日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

大雷山的!(=ビッグサンダーマウンテンみたい!) ②

2006年03月27日 06時20分51秒 | カンボジア・アセアセ紀行
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)26日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)

バイヨンで猿の古老から説教を受ける。「だいたい、お前たち人間はのう…」とくどくど怒られて反省。

 バイヨンを見るのには二つの点で難しさがあると感じた。


 第一に、全体の構成がわかりにくい。時代によって、増築を繰り返し、結果的に変なところに段差や高低差できたりして迷路のようだ。


 第二に、これまた時代ごとに塔や彫刻を付け加えていったので、どういう順で何を見たらいいのか、専門家でもないとわからない。ガイド自身が混乱している様子さえある。
 せめて、彫刻に頻繁に登場するキャラクター(?)、例えばデヴァダー(天女)や阿修羅、ガルーダなどについてはもう少し知られるような努力があってもいいのではないか?


 そこで、私はこれらをサポートするアイデアを考えた。
 カンボジアの空いた土地に、遺跡をモチーフにしたテーマパークを作るのだ。とりえあえずここでは「ユニバーサル・カンボジア・ランド(略称UCL)」という仮称で呼ぶ。


 そしてのUCLには、バイヨンをモチーフにしたアトラクションとして、「ビッグサンダー・バイヨン」を作る。本物のバイヨンと同じ大きさのレプリカを作り、その周りにレールを巡らせ、ジェットコースターを走らせるのだ。


 
 すると、本物では見られなかった視点からバイヨンが見られ、「へえ、上空から見ると、こんな感じなんだ」とか「中央の塔の上の方はこうなっていたんだ」など違った感慨が得られるかもしれない。巨大な顔が迫ってきて迫力も満点だ。
 ただし、ジェットコースターが苦手な人にはそんなことを見ている余裕が無いのが欠点だが。



 ←バイヨンの随所…というより、カンボジアの至るところで見られるデヴァダー(天女)の彫像


 そして、マスコットキャラクターで「デヴァダー(天女)」をデフォルメして、「デヴィーちゃん(きわどいな…)」などを作り、着ぐるみを着てショーをしたり、パレードしたりする。もちろんキャラクターグッズも外せない。

 この壮大な構想を、現地ガイドのソティリット君に話すと、「おお、それはすごい! お兄さんは天才ですね!」と、満面の笑顔で甲高い声を上げて感心してくれた。 
 ソティリット君、私はますます君が好きだよ。


こちらが現地ガイドのソティリット君。マジメな23歳の大学生。→ 

大雷山的!(=ビッグサンダーマウンテンみたい!) ①

2006年03月26日 19時13分49秒 | カンボジア・アセアセ紀行
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)26日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

遠くから見ると、険しい岩山がそびえているように見える。

 昨日の「ベリーダンスの歴史①」に続いて「ベリーダンスの歴史②」に行くのかと見せかけて、久しぶりの「カンボジア・アセアセ紀行」という変化球を使ってみた。


 SuuSuuさんにコメントを頂き、「あ、そう言えば書かなきゃ!」と思い出してからだいぶ経ってしまった。1月半ば以来だなあ。


 しかも、旅行前に「ミヤゲ買ってくる」と書きながら関係者にまだ発送していないし…。忘れた頃につまらないものが届く人がいるかもしれませんので、訝らないでください。


【バイヨンについて】


建立年代:12世紀末~13世紀末
当時の王:ジャヤバルマン7世~ジャヤバルマン8世
何なの?:王様用の寺院。ある時は仏教寺院、またあるときはヒンドゥー教寺院。


 象から降りて、最初の観光はバイヨン。遠くから見ると、東京ディズニーランドのビッグサンダーマウンテンみたいなゴツゴツした山々に見えるが、近づくと、四面にローケーシュバラ観音菩薩の顔が彫刻された塔が林立している。
 その数は37本。もともと何本あったかは諸説ある。
 ここに限らず、仏教遺跡は仏教の宇宙観を表現していることが多い。


 「仏教の宇宙観」というと、だいたい須弥山が中心に聳え、土台は四角形という建築や意匠が普通である。
 チベットの寺院などに見られる、立体の時輪曼荼羅(カーラチャクラ・マンダラ)なども、このような形をしている。
 仏教の宇宙観とはだいたい以下の通り。
 

 須弥山とは世界の中心に聳える山。ただし、ここで愛を叫んだりはしない(←ネタが古め)。
 頂上には帝釈天が住み、中腹に四天王が住んでいる。そして須弥山のまわりを、七重の山脈が取り囲んでいる。 
 その周囲は海であり、四方に陸地があり、そのうちのひとつ閻浮堤(えんぶだい)に人間世界がある。
 さらに下に、金輪(こんりん)、水輪(すいりん)、風輪(ふうりん)という土台が三層になっている。


 図解入りで説明してある、仏教入門書などもあるので、関心のある方は書店などで探してみてください。


 四面に彫刻された顔の表情については、現地ガイドのソティリット君(23歳)の話によると、次のようなことらしい。

 
 東:喜  北:怒  西:哀  南:楽


 でも、どうしてもそのように見えない顔もあったりして、ソティリット君に突っ込んでみると、「いやあ、実はその通りでない塔もあるんですよ。二面や三面の塔もありますし」と笑顔であっさり。なんとなく彼に親しみを持ち始めていた。
 
あちこちの窓から顔が見える設計。定番の写真スポットらしい。仏像とキス。
迷路のように入り組んだ内部。第一回廊から第二回廊へ降りる階段。

ベリーダンスの歴史① (「ムスリマのベリーダンサーはけしからんのか?」補足)

2006年03月25日 20時48分21秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)25日 ヤウム・サブティ(土曜日)
‎‎
【能書き】

 以前、「ムスリマのベリーダンサーはけしからんのか?」というシリーズを綴りましたが、そこではベリーダンス自体にはあまり触れていませんでした。

 イスラムとベリーダンスには本来直接の関係は無いのですが、ベリーダンスがアラブ文化やイスラム文化の一部だとみなされている現状(たとえそれが人為的に形成されたものであっても)もありますし、少しばかり歴史的な経緯を調べてみようかな…という気になりました。

 いつぞやコメント欄でアリーマさんが、「自分のブログでベリーダンスの歴史についていずれ掲載する予定」という旨を書かれていたので、ちょっと躊躇したのですが、「私なりの考察も加えて独自性を出すから、先に書くのを勘弁してね」という気持ちで書くことにしました。(アリーマさん、すみません。お先に失礼します)
 
 私は音楽やダンスについては全くダメ(知識、実践とも)なので、詳しい人から見たら「何をトンチンカンなこと言っとるんだね、キミは?」ということもあるかもしれません。そこら辺はコメント欄で優しく諭してあげましょう(←いきなり弱気)。

 例によって一回で綴るには量が多くなりそうなので、こちらもちょっとしたシリーズで綴っていくつもりです。

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【参考文献や調べ方】

 日本語ではあまり参考になる本が無かったので、とりあえず "bellydance" (by Dolphinia) なる本をアマゾンで取り寄せてみました。
 見開きでたった2ページだけ歴史が載っていて、あとはとてもきれいなオールカラーの技術書でした。
 たぶん、イランやサウジには持ち込めそうにありません。
 著作権の問題がありそうなので、画像などはアップしませんが、興味ある人はアマゾンで取り寄せてみてください。会う機会のある方には希望があれば直接お見せします。

 "Oriental Belly Dance " (by Ozdemir, Kemal) というペーパーバックも注文してみましたが、「世界中で人気があり発送時期が集中しているため、すご~く時間がかかるよ!」というメールが届きました。
 
 その他、いくつかのサイトも参考にさせて頂きました。そのまま引用などはしていないので、特に参考サイトはリストアップしません。

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【概  観】 

 ベリーダンスは広い地域に広がりましたし、時代とともに変化してきました。
 現在では、エジプシャン、ターキッシュ、フォーク・アンド・エスニック、アメリカン・トライバルなどの種類があるそうです。

 それだけに、「ここがベリーダンスの発祥地」と一カ所に起源を特定することは困難です。インド、北アフリカ、アフガニスタン、中東など諸説ありますし、当然ながら複合説も有力になってきます。
 
 もともとは多産や安産を祈願したり、地母神を崇めるための宗教的儀式だった可能性が強いのも、複合説の根拠になりそうです。
 多産、安産を祈願する儀式というのは、広範囲に普遍的に見られるからです。
 そのような儀式には、男性は禁忌だったのが普通で、もともとは女性が女性のために踊ったダンスだと考えられます。

 "bellydance" (by Dolphinia) によると、男性がこのダンスを見るようになったのは19世紀以降となっています。
 ただ私の考えとしては、イスラム世界に乱れが見られ始めた17~18世紀あたりには、男性を楽しませるために踊っているダンサーもいたのではないかと思います。
 そのあたりの根拠についてはいずれ記述するつもりです。

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【ベリーダンスの呼称について】

 ベリーダンスの、アラビア語での呼び方については、"bellydance" (by Dolphinia) ではラテン文字転写で"raks sharqi"となっていましたが、日本語のサイトでは「ラアス・シャルキ」 「ラクス・シャルキ」 「ラアス・シャルイ」など、さまざまな表現が見られました。

 よくわからないので、『パスポート初級アラビア語辞典』(本田孝一・石黒忠昭:編、白水社)で調べてみると、「ベリーダンス」は


رَقْصَةُ الْبَطْنِ  (ラクサ・ル・バトゥニ)


となっていました。"raks sharqi" も 「ラアス・シャルキ」 「ラクス・シャルキ」 「ラアス・シャルイ」もアラビア文字で表した資料が無かったので、勝手に推測しましたが、おそらく



رَقْصٌ شَرْقِيٌّ   (ラクス・シャルキ または ラアス・シャルイ)


という綴りではないかと思います。

ق (カーフ)

をフスハーだと「かすれたカ行」、エジプト方言だと「かすれたア行」で読むため、フスハー(正則アラビア語)なら「ラクス・シャルキ」という読み方になり、エジプトのアーンミーヤ(方言)だと「ラアス・シャルイ」という読みになると思うのですが…。
 アラビア語に詳しい方、当たっているでしょうか?

 意味は「東方のダンス」ということになり、各参考資料の訳とも一致します。そして、日本でも「オリエンタル・ダンス」という言い方もするようになっているようですし。

 ということは、アラビア語で「東方のダンス」ですから、ベリーダンスの起源は中東よりは東の方ということになり、中東が起源ということはではなさそうです。

 もっとも、イスラム圏の多くの国がヨーロッパの植民地になった時代、ヨーロッパ人が「オリエンタル・ダンス」と呼び、それがアラビア語に訳された可能性もありますが。
 これについてもいずれ記述するつもりですが、長くなったので、今回はここまででやめておきます。

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 長々と呼んでくださったみなさま、お疲れ様&ありがとうございました。

老いの兆候現る!……かな?

2006年03月25日 13時02分38秒 | 未分類
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)25日 ヤウム・サブティ(土曜日)

‎‎  なんだか西暦2006年になってから、いろいろなことで不振続きです。
 毎日更新していたブログも停滞気味。仕事も趣味も勉強も、テンション&能率が大幅ダウンです。
 空手、アラビア書道、インドネシア拳法、アラビア語、スペイン語、読書、PC…すべてが中途半端。愚痴っぽくなってきたのは年のせい? もうすぐ喜寿か…(どれくらいもうすぐなのかはヒミツ)。

本日、トルシエ元監督がイスラム教徒になりましたねぇ

2006年03月24日 23時22分06秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)24日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

‎‎ ネットのニュースなどでも結構目立つ扱いをされたのでご存じの方も多いと思いますが、本日、サッカーの元日本代表監督のトルシエさんがイスラム教徒になりました

 ちょっとYahoo!のスポーツニュースをコピペさせていただきます

元日本代表監督トルシエ氏、イスラム教に改宗


元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏がイスラム教に改宗したと23日(現地時間)、モロッコやフランスなどの各メディアで報じられた。


 トルシエ氏は妻のドミニクさんとともに、現在居を構えるモロッコの首都ラバトで改宗の儀式に臨み、名前も「フィリップ」から「オマール」、「ドミニク」から「アミナ」に変えたという。
 また、モロッコの夕刊紙『コティディアン・ソワール』によると、夫妻はモロッコ人の少女2人を養女に迎えた。


 トルシエ氏はコートジボワール、ナイジェリア、南アフリカなどの代表監督を歴任した後、1998年にサッカー日本代表監督に就任。2002年W杯後に退任するまでの4年間に、日本代表を率いてW杯ベスト16、2001年コンフェデレーションズカップ準優勝、2000年アジアカップ優勝などの成績を残した。


 その後、アフリカや日本での実績を買われて、カタール代表、フランス1部リーグのマルセイユの監督に就任したが、成績不振のために退任。2005年10月にはモロッコ代表監督となったが、モロッコサッカー協会との不和により、わずか2カ月で解任されていた。

 フランスといえば、ムスリマの女生徒のスカーフ問題や、北アフリカ系住民の不満が爆発した暴動など、イスラム教との折り合いがいまひとつよろしくない印象の国だけに、トルシエさんの改宗はインパクトあったんじゃないでしょうか?
 フィリップ・トルシエからオマール・トルシエへ生まれ変わりです。

 少なくとも、1980年代初頭にイスラム教に改宗したフランスの思想家ロジェ・ガロディよりは、西欧社会にとってインパクトあると思います。
 この人については『現代アラブの社会思想』〔池内恵(いけうちさとし)著、講談社新書1588〕を見てください。

 ときどきイスラムの現状を批判するようなことを書く、はみだしムスリムではありますが、やはりこういうインパクトのある人が同胞になるというのはストレートにうれしいものですね

 このニュース、ニサぴょんのmixiに先を越されたので、マネっこになってしまったけど、やっぱり書いちゃいました。

学生の時にもっと勉強しておけばなあ…

2006年03月23日 19時13分25秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)23日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

‎‎ 最近、勉強不足を実感(運動不足はもっと深刻)。

 ときどき、我ながら後で読み返して「くだらないなあ…」と思うことをブログに書いていたりする。
 そんなタワゴトを書いている時間があるなら、クルアーンの一節でも暗記するなり、ハディースを読むなりした方がよさそうな気がする。
 イスラム以外の勉強もしたいし。学生時代に勉強しなかったツケが今になって回ってきているので、けっこうキツイ。
 日本の成人の90%の人が陥る(イスハークの推測による)という「学生の時にもっと勉強をしておけばなあ」症候群である。

 ということで、学生のみなさんはしっかり勉強しようね。そうしないと将来オジサンみたいになっちゃうよ。

(と、言いながらまた結局くだらないこと書くのはまちがいないんだけどね…)

あらあら、またですか?

2006年03月22日 11時58分55秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)22日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)

‎‎  Amaniのブログ(テンプレート変わったんだね)で「"ムスリムのシンガーに殺害予告"のニュース」という記事が載った(3月18日の記事)。

 ディーヤという女性歌手が「表現の自由」を訴えるために、露出度の高い衣装を着て、例によって過激な伝統主義的者たちが「殺したる」とわめいているらしい。

 コメントの方も盛況で、いつぞやの「ムスリマのベリーダンサーはけしからんのか?」のときと同じような論調の賛否がうずまいている。
 今回はコメントのやりとりに首を突っ込む気はないけど、ただ最近こんなことを感じる。

 「イスラムは本来平和な宗教だ」って本当かな?…って。
 その発祥の段階から戦いの連続だった。そして各時代を通して多くの戦いを繰り返してきた。
 平和な時代もあったけど、時代や空間を超えて常に平和だったとは決して言えない。
 その事実に目をつぶらないのが、本当に平和を目指すムスリムとしての誠意じゃないかと思う。
 
 その一方で、イスラムを「未だに女性を蔑視したりする遅れた社会」という人や、テロリストの多い危険な宗教だという人にもひとこと言っておきたい。
 「そちらの方」にばかり目が向いて、私のように、イスラムによって救われた人間の存在には気づいてもらえませんか?
 まあ、私のようなちっぽけな人間を救う程度の宗教というくらいの認識なのかもしれないね。

 もっとも、「救い」もあれば「危険」もあるという点はキリスト教も同じ。

 世界中にはやさしく真面目で誠実なクリスチャンが数え切れないくらいいるし、キリスト教によって救われた人も数え切れないくらいいるはず。

 その一方で、事実上キリスト教国とも言えるアメリカが、自国の企業の利益のために他国に軍事侵攻しているのは危険だと思うけどね。イラクは言うに及ばず、過去のニカラグア侵攻とか、パナマとかね。

 それにマフィアでキリスト教徒なんてこともあるよ。ギャングがキリスト教信じて「オオ、ジーザス」なんてブラックジョークみたいな現実だよね。

 思い切ったことを言えば、ユダヤ教の方が、キリスト教やイスラム教よりは平和的かもね。イスラエルがアラブ諸国から非難の的になっているけど、それは政治問題であって、本質は宗教問題じゃない。

 イエスが現れた頃のユダヤ教は閉塞状態にはあったけど、攻撃的な宗教ではなかった。

 「ユダヤ人が3人集まると4つの政党ができる」なんてエスニックジョークがある。ユダヤ人がみんな自分の主張が強すぎてまとまらないことを揶揄したものだけど、逆の見方をすれば、それだけ自由な解釈が許されているということ。

 実際に、安息日の在り方を巡っても、伝統派、保守派、革新派では全然意見が違うし。超革新派のパーティーで、ユダヤ教では食べることを禁じられているエビやタコなどの料理を出したなんて事件も昔あったし。伝統派や保守派はもちろん激怒したけど、「けしからんから殺害だ」とはならなかった。

 「そんなにユダヤ教を支持するならユダヤ教徒になればいいんじゃないのか?」という声も聞こえてきそうだけど、そうはいかない。ユダヤ教徒になるのはそう簡単なことじゃない。
 それより何より、自分は間違いなく、ユダヤ教ではなくイスラムによって救われたのだから。
 自分は今後もムスリムであり続けると思う(まわりがそう認めてくれるかはわからないけど)。
 でも…というより、だからこそイスラムのあるべき姿と、現実の姿のギャップについては真摯に向かい合っていきたいと思う。
 ずーっと前にも書いたけど、すべての宗教は同じ頂上を目指す違った道筋だと思っている。共存できると信じている。
 
 ユダヤ教のラビ・マービン・トケイヤーが言っていた「どんな人でもひとかけらの真実は持っているものです」ということは本当だと思う。
 日本式に言うなら「盗人にも五分の魂」ってとこか。

 いくらクルアーンで「イスラムは完成された宗教」だと書かれていても、それを人間が実現しているとはとても思えない。
 たまにはイスラムを内側から見るのではなく、外側から見ることも、ムスリムには必要なんじゃないかな。

久しぶりに谷川俊太郎の詩に触れて

2006年03月21日 23時20分11秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)21日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

‎‎ 富士急ハイランドなどに遊びに行って息抜きをしているわりに頭と心の疲労はなかなかとれない。
 もともと論理とか理屈って自分には向いていないのに、そういう本を読んだり文章を書いたりすると結構しんどいものだ。
 たまには言葉そのものの美しさに触れたいと思い、中高時代に夢中になった谷川俊太郎の詩集を読んだ。
 有名なのでご存じの方も多いと思われるが、谷川俊太郎は日本を代表する詩人の一人で、22歳の時に『二十億光年の孤独』という詩集でデビューし、70歳を超えた現在もお元気でご活躍中だ。

 中学校時代に国語の教科書で初めて谷川俊太郎の詩に触れ、私が詩人になるきっかけとなった。しかし、きっかけとはなったが実際には詩人にはならなかった。
 などとくだらないことを書いたが、実際に高校時代は文芸部にも籍を置き、文化祭で詩集などを作り配布していたこともある。「詩人を目指したことがある」というくらいは書いてもウソにはならないだろう。

 瑞々しい感性が谷川俊太郎の魅力だが、ときどき、背筋が寒くなるくらい恐ろしい詩を書くことがある。
 次の詩などは、静けさの中に底知れぬ恐怖感を感じる。それでも最後に光明をさしかける構成がすばらしい。

死んだ男の残したものは


死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった


死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった


死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった        


死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった


死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた        
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない


死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない


「死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙」

というフレーズが、現在世界で起こっている紛争や戦争の傷跡をリアルに思い起こさせる。

その紛争や戦争に宗教が絡んでいることも事実なのが悲しい。
でも、輝く今日とまた来る明日があるのも確かな事実。希望はある。

私的にはラッキーだった富士急ハイランド

2006年03月19日 18時59分33秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)28日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

‎‎ 昨日、いい年ぶっこいて、中学時代の友人と富士急ハイランドへ遊びに行ってきた。
 私が絶叫マシンマニアということは意外に世間に知られていない(当たり前だ)。

 富士山の麓にある遊園地、富士急ハイランドにはFujiyamaドドンパという二大絶叫マシンがある。

 Fujiyamaは一時期、落差(79m)と最高スピード(こっちは忘れた)が世界一だったこともある、いかしたジェットコースターである。

 待ち時間も半端ではなく、今回は1時間半待った。周りは我々より若い人だらけだ。時期が時期だけに、大学、短大、専門学校の学生さん達が大挙してやってきているようだ。

 そして自分の番になった。ふふふ、一番前の席だ。絶叫マシンマニア的には、これ以上の幸運はない。逆に絶叫マシン嫌いの人にとってはこれ以上の不幸はないだろう(そもそも、そういう人はFujiyamaに乗れない)。

 天を仰ぎながらゆっくりコースターが上がっていくときの、

「ガッガッガ」
という独特のきしみ音が心地よい。もうすぐ垂直落下だ。この期待感がなんともたまらない。ぞくぞく

 そして最高地点に達したと思うや、顔面から真下に落ちるような感じで猛スピードで落下。ジェットコースターに乗ると怖さで目をつぶってしまう人が結構多いが、私的にはそれはいただけない。
 しっかりと目を開けて、自分がどのような目に遭っているかを直視する恐怖感こそが楽しいのである。

 続いて、ドドンパに並ぶ。こちらも1時間半待ち。そしてなんとこちらも一番前の席。おお! これほどのラッキーなことがあろうか。
 席に座っていると、やさしい女性の声で説明とカウントダウンが始まる。「さん、にい、いち」

シュバーッ!!

 カタパルト式の急発射だ。顔面に凄いG(重力)がかかる。カタパルトは空母などで戦闘機を飛ばすときにも用いられているシステムで、静止状態からいきなり最高速に近い速度で出発する。油断していた客達が悲鳴をあげている。
 うむ、これは正しい反応である。客全員が静かに黙りこくって走っている絶叫マシンの姿を想像すると不気味だ。
 やはり、「キャー!」とか「ヒー!」とか「もう降ろしてぇー!」などの定番の絶叫は欠かせない。
 
 顔面に強風を受けたと思った途端、垂直にレールを上り、垂直落下。しっかりと目を見開いて、角度を確認。
 おお! Fujiyamaより急だ。なにしろ完全に垂直なのだから。
 
 というわけで、人気絶叫マシン二つを一番前の席で乗れたので、私的にはこれほどラッキーな体験はない。

 そして、テレビ番組「噂の東京マガジン」の「やってトライ」の収録もやっていた。
 コギャル風の女の子が、ハンバーグだか蒲焼きだかわからない不気味な茶色い物体を焼いていた。あれを食べさせられるような不幸な境遇でなくて本当に良かった。

 そんな幸運続き(?)だったのだが、富士急ハイランドを出た途端に不幸に見舞われた。
 車のバッテリーが上がっていて、エンジンがかからない…。
 来るときにトンネルでヘッドライトを点灯して、消すのを忘れていたため、バッテリーが完全にあがってしまっていたのだ。

 ダッシュでガソリンスタンドや富士急の職員の間を走り回り、ようやく充電してもらえた。

 ひと安心して出発…と、その瞬間大雨が降ってきた。
 もう少し充電が遅れたら、私は大雨の中を走り回るハメになっていたかもしれない。そう考えると、なんとなくラッキーな気持ちになってくる。

 結局、トータルで考えると、私的にはラッキーな一日だった。
 アッラーに感謝!! 「お前、もうちょっとまともなことで感謝しろよ」という声が聞こえて来そうだけど…。

「ロールシャッハテスト」に二度目の挑戦

2006年03月16日 23時58分17秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)25日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
‎‎ 昨日、心療内科にてロールシャッハテストを受けました。昨年12月20日の記事にも、このテストのことについて少し触れ、「心理テストがいかに心許ないか?」という趣旨のトラックバックを頂きましたが、性懲りもなく二度目の挑戦をする運びとなってしまったわけです。

 ご存じの方も多いかと思いますが、墨をこぼした紙を二つ折りにして広げてできたような模様を見て、「何に見えるか」を答える心理テストです。
 たぶん、ネット上にもたくさんの関連サイトがあると思うので、どんな絵柄か気になる方は探してみてください。

 さて、一回目の挑戦は、3年ほど前のことでした。当時、精神的に悩んでいた私は、さる心療内科に週1回通っていました。

 そしてある日、「一度性格傾向を調べるためにロールシャッハテストをやりましょう」ということになったのです。
 多少、ロールシャッハのことは知っていましたが、自分が受けることになり、不謹慎にも「お、面白そうだな」などと、心療内科にかかっている人間とは思えない期待を持ってしまいました。

 そして迎えたテストの日---

 年配の女性(以下「オバハン」と呼ぶ)が私のテストを担当することになりました。予想通り、一枚一枚私に絵を見せて「何に見えますか?」と尋ねてきます。

 最初のうちは「仮面」とか「骨盤」とか、まあ、だれもが答えそうな感じのことを言っていたのですが、このオバハンが結構しつこく「もう見えませんか?」「他に何か浮かぶことは?」とプレッシャーをかけてくるのです。

 私も想像力を振り絞って答えました。正確ではありませんが、ダイジェストでお送りすると、だいたい次のようなことを答えたと思います(見た絵は忘れた)。
 私は大まじめに答えたつもりです。


私:「フロリダ・ディズニー・ワールド、音と光のページェント」

オバハン:「なぜフロリダなんですか?」

私:「いや、なんとなくイメージで」



私:「力強く根性の入ったイソギンチャク」

オバハン:「なぜ、普通のイソギンチャクじゃないんですか?」

私:「なんとなく全体にみなぎるパワーみたいなものを感じたもので…」



私:「炎を囲んで踊る、アイヌの祭り『イヨマンテの夜』」

オバハン:「『イヨマンテの夜』って何ですか?」

私:「ええと、村田英雄の歌にもなってますが、ヒグマの霊などを慰める、アイヌのお祭りです」



私:「砂浜に打ち上げられたスナメリの死骸」

オバハン:「スナメリってなんですか?」

私:「小型のクジラの一種です」



私:「科学忍者隊ガッチャマンの敵ベルクカッツェ」

オバハン:「何ですか、それは?」

私:「テレビアニメです。ガッチャマンが正義の味方で、ベルクカッツェが悪の幹部です」



私:「パーマに失敗したデーブ・スペクター」

オバハン:「どの辺がパーマに失敗しているのですか?」

私:「周辺のこのあたりが乱れています。彼はどちらかというと頭にぺったり張り付いたようなパーマじゃないですか?」

オバハン:「そうかもしれませんね」



私:「『シェキナベイビー』と叫ぶ内田裕也」

オバハン:「『シェキナベイビー』ってどういう意味ですか?」

私:「ロック歌手って、なんとなくそう叫びそうじゃないですか。本来は『シェイク・イット・ベイビー』なんですかねえ?」

オバハン:「さあ、どうでしょうね」


 と、まあこんなやりとりが1時間以上続き、2週間後に結果が出た。

結果:「必要以上に無理して頑張ろうとする傾向がある。発想に異常が見られ、通常の社会生活を送るのは困難と思われる。通常の性格判断は難しい」

 悪かったな、通常の社会生活を送るのが困難で
 だいたい、オバハンが「他にも見えませんか?」とかいうからプレッシャー感じて無理に頑張ったのではないか。
 しかも、私の年齢を10歳も間違えているし。

 という、前回のことをすべてカウンセラーに話した上での、二度目のロールシャッハテストでした。
 今度は若い男性カウンセラーだったけど、やり方が微妙に違ったなあ。
 なんとなく、優等生的な答えをしてしまったズルい私でした。さて、二週間後、今度はどんな性格診断が私にくだされるのか楽しみです。