日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

クルアーンを日常生活に活かす

2006年06月29日 23時08分30秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)25日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
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インナ・ッラーハ・ラー・ユガイール・マー・ビカウミン・ハッター・ユガイールー・マー・ビアンフスィヒム

本当にアッラーは、人が自らを変えない限り、決して人々(の運命)を変えられない〔第13章:雷電章、第11節の一部〕

 クルアーンの暗記をしたり、アラビア書道でクルアーンを書くだけで、クルアーンの言葉を日常生活に活かしていないのではないか? という気が最近してきた。本当の意味で「クルアーンに親し」んでいなかったようだ。

 ということで、今の自分の状況にあった節を探し出して、日常に反映させるような試みを始めた。言葉の力は強く、ときとして言葉が人の命を救うこともあれば、人の命を奪うこともある。
 できるだけ、自分も自分以外の人も勇気づけてくれるような言葉を活かしていきたい。
 ムスリム以外の方でもこのブログをご覧になっている方も多いので、クルアーンを身近に感じる一助にでもなって頂ければうれしい。

 そうやってクルアーンから得た言葉をPCで画像にしてみる。美しい言葉は美しく飾りたい(ただし私の美的感覚がいかがなものなのかという問題はある)。
 またPCのアプリケーションの練習にもなる。今回の画像は次のようなステップで作っていった。

1.wordでアラビア語の文字を打ち込む(今回のアラビア語フォントはandarus体。wordの機能上、どうしてもクルアーンと同じ表記に出来ない箇所もある)。

2.打ったアラビア語をGIMP上にコピー&ペースとして装飾(色・隆起)。

3.さらにPhotoshopElemants3.0の上に移して編集(フレーム)。

4.最後にIllustratorCSの上に移して効果を付ける(フレア)。

 そんな風にして画像ができあがってゆく。
 予想通りなら2年後に今やっているPCの学習が、2年後に役に立つ予定である(ただし、読みが当たるとは限らない)。
 精神的なこともそうだが、技能なども変化・向上させていかないと、運命は開けてくれなそうだ。

(例によって、読みの間違いなどがありましたら、ご教示よろしくお願いします)

ひとつの死

2006年06月28日 19時37分13秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)24日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)
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インナー・リッラーヒ・ワ・インナー・イライヒ・ラージウーン

本当に私たちはアッラーのもの。彼の御許にわたしたちは帰ります。


 私と同じ年齢の同業者が心臓発作で亡くなったという訃報が職場に入った。人間の運命って本当にわからない。

 上の画像はクルアーン第2章:雌牛章の第156節に出てくる言葉。 

世界の旗研究とイスラーム

2006年06月26日 06時35分21秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)22日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)
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 昨日は「日本ムスリム協会の総会」「日本旗章学協会の総会」「はでぃーじゃね~さんの出版記念茶話会(でいいのかな?)」と重なった。

 しかし、日曜出勤が原則の私はそのいずれにも参加できなかった。食っていくためには働かにゃならんので仕方ない。

 「日本ムスリム協会」の方は名称からしてどのような団体か推測できると思われるが、「日本旗章学協会」の方は何をやっている団体なのかよくわからん…と感じる人の方が多いのではなかろうか?

 簡単に言えば、世界の旗(国旗・地域の旗・団体の旗などありとあらゆる旗が対象)を研究する学術団体である。

 興味のない人にとっては「そんなことして何が楽しいのか?」と思われがちだが、旗のデザインには歴史や文化的背景や思想など多くの情報が盛り込まれている。

 それらの情報を読むことで、歴史や異文化を理解できるし、同じ国でも政権が変われば国旗が変わることもある。国際情勢を読むための一助にもなるのだ。

 それに西洋の紋章学とも関係が深く、デザインやカラーの勉強・研究をしている人にとっても大いに参考になると思われる。

 イスラーム国家の国旗を見ても、オスマン・トルコ帝国から始まった「月と星」がイスラームのシンボルマークだったり、「黒・白・赤・緑」の過去のイスラーム王朝のシンボルカラーを組み合わせた配色が「アラブの色」だったり、聖預言者(サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)のシンボルカラーの緑がサウジアラビアやリビアの国旗に使われていたりと、意味を知れば理解が深まる(以上述べてきたことは、旗章学では基本中の基本)。

 あるいは単に「国旗が好き」というだけでもいいのではないか?

 世界192カ国の国旗をちょこっと眺めるだけでも、興味深いものがある。
 世界で唯一四角くないネパールの国旗は有名だが、次のような国旗はどこの国だかご存じだろうか?

1.デザインが表で裏で異なる、世界唯一の国旗はどこの国のもの?

2.国旗の縦と横の比率は国によって異なる。世界で一番横長の国旗はどこの国のもの?(アラブの国です)

3.2002年に国旗のデザインが変更されたアラビア半島にある国はどこ?

 答えの気になる方は自分で調べるか、明日また当ブログを訪問してください。という、いやらしいテを使ってみました。

 今日もぼちぼち出勤の時間なので、「はでぃーじゃね~さんの出版記念茶話会」についてはまた帰宅後か、明日綴りたい。

 なかなか会えないなあ、はでぃーじゃね~さん…。

ひとつの山を越えて/レバノン料理の会~アラビア書道

2006年06月25日 06時47分02秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)21日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)
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クルアーン最後のページ(写真左)を、右のようなアラベスクで囲んだ作品を作りたいのだが…。

 ここ数週間ほど、精神的なスランプ状態だったが、とりあえずひとつの山は越えた。

 ムスリムとしてのアイデンティティも取り戻した。
 いろいろと悩んだり惑ったりすることはある。
 しかし、何の迷いもなく「パラダイスに行くんだ!」などと信じて自爆テロを起こすようなムスリムになるくらいなら、迷いながらでも少しずつ平穏な世界をめざすようなムスリムでありたい。

 ユング心理学の権威で心理療法家の河合隼雄氏の著作なども随分と、生き方のヒントになった。
 ムスリムだから必ずイスラームによって救われるとか限らない。世の中にはいろいろなところにヒントやきっかけが転がっている。それもまたアッラーの意志。
 そして、イスラーム以外のものによって救われたからと言って、ムスリムではないことにはならないだろう。

 昨日おこなわれた「レバノン料理を食べる会」も気分転換に随分とプラスになった。
 主催者のアリーマ山口さん(ブログ「中東ぶらぶら回想記」 「横浜ほにゃらら日記」)とはブログやmixi上ではお付き合いがあったが、お会いするのは初めてだった。

 予想以上の美人で、間違いなく全人類の上位50%に入るほどの美しさだった。芸能人で言うと、西田ひかるに似ていないこともない…と言えるかもしれない。ええと、西田ひかるの顔がわからなくなってきた。とにかく美人だった(←アリーマさん、これでいいですか?)

 参加者のみなさんも個性豊かで、うれしさのあまりつい私もはしゃぎ過ぎてしまったが、あっという間に4時間が経ってしまったような感じだった。

 主催者のアリーマ山口さんを初めとして、参加者のみなさんに深く感謝したい。どうもありがとうございました。

 店の情報(横浜のアル・アイン)については、アリーマさんのブログに詳しく綴られているのでここではあまり深くは触れない。

 その後、アラビア書道のレッスンに直行した。

 10月に行われる作品展の作品制作に取り組み始めた。クルアーン最後のページ(第112章「純正章」、第113章「黎明章」、第114章「人間章」)をアラベスクで囲んだ作品を作りたい。

 元々、アラビア書道を始めた理由のひとつに、「クルアーンを自分で書きたい」ということがあったので、今回はその目標への最初のチャレンジとなる。

 活字とは違うので、どのように作品にしていくかじっくりと考えていかなければならない。
 とりあえず、第112章と第113章を自分なりにナスヒー体で書いていって、先生に見て頂いた。自分の字にあまりにメリハリが無いことを痛感。
 
 先生曰く、もし私が今考えている構想で書いていくとすると、ペン先の幅1ミリ以下のカラム(筆・ペン)で、ルーペを覗きながら太さの緩急をつけて書いていくようなことになるとのこと。
 そのレベルは、トルコなどの一流書家の世界らしいので、いくらなんでもそれは無理である。ということであえなく野望は潰えた。

 しかし、作品全体のサイズを大きめにしたり、アラベスクを押さえたり、バスマラ(クルアーン各章冒頭につく言葉)をクーフィー体の画像を貼り付けることでスペースを節約したり、工夫の余地はある。

 本当は、各タイトルをスルス体で書きたいが、それはあまりにもレベルの高い話なので、ずっと先の目標とする。
 
 まだまだ詳しいことがわかるようなレベルではないが、最近文字を書いていて、「線の意志」のようなものを感じる。
 「読み」を間違えることも多いが、書いていて「線はこっちに流れたいのかな?」など、「線の意志」を読もうとはするようになった。

 生きている線に触れることによって、自分も生きている実感をつかめる。レベルはとにかく、アラビア書道が「癒し」にもなってきた。今、アラビア文字を書くことが楽しい。

私はこんな本を書きたくない

2006年06月22日 06時01分56秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)26日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
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 「年齢的な危機(中年期の危機)」「家庭上の危機」「仕事上の危機」がトリプルで来ている。
 他にも細かいこと言えば、いろいろなことが時期悪く重なっているのだけれど、やはり年齢・家庭・仕事はデカイ。 

 強いストレスのため、体中じんましんだらけになってしまった。かゆいのなんの!

 特に、本の執筆がイヤで仕方ない。「もういいや」という気持ちなんで書いちゃうけど、NHK出版から発行する本の3分の1を書くことになっている。約60ぺージの予定。
 う~ん、NHKか…。他の出版社と違ってちょっと微妙なんだなあ。
 それに、本自体にさまざまな思惑が絡んでいるので、「こんな本書いてもなあ」という気持ちも強い。
 イスラームに触れる部分もあるかもしれないし。それまたムスリムの立場と、非ムスリムの立場を使い分けなければならないのもめんどくさい。
 上司命令、というか上司のペースに巻き込まれて書くことになったが、目下のところ最大のストレス。

 それに、例の「悲し苦しい出来事」が重なっているので、もう頭と心が大混乱です。

 なんだかなげやりというか、開き直りみたいな気持ちも出てきているので、仕事のこととか家庭のこととかバンバン書きそうでヤバイな…。

 でも、すでに私の仕事のことを知っている方は、ネット上では触れないでね。

「○○子」という名前の日本人女性はテロリストの可能性あり!…と言われたら驚きますよね?

2006年06月10日 00時52分40秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)14日 ヤウム・サブティ(土曜日)
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 1970年代にパレスチナを拠点に活動をした、日本赤軍の指導者「重信房子(しげのぶふさこ」の名前に「子」という漢字が使われていたことから、欧米各国では、「○○子」という名前の日本人女性はテロリストの可能性があると判断。
 このような名前の日本人女性に対する送金などは要注意とされ、送金が遅れるなどの実害が問題になっている。

 …という事件があったら、「欧米は何を考えているんだ!」と怒る日本人は多いと思います。

 でも、それと同じことを日本の政府及び郵政公社がやってしまったという記事が大新聞の一面に掲載されました。

 「bin(ビン)」という文字の入った名前を持つイスラーム圏の人間は、「ウサマ・ビン・ラーディン」と関係のあるテロリストの可能性あり。このような名前の人間に対する送金などは要注意…という「指導」を、この国のエライ人たちがしてしまったそうな。

 ビンは「~の息子」という意味ですから、男女の違いがあるにしても、なんとなく「子」という漢字と共通する感覚があります。
 ですから、ついつい冒頭のような架空の事件を妄想してしまったわけですが(はでぃ~じゃねーさん、私の妄想癖のボリュームはどうしても下がりません…)。

 勇気ある女性の行動によって、このことが明るみに出て、政府も郵政公社も反省し始めている様子です。
 でも「あれ、なんだかよくわからんけどヤバいんじゃないのか? とにかく騒ぎがこれ以上大きくなるのだけは防がなきゃ」という本音が見え隠れしています。
 問題発言をしても開き直っているどっかのお偉いさんよりはマシだとは思いますが、もう少し突っ込んで考えた方がいいんじゃないですかね? ちゃんと考えておかないと本質的にまた同じことを繰り返すような気がします。

きのう書きたかったこと

2006年06月08日 06時35分33秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)12日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
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 昨日、クルアーンの第75章第14節を取り上げたところで出勤時間になってしまいました。

 なんだか最近、自分の意志の弱さを思い知ることが多く、「こんなことでいいのか、俺は?」と自問自答する毎日です。

 今まではなんとなく、「ムスリムになったからクルアーンを暗記するぞ!」とか「よっしゃ、今日は仕事休みだからモスクに行くぞ!」など、どちらかというと「形」にこだわっているような部分(もちろんそれも重要なのですが)が強かったのですが、自分の日常にイスラームが浸透しているかどうか自問自答したときに、「はい」と答えられない自分を発見してしまいました。

 というわけで、昨日とりあげた「第75章(復活章) 第14節」を読みながら「最後の審判のときもそうだけど、日常生活でも自分の行為の証人は最終的には自分だよなあ。たまには自分の言動について自問自答しないと」などと思った次第です。

 ジャン・ジャック・ルソーは『エミール』の中で、「知人の家に遊びに行ったときに、その家の奥さんの大切な櫛がなくなった」というエピソードを紹介しています。

 ルソーは櫛を盗んだりしていないのに、困ったことに状況からしてルソーがうたがわれざるを得ず、さらに困ったことにその家のみなさんが疑っているのがミエミエなのに、何事もなかったようにルソーに接してくれるものだから、弁解もできずにかえって気まずいぞ、おい…というお話です。

 ルソーは「周りに理解されない真実もある。結局自分のことを一番わかっているのは自分なんだから、自分の行動については自分自身で責任をもっていくしかないなあ。ああ人間って孤独!」という結論を出します。えらくテキトーな要約ですが。

 アッラーには見られているにしても、「人間は自分自身に対し証人である」という言葉は「その通りだよなあ」と納得する今日この頃という次第です。

復活章:第14節

2006年06月07日 06時41分14秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)11日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)
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バリ・ル・インサーン・アラー・ナフスィヒ・バシーラ
いや人間は、自分自身に対し証人である。【第75章(復活章) 第14節】

 ああ、出勤時間だ。本文書けなかったけど、とりあえず行ってきます。

本を執筆することとなってしまいました…

2006年06月06日 06時21分38秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)10日 ヤウム・ル・スラーサーィ(火曜日)
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ファインナ・マア・ルウスリ・ユスラン
本当に困難と共に安楽はある  【第94章(胸を広げる章) 第5節】

 某大手出版社で発行する本を執筆することになりました(共著)。
 特殊な分野の本なので一般の書店には流通しません。初版10万部の予定だそうです。

 実は5年前にも同じ仕事をしたことがあります。今回はその全面改訂版の執筆です。
 そのときは、その本の関係者K氏と偶然知り合い、軽い気持ちで引き受けたらエライ目に遭いました。
 労力の大きさと責任の重さのわりに、異常に報酬が安く、おそらく時給に換算したら100円にもならないでしょう。

 この5年間で50万部から100万部発行しているので、普通の本の印税だったら結構な収入があるはずです。印税生活…う~ん、なんという羨ましい響きでしょう。しかし印税などとはまったく縁が無い世界です。
 それにしても「だいたい50万部から100万部」というのは、アバウトにもほどがあります。大出版社とはいえ、この本への熱意は低いようです。

 そんなわけで、「もう二度とこんな仕事やるもんか!」と堅く心に決めていたのですが、いったいどういう偶然なのか、今年4月にK氏が上司として赴任してきてしまいました。

 K氏は満面の笑みを浮かべて「全面改訂版を出版することになったけど、だ~れも引き受け手がいないから君頼むよ」と声をかけてきました。

 本来の業務とは関係がありませんし、5年前の苦い思い出があるので、私は強い決意のもと、にっこり笑って「絶対イヤです。お断りします」と申し上げました。
 
 するとK氏はこうおっしゃいました。
 「おお、ありがとう、これで執筆者がまず一人決まったぞ。あと二人は欲しいな。誰か知らないかな?」
 この上司は、人の話を聞かないことにかけては同僚の間でも定評があります。全く悪意が無く、どちらかというと「いい人」だけに困りものです。
 
 とりあえず5年前の同志たちに声をかけてみましたが、燃え尽きて仕事やめちゃった人だの、過労&ノイローゼ気味になってしまった人だの、みなボロボロです。いまのところ、ようやく一人だけ引き受けてくれました。

 執筆資格(?)のある人は、100人以上はいるはずですし、その中には明らかに私より適任の方も数多くいるのですが、みなさん引き受けてくれません。執筆の実態が知れ渡っているようです。

 「困ったな、こりゃ」と思いながら、クルアーンを読んでいたら冒頭の節が目に入りました。
 このような状況になってしまったら、いつまでも悩んでも仕方ありません。
 自分の勉強にもなりますし、もしかしたら今回はいいことがあるかもしれません。困難を楽しむ気持ちが大切なのでしょう。

新説発表:琉球語の起源はアラビア語だった!

2006年06月05日 06時08分01秒 | アラビア語
ヒジュラ暦1427年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)9日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)
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 さて、昨日の続きです。『ダ・ヴィンチ・コード』の追随本を読んでいたら、「琉球語の起源はアラビア語である」という説を思いついたという、他愛無い話です。構想30分程度のわりに、実際に打ってみたらやたらと時間がかかってしまいました。こんなことやっているから時間の使い方が下手なのでしょう。

【琉球語の起源はアラビア語】

1.「3母音収斂の法則」

 琉球語とアラビア語はどちらも、母音が「ア」「イ」「ウ」の三種類だけです。もちろん「エ」「オ」を発音できないわけではありませんが、普通は「エ」は「イ」に、「オ」は「ウ」に吸収されます。
 たとえば琉球語発音では、「蜘蛛(くも)」は「くむ」に、「壁掛け(かべかけ)」は「かびかき」となります。
 このような現象を「3母音収斂の法則」と名付けます。別に「3母音吸収の法則」でもなんでもいいのですが、難しい漢字が入っていた方がアカデミックな感じ(要するにエラソーな感じ)がします。


2.「動静変化/代替の法則」

 琉球の人の言語感覚では、「動きを表す言葉」が「状況・場所」など静的な内容の言葉を代替する場合があります。
 この言語感覚は現在にまで生きていて、太平洋戦争後、アメリカ支配下に置かれたとき、独特の「琉球英語」が生まれました。
 例えば、(タイヤの)パンクのことを「グッバイ・エアー」などというのはこの例です。
 このような、言語変化・言語代替現象を「動静変化/代替の法則」と名付けます。
 

3.重要語句の共通項

 二つの言語を比較する場合、どのような語彙に注目するかも重要なポイントのひとつとなります。
 琉球語とアラビア語の場合、宗教的側面の語句に注目するのが良さそうです。琉球王朝は政教一致の体勢でしたし、アラビア語を使用するイスラーム圏も本来は政教一致だからです。
 そこで琉球語の中から次のような語句について語源をでっちあげて調べてみました。すると、なんということでしょう! アラビア語起源の言葉が思いの他多いことがわかりました。

①「メンソーレ(ようこそ、こんにちは)」

 挨拶は重要な要素です。まずは琉球語の定番のこの言葉から考察してみます。  「3母音収斂の法則」により、厳密には「ミンスーリ」となります。これはアラビア語の「ミン・スーラティ」が語源です。
 「ミン」は前置詞で「~から」、「スーリ」は「スーラティ」の変形です。「スーラ」とは、クルアーンの「章」のことです。
 前置詞の後では名詞は所有格(属格)になりますから、「スーラ」は「スーラティ」となります。
 しかし、書き言葉では「スーラ」の厳密な読みは「スーラトゥン」になりますが、話し言葉では「スーラ」ですから、「スーラティ」が「スーリ」と変化したと考えても不自然ではありません。 
 そこで「メンソーレ」の本来の意味は「クルアーンのスーラ(章)から〔何事も始めるようにしましょう〕」という、クルアーンに対する深い信仰を表したあいさつということになります。


②「御殿(うどぅん)」

 これは、聖なる場所、禁忌なる場所を表す言葉です。アラビア語の「ウドゥー(洗浄)」が語源であり、元々はモスクを表していたと思われます。
 「動静変化/代替の法則」により、「洗浄」という動きのある言葉が、場所を表す言葉になりました。
 通説では御殿は王の聖所や居所ですが、それは後に日本に征服された際に歴史が書き換えられたからです。本当はモスクだったのです。 
 ここで、「城(グスク)」の語源もモスクである…などと主張すると、「アラビア語ではモスクはマスジドだろ?」などという反撃を受けて、「あちゃ、しまった!」と頭を抱えるハメになります。でっちあげ調査にも注意深さが必要です。
 
③「祝女(ノロ)」

 女性の神官、巫女などを表す言葉です。「3母音収斂の法則」により「ヌル」となります。当然アラビア語の「ヌール(光)」が語源です。「信仰の光」を意味し、宗教的儀式を執り行う女性の役名にふさわしいと言えます。


④「御嶽(うたき)」

 聖所を表す言葉です。祝女(ノロ)が就任式や儀式をおこなった場所で、語源はアラビア語の「ウトゥキヌ(習得する、熟達する)」です。「ウトゥキヌ」は「アトゥカナ」の未完了形です。
 この場所で祝女(ノロ)たちが、聖なる力を「習得した」から「ウトゥキヌ」で、後に「うたき」に変化しました。
 「動静変化/代替の法則」により、「ウトゥキヌ(習得する)」→「うたき(霊力を習得する場所、聖所)」と変化したというわけです。
 なお、「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」は、王と同等の権力を持つ女法王「聞得大君(きこえおおきみ)」の就任式をおこなった、最高の聖所でした。
 

⑤「那覇」

 アラビア語の「ナハー(禁じる)」という動詞が語源です。この地が、一般の人が立ち入ることのできない聖なる地であったことを示しています。
 この語にも「動静変化/代替の法則」が見られます。
 元々はそのような禁忌所のみを表していましたが、後に差す範囲が拡大し、現在の那覇を表すようになりました。


⑥「按司(あじ)」

 各地を支配する役人、総督を表す言葉です。アラビア語の動詞「アズィナ(許可する)」が語源と考えられます。いろいろなことを許可する権限の大きさを表しているようです。これは「動静変化/代替の法則」のバリエーションで、動きのある言葉が、人を表すようになった例です。

 
4.沖縄はイスラーム圏だった!

 海洋貿易国、沖縄は実は昔はイスラーム国でした。12世紀あたりにインドネシアのマジャパヒト王国からイスラームが伝わったと考えられます。
 では、沖縄がイスラーム圏だったとすると、なぜ「アッラー」という言葉すら残っておらず、イスラームの痕跡が残っていないのでしょうか? 
 それでころか、豚肉消費量が日本一などという反イスラーム的現象が見られます。これについて考えてみましょう。

 琉球は日本・中国の両方と交易をしていましたし、この両国に朝貢するなど、2国の間のバランスで成り立っていました。
 宗主国のひとつ日本は神道の国でした。琉球に派遣された日本の役人が「アッラー」を、神道の「荒神(あらぶるかみ)」と勘違いしました。
 どうやら「アッラーの神」という誤った表現が「あらぶるかみ」と聞き間違えられたようです。
 農業国日本の神道では、「荒神(あらぶるかみ)」は農業を破壊するような恐ろしい神ですから、見過ごすわけにいきません。
 キリスト教を禁止したように、イスラームも禁止されました。それとともに「アッラー」という言葉を消し去るための犠牲が払われました。
 琉球の人々に改宗を迫り、それとともに、イスラームの食物禁忌だった豚を必要以上に人々に食べさせることによって、イスラームの痕跡を流し去ろうとしたのです。

 これ以上書くと、いくらタワゴトとはいえ、各方面から怒られそうなのでこの辺でやめておきます。

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 でも世の中には、これと大してレベルの変わらない内容の「研究成果」を綴った書籍が結構出回っていたりして驚くことがあります。

 何の根拠もないのに、「12世紀あたりにインドネシアのマジャパヒト王国からイスラームが伝わったと考えられます」などと、さらっと書かれると「ああ、そうなんだ」と思ってしまう場合があります。

 本を読む際には、きちんとした根拠・証拠を積み重ねた上で論理的な体系を作っているかどうか注意したいものです。

 最後になりますが、この記事に刺激を受けて「琉球語の起源はアラビア語だった」などという説を真剣に追求しないようにお願いします(そんな人いないか)。そんなことは絶対にありませんので悪しからず。