってきます。

いよいよ明日か…

2006年05月26日 21時16分58秒 | アラビア書道
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ッサーニー(4月)28日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)
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 いよいよ明日は、アラブイスラーム学院で第3回アラビア語オリンピック。アラビア書道の部は11時15分から1時間おこなわれる。集合は10時半。

 昨年の展覧会のときもそうだったが、自分の中で「『書くことが信仰』という故サアダウィー師の言葉をよく使うわりには、展覧会に作品を出したり、コンテストで競ったりするのは矛盾してるのではないか?」と悩むこともあった。

 しかし、今は迷いは無い。
 いろんなことに手を出すわりに怠けがちな自分にとっては、目標があった方がいいのだ。
 あるひとつのことが好きで好きでたまらなくて、ずっとやっていたら凄いレベルになった…という人が世の中にはいて羨ましい限りだが、私はそういうタイプではない。
 目標があるから(それがどんな目標であっても)、頑張れるタイプの人間なのだ。
 明日のコンテストにエントリーしたおかげで、いつもより練習時間を取る努力をしたし、カラム(筆、ペン)や墨の試行錯誤をする中で、ささやかな発見によりささやかな充実感を得ることもできた。

 思えば、昨年のコンテストで飛び入り参加をせざるを得ない状況になり、悲惨な結果に終わったこともモチベーションになっている。
 大した努力をしたわけではないけれど、昨年と違って、準備期間があっただけでもありがたい。

 「詳しいルールを知らない」というちょっとした問題はあるが、まあいいか。
 昨年通りなら、黒板に課題となるアラビア語が書かれ、それを見て好きな書体で時間内に作品を仕上げるという形式になる。

 しかし、今年は書体別なんて話も小耳に挟んだし、結局どうなるのだろう。他の書体に比べれば地味だが、明日はルクア体を書く。
 コンテストという視点で見れば、高度なスルス体や、見栄えの優雅なディーワニー体、基本中の基本ナスヒー体の方がおそらく有利だろう。
 でも、今自分が練習しているのはルクア体だからルクア体以外は書くつもりはない。コンテストと言っても、あくまで「今の自分の力を試す場」なのだから。 
 と、偉そうなこと言ったけど、そもそもナスヒー体とルクア体しか書けないんだった…。
 今日は早く寝ようっと。

アラビア語オリンピックに向けて悪あがき

2006年05月25日 21時59分29秒 | アラビア書道
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ッサーニー(4月)27日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
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こんな写真をしゃあしゃあと載せられる大胆な一面を持つ私である。ホントは恥ずかしいが。

 アラビア語オリンピックがいよいよ明後日に迫ったが、実力が上がっていない。というより、実力下がっていないか? 
 理由はきわめて簡単で、練習不足である。やることが多いというよりは、単に時間の使い方が下手であることは百も承知だが、なかなか直せないものである。B型だしな…(←いつものいいわけ)。

 そこで考えたのが「弘法じゃないから筆も墨も選びまくるぞ」作戦。内容は極秘!…と言いたいが、作戦名がそのまま中身を表しているので隠しても仕方ない。

 先生から買った筆を自分になじむようにさらに削ったり、毛筆用の筆の柄を削って作ったり、七夕祭りで使った竹の枝をもらってきて削って筆を作ったり、画材屋で葦のペンを買ってきて削ったり、まずは筆を何本も用意だーーっ!
 下手な鉄砲も数打ちゃ当たる的発想で十数本用意した。この中で一番使いやすいモノで勝負という作戦。
 でも、アラビア書道は日本の書道と違って、カラム(筆・ペン)をどう作るかにかなりの重要性があるから、偉大なハッタート(書道家)でもカラム制作には試行錯誤を重ねている。カラムの作り方がひとつの秘密だったりもする。
 そういう意味では、筆をあれこれ試すのは別に「作戦」というほどのこともなく、アラビア書道愛好家なら誰でもやっていることかもしれない。

 問題は墨、またはインクの方だ。
 アラビア書道の基本では「にじみ」「かすれ」は避けるべきものとされている。(東洋の書道の影響か絵画の影響か、かすれたりにじんだりしている文字を書くハッタートもいる)。
 今度のコンテストでは、にじみ・かすれは大敵だ。

 ということで、墨汁をいろいろ試してみた。
 練習でいつも使っているのは、100円ショップの墨汁。いくらなんでも、これは安っぽいのではないかと思い、書道専門店に行って、「超濃墨」という高い墨汁を買ってきた。

 余談ながら、墨汁売り場の隣に「自動墨擦り機」という機械が売っていて驚いた。一辺30センチくらいの真四角の鉄のボックスからアームが二本にょきっと出ている。これに墨を挟んで擦るという機械。お値段5万8000円なり。「これを使ってみるか…」などとはまったく思わなかった。どういう人が使うんだろ、これ?

 さて、超濃墨で墨壷をいくつか作ってみた。ケースの中の構造を変えてある。
 ところが、何日も実験を重ねるうちに悲しい事実が赤裸々になってきた。超濃墨は粘度が強すぎて、竹のカラムには向かない。書いている途中で墨が固まり始めてしまい、最後まで筆線が続かない。そもそも普通に書くこと自体が難しい。
 むしろ、100円墨汁の方が伸びるし、かすれない。上の写真の線より上が100円墨汁、線より下が超濃墨で書いた文字。
 根本的な上手い下手は別として、あきらかに100円墨汁の方がアラビア書道には向いている。超濃墨の方は「文字になっていない」と言ってもいいような状態だ。ルクアとナスヒーで試してみたけど、他の書体でもたぶん同じだろう。

 竹のカラムを使うにはあまり粘度が高くない方が良いということがわかった。100円墨汁はだいたい粘度6~7くらいと予想される。それに対して超濃墨は粘度67! 途中で乾いちゃうわけだよな~。

 で、結論。
 いつもの100円墨汁を使って、いろいろなカラムの中から自分に合ったモノを見つけるのが一番! 
 なんだ、余計なこと考えずに地道に努力するのが良いという当たり前の結果じゃないか。

 それにしてもワーウو  とラーر

は相変わらず難しい。最後がきれいに「抜けない」んだよなあ。

GIMPでバスマラ

2006年05月24日 00時52分46秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ッサーニー(4月)26日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)
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 最近、すっかりとmixiばかりに力を入れすぎて、こちらがおろそかになっている。

 本当は、イスラーム関係・宗教関係・イスラーム文化・ちょっとマジメなことなどは「アナー・イスミー・イスハーク」で、どうでもいいたわいもないことはmixiの日記でと思っていたのに、いつの間にか、mixiの方に結構イスラーム関係のこと書いているし。

 mixiで書いた「GIMPでバスマラ」という日記も、内容的にはこちらの方がふさわしいような気がしたので、こちらにも再掲することにした。

 今まで、使っていた画像加工ソフト「PhotoshopElemants3.0」だと、アラビア語が使えなかったのだが、なんとフリーソフト(無料でダウンロードできるソフト)のGIMPでは、いとも簡単にアラビア語を打てて加工できてしまった。

 手始めにバスマラを打ってみた。なんとなくキスワ(マッカのカーバ神殿に掛けられる黒い布)みたいな感じを出そうかと工夫してみた。

 今後、クルアーンの章をこんな形で打っていこうかと考えている。こうやって眺めると、あらためてアラビア語は美しい。

あ、一周年たったの気付かなかった

2006年05月19日 01時26分31秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ッサーニー(4月)21日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)
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 5月16日で、このブログ開設一周年だった。
「最初だけ勢いよく徐々にペースダウンして中途半端に終わる」ってプロフィールにも書いた通りの展開になりつつあるな。5万アクセス突破のときに比べてテンションが低いし。

 1日のアクセス数が400~500だった時期もあったのに、最近あまり更新していないためか100前後にまで減ってきている。
 最初の9ヶ月くらいは気合い入れて毎日更新していたのになぁ。一部不都合があって、記事を削除したから、「抜け」もあるけど。
 更新がほとんどされていない状況でも辛抱強くアクセスしていただいている方々には感謝!

 ブログで知り合ってリアルに会った人もいるし、ネット上からも多くの刺激も受けたし、ブログを始めてから一年間、いろいろな展開があったなあ。
 今のところは充電期間で、あまり更新していないけど、このブログを読んでくださっている皆さん、今後ともよろしゅうお願いします。

『ニュースの裏側がよくわかる イスラム世界の人生相談』を読んで

2006年05月18日 00時53分47秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ッサーニー(4月)20日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
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 なんだか、小学生の夏休みの宿題の読書感想文みたいなタイトルだな。
 昨日、『ニュースの裏側がよくわかる イスラム世界の人生相談』(西野正巳:編訳、太陽出版、2006年4月20日第1刷、1400円+税)という本を買って読んでみた。

 本屋に「イスラーム入門」という類の、似たり寄ったりの内容の本があふれている中で、異彩を放っている。イスラーム国の新聞・雑誌などに寄せられた、ムスリムの人生相談を訳した内容の本。

 真剣に相談して、真剣に答えている方には申し訳ないが、あちこちで苦笑してしまった。
 はっきり言って「ゆるい」。
 この場合の「ゆるい」は、漫画家のみうらじゅん氏が提唱した「ゆるキャラ(ゆるいキャラクター)」の「ゆるい」と同じニュアンス。何言っているんだかわからない人もいると思うけど。

 昔、『月刊住職』という、坊さんの専門誌を読んでいたら、相談コーナーで「ピアノを買おうと思うのですが、寺院の備品という扱いで税金の優遇措置を受けられないでしょうか?」という相談が載っていて、全身から力が抜けたのを思い出す。

 しかし、今回読んだ本はもっと素晴らしい。暴走気味とも言える内容の質問に対し、迷走気味とも言えるお答え。
 
 例えば「日本で長年暮らしていますが、日本人へのイスラームの布教がうまく行きません。どうしたらいいでしょう?」という質問。
 実際はもっと長い質問文で「イスラム国には悪徳が満ちています」なんて書いちゃっているし。どこの国の人なんだ? 

 でも、ハッサン中田考氏も『イスラームのロジック』の中で「現在のイスラーム世界の国々は、王政であると共和制であるとにかかわらず、例外なく構造的に腐敗した軍事独裁政権であり…」と痛烈な批判をしているし、以前なにかで読んだ記事でもアメリカ在住の熱心な年配女性ムスリマが「アメリカは嫌いだけど、今のイスラーム国家は腐敗しているからもっと嫌い」と書いていたから、ここらへんはまだいい。

 回答も回答で、

 「アラブ近代文学やアラブ近代詩には、日本人を称賛するすばらしい詩や論説がたくさんあります。こうした文学作品も、私たちと日本人の距離を縮めるのに貢献してくれています」

なんて、ほとんどの日本人が知らないような文学を持ち出してきているし。本当にそんな文学作品がアラブにあるのか?

 さらに、アラブ諸国やインドの新聞記事の引用はもっとすごい。

 「日本人は、自分たちが信仰すべき宗教を探していた。そして、日本人は最良の宗教を選択するために、諸宗教会議を開催し、様々な宗教の代表者をその会議に招いた。
 当時、エジプトのアズハル大学のイスラム法学者だったアリー・ジャルジャーウィー師は、この会議に参加するために自腹で日本に行った。同師は広大な土地を売却し、そのお金で日本行きの船便の切符を買った。同師は日本に数ヶ月間滞在し、後に日本での体験について『日本への旅』という本を書いた」

 へぇー、小説『世界の宗教 どの教えが優れているのか?』(シャフィック・ケシャヴジー:著、小林修:訳、徳間書店、2000年1月31日初刷、2000円+税)みたいなことを実際に日本もやったことあるんだ。知らなかったな、勉強不足だ。
 それにアリー師の『日本への旅』も読んでみたいな。

 …なーんて感動しながら次の行を読んだら、「この話は、もしかしたらフィクションであり、事実ではないのかもしれません。」などと書いてあって、震度5くらいの激しさで脳みそをシェイクされた。感動させておいてフィクションかよっ!?

 女性からの性転換手術の可否についての相談への回答の中では、「以前、エジプトのアズハル大学で医学部の男子学生が女性への性転換手術を受け、大騒ぎになったことがありました」なんて、さらっと書いている。私の頭の中の方が大騒ぎである。あのアズハル大学でそんな事件があったとは…。

 「嘘は許されないかどうか?」という質問の中では「害のない嘘は、もはや人々の日常生活の一部になっています」なんて言っているし、さらに「エイプリルフールに嘘をついちゃいけないのでしょうか?」とか「最近、私たちの間では霊を呼び出すのが流行していて、子どもたちも学校の勉強そっちのけです」とか、「いったいどこの国の話なんだ?」状態満載!

 はっきり言って、日本におけるイスラームのイメージは、まだまだ「よい」とは言い難い。教条主義で縛り付けられるような印象が一般にはまだ強いのだ。
 そんな中で、イスラーム国の普通(でもないか)の人々が、素朴な質問をぶつけている姿を紹介した本という意味で画期的だ。
 だけど、これを読んだ人は別の意味でイスラームに偏見持っちゃうかもなぁ。「イスラム教徒っちゅうのはオモロイやつらじゃのぅ」なんてね…。

健全な肉体でもなければ、健全な精神でもないぞ

2006年05月13日 09時48分09秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ッサーニー(4月)15日 ヤウム・サブティ(土曜日)
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 いかんなぁ。花粉症にも五月病にも縁が無いのに、最近いまひとつテンションが上がらない。といってもカウンセリングを受け続けてはいるわけだけど。

 本人はま~ったく自覚が無いのだけど、カウンセラーさんの話だと「よくそれだけの緊張を毎日強いられて身が持ちますね。ゴルゴ13じゃないんですから…」ということであった。
 ゴルゴ13の詳しい説明は避けるが、劇画の主人公であり、国際的なスナイパー(狙撃手。要するに殺し屋)である。もちろん私は殺し屋ではない。だが、緊張感あふれる行動パターンで似ているところがあり、それがカウンセラーさんの心をがっちりと掴んだようだ。

 「でも戦争の最前線で戦っている兵士に比べれば楽なものじゃないですか?」というと、「日本で日常生活を送っている人はそういう比較をしない方がいいと思いますよ」とたしなめられた。

 さて、私は格闘技や陸上などをやっていたので、筋肉質でがっちり体型である。はっきり言って頑丈だ。多少叩かれたり、落っことしたりしても壊れない。
 ところが心身共に健康ではない。頑丈なのと健康なのは違うのだ。

 どうも世間全般的に「スポーツをやっている人は健康だろう」という勘違いが広がっているようである。
 健康作り程度に散歩したり山歩きをしている人は健康かもしれないが、本格的にスポーツをやればやるほど健康とは遠ざかる。
 かといって「そういえば、テレビ番組で元野球選手の金村儀明は血液ドロドロ王だったなぁ」などと思い浮かべてはいけない。あの人はスポーツとは関係なく、単に不摂生の結果である。

 ハードな運動をすれば活性酸素も出るし、関節にも負担がかかるし、靱帯は痛めるし、歯を食いしばれば奥歯もすり減ったりするし、試合に出ればケガもするし、不健康なことこの上ない。特に格闘技系はそうだ。

 「健全な肉体に健全な精神がやどる」などと言っている体育の先生に限って、健全とは言えない格好で町をうろついて、健全とは言えない行動パターンを取ったりすることがある。もちろん全ての体育の先生がそうではないけど。
 スポーツが健全な肉体と健全な精神を作ることは実はまれである。

 スポーツ選手が健全でない適例として、国会議員で元プロレスラーの大仁田厚氏などがあげられる。
 体中縫いキズだらけで、骨折は数知れず、靱帯などもぼろぼろである。健全な肉体とはほど遠い。
 その上、 「有刺鉄線電流爆弾デスマッチ」(ファイヤーッ!) などをやる人の精神が健全であるとは思えない。というより尋常であると思えない。

 私も骨折を20回以上しているし、膝の靱帯はボロボロなのであまり大仁田氏のことは言えないのかもしれないけど。

 長年続けた空手をやめ、仕事内容も変わり、現在、自分の環境にさまざまな変化が訪れている。やや「燃え尽き症候群」的な感もある。多くの社会人が感じているであろう、あたりまえのことだが、思ったように「ことが運ばない」。

 そしてようやく見えてきたイスラーム(単にイスラーム「教」ではなく)の広大な世界を目の前にして、「まだまだ学ぶことや、やることは多いなあ」と立ちつくすこともある(ようやくイスラームのことがでましたね)。
 心身ともに少し疲れ気味である。だが、きっとこれも天命、今はそういう時。なるようにしかならないのだろう。そう思えるようになって、焦りや不安が少しずつおさまってきている。ついでにブログの記事もあまり書かなくなってきている。とりあえず「脱ゴルゴ13」が目下の私の目標だな。