日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

新説発表:琉球語の起源はアラビア語だった!

2006年06月05日 06時08分01秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)9日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)
‎‎
 さて、昨日の続きです。『ダ・ヴィンチ・コード』の追随本を読んでいたら、「琉球語の起源はアラビア語である」という説を思いついたという、他愛無い話です。構想30分程度のわりに、実際に打ってみたらやたらと時間がかかってしまいました。こんなことやっているから時間の使い方が下手なのでしょう。

【琉球語の起源はアラビア語】

1.「3母音収斂の法則」

 琉球語とアラビア語はどちらも、母音が「ア」「イ」「ウ」の三種類だけです。もちろん「エ」「オ」を発音できないわけではありませんが、普通は「エ」は「イ」に、「オ」は「ウ」に吸収されます。
 たとえば琉球語発音では、「蜘蛛(くも)」は「くむ」に、「壁掛け(かべかけ)」は「かびかき」となります。
 このような現象を「3母音収斂の法則」と名付けます。別に「3母音吸収の法則」でもなんでもいいのですが、難しい漢字が入っていた方がアカデミックな感じ(要するにエラソーな感じ)がします。


2.「動静変化/代替の法則」

 琉球の人の言語感覚では、「動きを表す言葉」が「状況・場所」など静的な内容の言葉を代替する場合があります。
 この言語感覚は現在にまで生きていて、太平洋戦争後、アメリカ支配下に置かれたとき、独特の「琉球英語」が生まれました。
 例えば、(タイヤの)パンクのことを「グッバイ・エアー」などというのはこの例です。
 このような、言語変化・言語代替現象を「動静変化/代替の法則」と名付けます。
 

3.重要語句の共通項

 二つの言語を比較する場合、どのような語彙に注目するかも重要なポイントのひとつとなります。
 琉球語とアラビア語の場合、宗教的側面の語句に注目するのが良さそうです。琉球王朝は政教一致の体勢でしたし、アラビア語を使用するイスラーム圏も本来は政教一致だからです。
 そこで琉球語の中から次のような語句について語源をでっちあげて調べてみました。すると、なんということでしょう! アラビア語起源の言葉が思いの他多いことがわかりました。

①「メンソーレ(ようこそ、こんにちは)」

 挨拶は重要な要素です。まずは琉球語の定番のこの言葉から考察してみます。  「3母音収斂の法則」により、厳密には「ミンスーリ」となります。これはアラビア語の「ミン・スーラティ」が語源です。
 「ミン」は前置詞で「~から」、「スーリ」は「スーラティ」の変形です。「スーラ」とは、クルアーンの「章」のことです。
 前置詞の後では名詞は所有格(属格)になりますから、「スーラ」は「スーラティ」となります。
 しかし、書き言葉では「スーラ」の厳密な読みは「スーラトゥン」になりますが、話し言葉では「スーラ」ですから、「スーラティ」が「スーリ」と変化したと考えても不自然ではありません。 
 そこで「メンソーレ」の本来の意味は「クルアーンのスーラ(章)から〔何事も始めるようにしましょう〕」という、クルアーンに対する深い信仰を表したあいさつということになります。


②「御殿(うどぅん)」

 これは、聖なる場所、禁忌なる場所を表す言葉です。アラビア語の「ウドゥー(洗浄)」が語源であり、元々はモスクを表していたと思われます。
 「動静変化/代替の法則」により、「洗浄」という動きのある言葉が、場所を表す言葉になりました。
 通説では御殿は王の聖所や居所ですが、それは後に日本に征服された際に歴史が書き換えられたからです。本当はモスクだったのです。 
 ここで、「城(グスク)」の語源もモスクである…などと主張すると、「アラビア語ではモスクはマスジドだろ?」などという反撃を受けて、「あちゃ、しまった!」と頭を抱えるハメになります。でっちあげ調査にも注意深さが必要です。
 
③「祝女(ノロ)」

 女性の神官、巫女などを表す言葉です。「3母音収斂の法則」により「ヌル」となります。当然アラビア語の「ヌール(光)」が語源です。「信仰の光」を意味し、宗教的儀式を執り行う女性の役名にふさわしいと言えます。


④「御嶽(うたき)」

 聖所を表す言葉です。祝女(ノロ)が就任式や儀式をおこなった場所で、語源はアラビア語の「ウトゥキヌ(習得する、熟達する)」です。「ウトゥキヌ」は「アトゥカナ」の未完了形です。
 この場所で祝女(ノロ)たちが、聖なる力を「習得した」から「ウトゥキヌ」で、後に「うたき」に変化しました。
 「動静変化/代替の法則」により、「ウトゥキヌ(習得する)」→「うたき(霊力を習得する場所、聖所)」と変化したというわけです。
 なお、「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」は、王と同等の権力を持つ女法王「聞得大君(きこえおおきみ)」の就任式をおこなった、最高の聖所でした。
 

⑤「那覇」

 アラビア語の「ナハー(禁じる)」という動詞が語源です。この地が、一般の人が立ち入ることのできない聖なる地であったことを示しています。
 この語にも「動静変化/代替の法則」が見られます。
 元々はそのような禁忌所のみを表していましたが、後に差す範囲が拡大し、現在の那覇を表すようになりました。


⑥「按司(あじ)」

 各地を支配する役人、総督を表す言葉です。アラビア語の動詞「アズィナ(許可する)」が語源と考えられます。いろいろなことを許可する権限の大きさを表しているようです。これは「動静変化/代替の法則」のバリエーションで、動きのある言葉が、人を表すようになった例です。

 
4.沖縄はイスラーム圏だった!

 海洋貿易国、沖縄は実は昔はイスラーム国でした。12世紀あたりにインドネシアのマジャパヒト王国からイスラームが伝わったと考えられます。
 では、沖縄がイスラーム圏だったとすると、なぜ「アッラー」という言葉すら残っておらず、イスラームの痕跡が残っていないのでしょうか? 
 それでころか、豚肉消費量が日本一などという反イスラーム的現象が見られます。これについて考えてみましょう。

 琉球は日本・中国の両方と交易をしていましたし、この両国に朝貢するなど、2国の間のバランスで成り立っていました。
 宗主国のひとつ日本は神道の国でした。琉球に派遣された日本の役人が「アッラー」を、神道の「荒神(あらぶるかみ)」と勘違いしました。
 どうやら「アッラーの神」という誤った表現が「あらぶるかみ」と聞き間違えられたようです。
 農業国日本の神道では、「荒神(あらぶるかみ)」は農業を破壊するような恐ろしい神ですから、見過ごすわけにいきません。
 キリスト教を禁止したように、イスラームも禁止されました。それとともに「アッラー」という言葉を消し去るための犠牲が払われました。
 琉球の人々に改宗を迫り、それとともに、イスラームの食物禁忌だった豚を必要以上に人々に食べさせることによって、イスラームの痕跡を流し去ろうとしたのです。

 これ以上書くと、いくらタワゴトとはいえ、各方面から怒られそうなのでこの辺でやめておきます。

**************************************************


 でも世の中には、これと大してレベルの変わらない内容の「研究成果」を綴った書籍が結構出回っていたりして驚くことがあります。

 何の根拠もないのに、「12世紀あたりにインドネシアのマジャパヒト王国からイスラームが伝わったと考えられます」などと、さらっと書かれると「ああ、そうなんだ」と思ってしまう場合があります。

 本を読む際には、きちんとした根拠・証拠を積み重ねた上で論理的な体系を作っているかどうか注意したいものです。

 最後になりますが、この記事に刺激を受けて「琉球語の起源はアラビア語だった」などという説を真剣に追求しないようにお願いします(そんな人いないか)。そんなことは絶対にありませんので悪しからず。

『ダ・ヴィンチ・コード』の追随本から珍説誕生へ

2006年06月04日 06時20分00秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)8日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)
‎‎
 実は長い小説を読むのが苦手なので『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでいません。今月の末あたりに映画を見に行こうと思っているので、その前には読んでおきたいものです。

 それにしても、『買ってはいけない』『嫌韓流』などのときもそうでしたが、話題になる本が出版されると、雨後の筍のごとく追随本がいっぱい出てくるものです。『ダ・ヴィンチ・コード』も例外ではありません。
 そして、なぜか便乗商法のわりに、追随本の著者の方がエラソーなことを書いているのが普通です。「あの本は話題にはなっているけど、まだまだツメが甘いな」ってな感じで。
 批判や議論ならまだいいのですが、単なる自慢というか、「ふふん、ワシの方が一枚上だぞ」的匂いが漂ってきて鼻をつまみたくなることもあります。

 まあ、このブログもきちんとイスラームのことを説明しているHPやブログの追随&オマケみたいなものなので、あまり偉そうに追随本を批判できませんが。

 さて、コンビニでなんとなく追随本のうちの一冊を買ってみました。週刊誌より薄いし、絵ばっかりで字も少ないから、すぐ読み終わるだろう…と軽いノリで買いました。
 
 ところが困ったことに、例によってツッコミどころが多くて、そういう箇所に出くわしては頭の中でいろいろな疑問・想像・妄想・思いつきなどが渦巻き、なかなか前に進めません。

 「謎解き本」の定番の、無茶な語呂合わせ、一貫した法則が感じられないアナグラム(文字の並べ替え)、偶然の一致のオンパレードで、これじゃあモンゴルに渡ってチンギスハーンになった源義経もビックリだと思います。

 読んでいるうちに、「それじゃあ琉球語(沖縄方言)の起源はアラビア語って説だって有りだよなあ」などという「新説(正しくは珍説ですけど)」が頭に浮かび、妄想の世界が広がってしまいました。
 ヘブライ語で伊勢音頭を解釈する人や、朝鮮語で万葉集を読む人もいますし、私もここで「琉球語の起源はアラビア語説」を発表してもいいのかも…という勘違いをするに至りました。構想約30分という大研究です。

 それでは…と言いたいところですが、これから出勤なので、具体的内容は明日書くことにします。
 「さんざん引っ張っておいてそれはないだろ、おい!」という声が聞こえてきそうですが、テレビ局がよくやる手法と同じだと思って納得していただければ幸いです。それではまた明日。

ミステリアスな会話が続く、アラビア語教室

2005年09月15日 06時14分29秒 | アラビア語
‎‎
ヒジュラ暦1426年シャアバーン(8月)11日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

 昨晩は、エジプト大使館でアラビア語のレッスンだった。‎


 どうやらファタヒー先生は、人称代名詞に力を注ぐ方針のようで、STEP1以来現在に至るまで延々と不思議な会話が続いている。‎


 先生が生徒の前に立ちはだかり、自分の目を指差し、‎



هَلْ هَذِهِ عَيْنُكَ؟

‎〔ハル・ハーズィヒ・アイヌ?〕(これはあなたの目ですか?)‎


と質問する。考えてみるとシュールな質問である。自分の目を指差して「これは君の目玉かね?」というコワい会話は、たぶん一生しないと思う。‎



لاَ,هَذِهِ لَيْسَتْ عَيْنِي. هَذِهِ عَيْنُكَ. ‏

‎〔ラー、ハーズィヒ・ライサトゥ・アイニ。ハーズィヒ・アイヌ。〕‎
‎(いいえ、これは私の目ではありません。これはあなたの目です。)‎




 由美子は暗闇の中をひとり歩いていた。
 前方に白い着物を着た女の後姿が浮かび上がった。
 女はゆっくりと振り‎返る。血の気の無い無表情な顔。
 由美子は背筋に冷たいものを感じた。‎

 

 女は自分の目を指差して「ねえ、これはあなたの目かしら?」と由美子に尋ねる。‎
 由美子はゴクリとつばを飲み込み、かすれた声で答えた。「いいえ、それは私の目じゃないわ。あなたの目よ。」‎



 女は冷たく笑って言った。‎
‎ 「ほほほ! いいえ、これは私の目じゃないわ。これはあなたの目よ!」‎


 「ギャーッ!」‎


‎ 由美子は血だらけの眼窩を押さえながら叫んだ。‎


‎ 「目が、私の目が無い!」‎


‎ というホラーな状況を想像していたら、しばらく自分の世界に入ってしまった。クルクルパーか私は? いったい何しにここに来ているんだか。 と自責の念。‎



‎ 続いて、先生は他の人の髪の毛を引っ張りながら、‎



هَلْ هَذَا شَعْرُكَ؟ ‏

‎〔ハル・ハーザー・シャアル?〕(これはあなたの髪の毛ですか?)‎




لاَ, هَذَا لَيْسَ شَعْرِي. هَذَا شَعْرُهَا.‏

‎〔ラー・ハーザー・ライサ・シャアリ。ハーザー・シャアルハー。〕‎
‎(いいえ、これは私の髪の毛ではありません。これは彼女の髪の毛です。)‎




‎ 由美子は部屋で鏡を見ていた…


 それはもう、いいっちゅーに!‎


‎ みなさんも、ややこしい人称代名詞とシュールな内容の相乗効果で頭の中がトロトロになっているようだ。‎

 

‎ 理屈っぽいのはよくないかもしれないが、やはり、ここはひとつ、ノートでもコップでも机でもなんでもいいけど、会話として自然なものを取り上げてもらいたいと感じたのであった。

再開&再会♪ エジプト大使館アラビア語教室

2005年09月08日 19時17分39秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1426年シャアバーン(8月)4日 ヤウム・ル・ハミースィー(木曜日)
 昨日から今期の、エジプト大使館アラビア語教室が始まった(STEP2)。


 改めて紹介しておくと、自由が丘にある、エジプト大使館文化・教育・科学部で行われる講座である。
 約4ヶ月、全15回でナント! 3500円!! これは安い。しかも講師はエジプト人。


 約3ヶ月ぶりに、大使館に着くと、懐かしい顔が出迎えてくれた。新たな仲間も加わってスタート。


 ファタヒー先生は、この夏エジプトに帰省したら、気候と食べ物のために体調を崩し、腹を壊して、激ヤセで再来日したとのこと。
 そして、日本にしばらくいたら体調が回復したとか。あんた、エジプト人でしょ?


 STEP1は、文字の練習がすべて終わらず、 


ش  (スィーン) 


あたりで終わっていたはずだが、先生は「文字の学習はすべて終わった」という前提でレッスンを進めていく。このアバウトさがアラブっぽくていいねぇ。


 久々の会話練習で苦戦。



السلام عليكم.‏ ‏    〔アッサラーム・アライクム〕(こんにちは)




و عليكم السلام.‏ ‏   〔ワ・アライクム・ッサラーム〕(こんにちは)




ما أنت إسمك؟ ‏     〔マー・アンタ・イスムカ〕(あなたのお名前は何ですか?)




のようなレベルでもたついてしまった。


 考えてみると、「読むアラビア語」「書くアラビア語」が自分の中でバランスがとれていない。どうしても「読む」方にウェイトを置いてしまう。


 さらに、「日常のアラビア語」「聖クルアーンのアラビア語」では、語彙や言い回しがだいぶ違う。


 「日常のアラビア語」では、


كافر ‏ 〔カーフィル〕(不信心者) とか


غيب ‏  〔ガイブ〕(幽玄界、目に見えない世界)




などの単語はほとんど使わない。


و ما أدراك ما~


〔ワ・マー・アドラーカ・マー・~〕(~が何であるかを、あなたに理解させるものは何か) 

 *wordの機能の都合で、「アドラーカ」の「ラー」の部分の綴りが、本来のクルアーンとは異なります。



などという言い回しも使わない(イスラームの話をしている場面を除く)。
逆に


مطار ‏ 〔マタール〕(飛行場)とか




 الامم المتحدة‏ 〔アル・ウマム・ル・ムッタヒダ〕(国際連合)


などという語は、当然、聖クルアーンには出てこない。
「国際連合」などという単語は会話では使わなそうだけど、アラビア語の本や新聞を読むには必要だしなあ。



 聖クルアーンを読むためのアラビア語、新聞や本を読むためのアラビア語、会話のためのアラビア語、聖クルアーンの暗記、アラビア書道といった、アラビア語を取り巻く一連の動きが自分の中でひとつになっていない。


 それぞれ続けていけば、だんだんとひとつになってゆくんだろうけど、今はまだバラバラな感じの方が強いなあ。



 社会人だから、勉強できる時間には限りがあるし。でも逆に言えば、アラビア語の奥深さと、イスラームの奥深さを実感できていいのかもしれないね。



 いずれにしても、すべて上達できるかどうかは、ムスリムである以上、




 إن شاء الله‏  〔イン・シャー・アッラー〕(もしアッラーが望むのなら)





ですね。 
 

「アラビア語話せるんですよね?」―「ギクッ!」

2005年09月02日 09時06分48秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)28日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

ペトラのエル・ハズネの警備員

‎ もしかしたら、私のブログを読んだ人の中には、「この人は、アラビア語で不自由なく会話ができるんだろうな」という、トンデモナイ勘違いをしている人がいるかもしれない。‎



 「お前、ブログの中で、アラブ人とスムーズに会話しているような書き方しているじゃ‎ないか?」と感じるかもしれないけど、実際のやりとりをそのまま書くと、収拾がつかなくなるので、あっさりとまとめているのである。‎
 これは「誇張」などと呼ばれる高等テクニックである。‎



‎ 実際は、カタコトの英語とスペイン語、タワゴトのフランス語を使うことが多く、さらに身振り手振りまで使ってようやくコミュニケーションを取っており、アラビア語などはママゴト程度と言える。‎



 もしかしたら、相手の言わんとすることと私の理解が大きく食い違っている場合もあるかもしれないが、今のところ不都合は無いのでOKとしておこう。‎
‎ ‎


 フランス語は、大学時代に第二外国語で学んだ貯金を食いつぶすような感じで使っている。現金に換算すると、大学時代1000万円くらいあった貯金が、もはや残高10万円くらいの感じである。‎
‎ いまだに、「コマンタレヴー?(お元気ですか?)」という挨拶には懐疑的で、こんな脱力感あふれる響きの言葉を言って、相手が怒り出すのではないか?…といつも不安になる(ごめんね、フランス人)。 ‎



 スペイン語はペルーに旅行に行くことになったとき、必死こいて勉強したら、とりあえず2ヶ月で話せるようになった。‎
‎ スペイン語との相性の良さは、スペイン語学習を始めるより前に起こった「スペイン人‎の船長さんの霊乗り移り事件」のときから始まっていたものと思われる。‎



 これは、家族から聞いた話だが、ある晩、私は突然ベッドから起き上がり、「俺はスペイ‎ン人の船長だ! ヤッホッホーイッ!(日本語)」と声高らかに宣言し、突然スペイン語らし‎き言葉で楽しそうに歌い、踊り、家中をスキップした挙げ句、ベッドに戻ってくると、精魂尽き果てたようにパタッと倒れて、再び深い眠りについたそうだ。‎



 そのとき乗り移った船長さんの霊が私をサポートしてくれているようである。‎
‎ 現在では、仕事の関係でたまにスペイン語の通訳をおこない、たびたび間違ったことを伝えてはヒンシュクを買ったりしている。船長さんの霊にはもう少し頑張ってもらわないといかんなあ。‎



 肝心のアラビア語は、現地でアラビア語で話しかけると英語で返事が返ってくることが多い。そこで、英語に切り替えて話すと、今度は身振り手振りで返事がきたりして、どうやら「お前はアラビア語も英語もダメだなあ」というのが、多くのアラブ人の共通認識のようだ。



 以前、エジプト航空の機内でアラビア語を使ったときも不幸だった。‎
‎ 向こうから飲み物サービスのワゴンが近づいてくるので、「よし、アラビア語でコーヒー‎を注文しよう」と決意し、言葉を小声で復唱しつつ、緊張しながら待っていた。‎
‎ ワゴンはだんだん近づき、「来た!」と思った瞬間、力強く宣言した。‎


‎「ウリードゥ・アン・アシュラバ・カフワ!(私はコーヒーが飲みたいです)」


「ビーフ・オア・チキン?」‎


しまった! 機内食のワゴンだった。 ‎
‎ 考えてみれば、飲み物を頼むにも「カフィ」ひとことで十分ぢゃないか!‎



 だいたい私は、日本語の理解力にさえ問題があるようで、うちの90歳になるジイさんの言っていることや、近所に住んでいるコギャルの言っていることはあまり理解できない。‎

‎ ましてや外国語ペラペラなんて、夢のまた夢だ。‎


 それでもなんとかコミュニケーションが取れるし、海外ではあまり不自由を感じたことがないのだから不思議なものである。‎


 最後に、養老孟司氏が講演会で語った名言をあげておこう。‎


「こちらがヘタクソな英語を話してもわかってくれる外国人とだけ付き合えばいいんで‎すよ。流暢な英語を話しても理解してくれないような外国人なんかとは付き合わないで、‎ほっとけばいいんです。」‎


 養老先生のおっしゃるとおり!‎

ホントーにくだらないたわごと -アラビア文字を見て思ったこと-

2005年07月27日 05時21分21秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)21日 ヤウム・ル・アルビアーイ(水曜日)

 今までも、さんざんたわごとを綴ってきたけど、今回はホントーにくだらないことを書くことにする。アラビア文字を読み書きしながら常々感じていることなんだけど…


ك の中のS字状の部分は佐渡島に似ていると思う。


ت という文字は結構ニコやかに見えると思う。


ة という文字はハニワに似ていると思う。


قهوة (カフワ/コーヒー)という単語は花に似ていると思う。


بع (ビウ/売りなさい)という単語は、サイコロを振った瞬間の人に似ていると思う。



وقع (ワカア/落ちる)という単語は、小さい子供に拳を振り上げているオヤジに似ていると思う。





القاهرة (アル・カーヒラ/カイロ)という単語は、蛇に襲われて、


両手をあげて「ドヒャーっ!」って叫んでいる人に似ていると思う。



شاي با لنعناع (シャーイ・ビ・ルナアナーア/ペパーミント・ティー)という単語は、


うつぶせになって右手で川を探るクマに似ていると思う。目が点で可愛い。




فكر (ファッカラ/考える)という単語は、考える前にすでに走り出しているように見える。



الكرسي (アル・クルスィーィ/椅子)という単語は、某宅配便のマークの飛脚を思い出す。




لاتحكي (ラー・タフッキー/〔女性に向かって〕それを擦るな)という文章に至っては、


袴をはいているのに無理して走っている人のようだ。後ろ足のすそが柳の木に引っかかっているじゃないか。


تزورون (タズールーナ/あなたたちは訪問します)という単語は、


分身の術を使っているようにも見えるけど、人の顔にも見える。どっちかハッキリしろ!


فتح (ファタハ/開ける)という単語は、「レレレのおじさん」に似て…いないか。



 もういいや。書きたいこと書いたから気が済んだ。いやあスッキリ! 発作的にまたいつか同じようなことやるかもしれないけど。

ツッコミどころ満載! 中国製・10カ国語電子辞書

2005年07月16日 10時54分55秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)10日 ヤウム・サブティ(土曜日)

ディープな10カ国語に対応。ケースが定期入れと一体化しているのもナイス。

 アラブイスラーム学院に注文しておいた電子辞書がようやく届いた。
 5月初めに注文したとき「今月の末には来ると思います」ということだったので、予想通りほぼ2ヶ月の遅れで到着だ。
 アラブの機関を通して、中国に注文というルートを考えればむしろ早いくらいだな。

 さて、10カ国語である。辞書に記してある順に、
 英語・中国語・日本語・ギリシア語・アラビア語・フランス語・スペイン語・韓国語・トルコ語・ロシア語。
 う~ん、たまらん! どういう購買層を期待しているんだかまったくわからないところが素晴らしい。
 日本製だったらおそらく入ったであろう、ドイツ語とイタリア語は無念であろう。

 さっそく使ってみる。購入した目的はアラビア語辞書なので、まず日本語をアラビア語に訳してみよう。

 まず「本」と打ち込む。كتاب とちゃんと出た。

 次に「紙」を訳そう。「K・A・M・I」と打ち込むと、「神」しかない。当然 الله と出る。

 でも「紙」を調べたい。カーソルで前後の候補を選べるらしい。後ろの候補は…「かみそり」か。では前の候補はどうだ?…「我慢できない」
 何をだ!? 語句の選定はどうなっているのか?

 動詞はどうだろう? 「食べる」と打ち込み、アラビア語に翻訳。 ياكل と出た。

 他の単語でも試してみたが、動詞は「未完了形・三人称単数男性形」で表示されるらしい。
 
 アラビア語については、次のような点が厳しい。

1.シャクル(母音記号など)がいっさい表示されない上、ラテン文字への転写がいいかげん。

 ياكل は「YAKOL」だしなあ。


2.アラビア語の動詞を調べる場合は、未完了形・三人称単数男性形に直してから打ち込まないと訳語が出ない。
 例えば كتب では訳してくれないので、 يكتب  と打ち込まなくてはならない。

3.訳が必ずしも1対1対応になっていない。例えば、日本語で「食べる」と打ち込むと
アラビア語で ياكل と出るが、アラビア語で ياكل と打ち込んでも

「食べる」という日本語が出ない。

そもそも候補の語彙にياكلもاكلも無い。

4.名詞の複数形、形容詞の不規則な女性形・比較級、動名詞などの発展した情報はいっさい出ない。例文も無い。

5.名詞で調べても動詞で出たり、その逆もある。

6.音声が何人か不明。アラブ人にしても国によって発音違うしなあ。少なくとも、きちんとしたフスハーには聞こえない。

 結論。「文章を読んだりする際にはあまり役に立たない」。
しかし、使い道が無いわけではない。本領を発揮するのは「フレーズ」、つまり場面別の会話集の方であることに気がついた。こちらにいろいろとツッコミを入れて楽しむのが王道のようだ。
 ということで、どんな風にツッコミを入れたのか少々紹介しておく。

◆「ごめんなさい」を、「ごめんなさーい」という、人を小馬鹿にしたような読み方するのはやめなさい。外国人がこのままの発音で覚えたら不快だぞ。

◆それまで甲高い男の声だったのに、「お世話になります」という例文だけ、野太い声の声になっているのはなぜだ!?

◆「ちょっとブラブラしているだけです」という例文の音声が「ちょっとブルブルしているだけです」になってるぞ。勝手に震えていてください。

◆日本料理の「おわん物」を「うぉわゎぁんもの」と震えながら読むんじゃない! コワイじゃないか。

◆洋食のメニューの日本語に「ビフテキ」ってあるけど、いまどき使わないだろう、こんな言葉。

◆「商人」の発音が「チトーニン」になっているぞ。

◆「人間」>「人種」のカテゴリーに「赤色人種」ってありますけど…。

◆ミャンマー(旧ビルマ)の音声が「ブルマ」だしなあ。

◆「食べ物」>「味」のカテゴリー。「山羊のような臭い」「脆(もろ)い」。たぶん、味を説明するのに使わないと思う。

◆「社会」のカテゴリーの語句を順番に見る。資本主義→共産主義→帝国主義→自由→民主主義→革命→国連→赤十字→マフィア
どういう社会のとらえ方をしているのか、中国人!?

 何の必然性も無く、「すきやき」という言葉を、各国の人が発音してくれるも楽しい。フランス人やアラビア人、トルコ人がみんなで「スキヤキ」と言っている。
 各国の「スキヤキ」を連続で聞いていると、なんだかウキウキしてくる。

 というわけで、Hans WehrだのMawridだのという「きちんとした」辞書とは別の世界の電子辞書のお話でした。愛用しようっと!

星を目指す歩み

2005年07月07日 06時15分37秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)1日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

やっぱりキーワードは「星」だな。

クルアーンの暗記はなかなか進まないし、アラビア語もなかなか上達しない。
「無理に暗記しなくてもいいかな」「アラビア語も礼拝ができる程度は覚えているしな」などという思いが頭をよぎることがある。
 
そんなとき、アラビア書道教室で知った、アラブのことわざが支えになっている。


إِذَا غَامَرْتَ فِي شَرَفٍ مَرُومٍ


(マルーミン)  (シャラフィン) (フィー) (ガーマルタ)  (イザー)
〔高い〕    〔名誉・目標〕 〔~に〕 〔挑戦する〕  〔もしも〕


فَلاَ تَقْنَعْ بِمَا دُونَ النُّجُومِ



(ンヌジューム) (ドゥーナ) (ビマー) (タクナウ) (ファラー)
〔星〕   〔~の下〕〔~のところのもの〕〔満足する〕〔決して~するな〕

イザー・ガーマルタ・フィー・シャラフィン・マルーミン・ファラー・タクナウ・ビマー・ドゥーナ・ンヌジューム(ミ)

「高い目標に挑むのなら、星以下のもので満足するな。」

 どうせなら大きな目標を持て! ということなんだろう。
辿り着けるかどうかはやってみなければわからない。たとえ辿り着かなくても、目指して努力し続けることこそが大切なんだろう。 

『ひろさちやが聞く ユダヤ教の聖典』(ひろさちや+石川耕一郎著・すずき出版)という本によると、ユダヤの、あるラビはこんなことを言ったらしい。
「沙漠を行く者は星を目印にして行く。絶対に星には到達することはできないが、星を目指していく限り、必ず地上のどこかに到達することができる」(同書128ページ)

宗教が違っても、目指すのは星なんだな。

 そういえば昔、スポーツ根性漫画でも、星飛雄馬は「巨人の星」を目指した。「空手バカ一代」の大山倍達(テレビでは飛鳥拳)は、天下無敵の空手の星を目指した(古いなあ)。

 技術者やサラリーマンは、空の星になれなくても、地上の星になって、中島みゆきの歌声と共に、プロジェクトXに出演できるかもしれない。

みんな星をめざして歩み続ける。

エジプト大使館・アラビア語教室3

2005年06月09日 06時11分33秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)2日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

ファタヒー先生を囲んで囲みそこなって

 2月から16回のシリーズだった、アラビア語教室が終了した。無遅刻・無欠席で終えられたことを神に感謝。
 文字の学習が終わらなかったのも神のご意志ということだろうなあ。

 ش

 までしか終わらなかったもんな。
 でも、全体としてとても楽しかったし、生アラビア語に触れられたので充実した日々だった。9月までは充電期間。
 それにしても、語学の講座って女性が多いよなあ。今回のアラビア語教室も15名が応募して、12名が女性だった。最終回には女性8名、男性2名。やっぱり女性の方が語学に興味あるんだねえ。
指導に熱の入るファタヒー先生  淡々とこなす生徒たち
現在、エジプト大使館では、9月期のアラビア語教室の生徒をこっそりと募集しています。


エジプト大使館・アラビア語教室2

2005年05月26日 05時59分47秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)17日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)


 昨晩はアラビア語教室に行った。
 このアラビア語教室では、アラビア語以外にさまざまな能力が身に付く。まず、推理力である。エジプト人の先生はダイナミックな発音の英語しか話せないので、何を言っているのか考えているうちに推理力が鍛えられる。

 「フェリスティル・カラクテル・ブット・ボイント!」

 これくらいはすぐに意味がわからないとついていけない。「最初の文字には点を打てよ」と言っているのである。

 次に、絵に対する自信を得ることができる。アラビア語教室で使用しているテキストを画像で載せておいたが、何の絵かすぐわかりますか?

 上から「鳥」「女の子」「ラッパ」「じゃがいも」「家」「オレンジ」である。まあ、わからないでもないんだけど、女の子の体の比率は不気味だし、ラッパはトイレで使うシュッポンッみたいだし、オレンジはマスクメロンみたいだ。

 このような絵に接しているうちに、「自分は絵がうまい方だな」または「絵がヘタでもいいんだ」という自信がついてくる。
 このようなメリットがあるのだから、文字の勉強が28文字のうちの12文字目のس

(スィーン)までしか終わっていないなどという細かいことは気にしてはいけないのである。