ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)19日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日) |
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おとといはオルドサフナ楽団について延々と書いたが、成田空港到着1時間半後に公演という過酷なスケジュールをこなしたのだから、もっと讃えてもいいくらいである。
さて、今日はキルギスについて語りたい。中央アジアのキルギスは行きたい国のひとつなのだ。なにしろ、イシククル湖で、汗血馬の子孫で、スイアブ跡だ!
「よくわからん」という人がほとんどだと思うが、それでもいい。好きなんだもん。
コンサートの前に、キルギスのコーナー(と言っても机ひとつ分のスペース)に行き、日本の大学に留学しているキルギス人女性にいろいろとお話を聞いた。
初めは気を遣って「クルグズ」と言っていたのだが、彼女も自国のことを「キルギス」と呼んでいたので、ブログでもキルギスで統一することにした。
言語は、やはりロシア語が主流。ソ連から独立してまだ14年だもんなあ。ウズベク人やカザフ人と話すにも便利だし。
無理すれば、キルギス語とウズベク語でも通じるようだが、ロシア語が使えるのでそういう無理はしないようだ。
会場内でも、ウズベク人たちとロシア語でコミュニケーションを取っていた。
ムスリムは実はほとんどいないそうだ。村に1人くらいイマームがいて、葬式のときなどに『クルアーン』を読んだりするらしい。
一般の人は『クルアーン』はまったく読めないし、内容も知らないのが普通だとか。
こうなると、イスラームも日本の仏教とあまり変わらない。
ソ連時代には公式には宗教が禁止されていたのだから、そんな急にはイスラームが復活するものでもないか。
でも、ウズベキスタンのブハラとかは結構イスラームが復興していたよなあ。残っているモスクの数の差が、イスラーム復興の差になっているのかもしれない。
そもそもイスラームが入ってきた7世紀くらいから土着のアニミズムと結びつき、独特のイスラームになっているらしい。動物をいけにえにして雨乞いしたりとかね。
手元の『ISLAM』(ポール・ランディ:著/小杉泰:監訳/ネコ・パブリッシング)という本の、キルギスのデータを見ると、「スンナ派ムスリム70%」とあるが、どうも眉唾っぽいなあ。
イスラーム諸国会議機構には参加しているものの、国民のほとんどは、イスラーム教徒というアイデンティティを持たずに暮らしている。
イスラーム国も形態はさまざまである。
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「遊牧民もいるんですよね?」と質問したら笑われてしまった。マヌケな質問だったようだ。
ソ連時代はコルホーズやソフホーズに編成され、国民はみな定住させられていたのだから、遊牧民がいるわけないのであった。
日本に来て初めて、「モンゴルやトルコには『現役の』遊牧民がいる」と知って驚いたとか。近隣諸国の情報は意外に入らないのかも。
トルコなんか、羊を千頭も二千頭も所有している遊牧民は富裕層なのになあ(全て売ればすごい値段になる)。
壁に貼ってある、国紹介のポスターみたいな紙に「食べ物:プロフなど」と書いてあったので、「やはりキルギスもプロフなんですか?」と尋ねたら再度笑われた。
「それは、観光客がイメージしやすいものを書いてあるだけですよ。キルギスには70以上の民族が暮らしているし、地域ごとに食べているものも違うので、『これがキルギス料理』と言えるものは特に無いんです」と流暢な日本語で諭されてしまった。
どうも、本で読んだりとか、イメージしていたのと違うことが多く、「ひとつの国を正しく理解するというのは、なかなか大変なことであるな」と改めて実感した。
もっとも、私がきちんとしたモノを読んでいなかったり、読み方が悪かったりする可能性もあるのだけれどね。