日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

アラブ イスラーム学院のホームページはすごすぎる

2005年05月31日 06時16分06秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)22日 ヤウム・ル・スラーサーィ(火曜日)


 久しぶりに見たけど、アラブイスラーム学院のホームページはすごいことになっているなぁ。
 アラビア文字学習、アラビア語学習、アラブ文化紹介、留学体験記、ニュース…などなど。すごい数のコンテンツだ。サウディテレビまで見れるしね。

 特にすごいのは、「イスラーム広場」の中の「クルアーン学習」。クルアーンの全ての章の朗唱を、一流の朗唱者シャイフ・ムハンマド・アイユーブの朗唱で聞けるし、解説も驚くほど充実している。

 イスラーム広場の他のコーナーもボリュームたっぷりだし、アラブイスラーム学院のホームページだけで、十分イスラムやアラビア語、アラブ文化の学習ができる。

 このページがもっと広まったら、イスラム関係の出版物の売り上げにも影響出るんじゃないか?
 学習する方としては、これだけの内容のものを無料で提供して頂けるというのはありがたいことこの上ないけど。

ハーフィズへの遠き道のり・4/中には強烈な章も…

2005年05月30日 18時45分26秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)21日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)


 クルアーンの中には、日本人の心性には戸惑いを感じるような章もある。例えば「第111章・棕櫚章(スーラトゥ・ル・マサドゥ)」
1.アブー・ラハブの両手は滅び、彼も滅びてしまえ。
2.かれの富も儲けた金も、かれのために役立ちはしない。
3.やがてかれは、燃え盛る炎の業火の中で焼かれよう。
4.かれの妻はその薪(たきぎ)を運ぶ、
5.首に棕櫚(しゅろ)の荒縄かけて。
(※訳は、日本ムスリム協会発行の『日亜対訳 注解 聖クルアーン』による)

 アブー・ラハブは、預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)のおじであり、最も抵抗した敵のひとりであった。
 そのためこうしてクルアーンに、滅び行く愚か者として名を残すことになった。「神の言葉にしては強烈だなぁ」というのが最初の印象であった。

 でも、『旧約聖書』の「士師記」なんかだって結構強烈だよなあ。いきなり他の民族皆殺しにしちゃったりしているもんなぁ。
 『新約聖書』でも、ユダは永遠の裏切り者として名前残しちゃったしね。

 やはり神は優しい面だけでなく、恐ろしい面も持っているものなのだろう。

 暗記するという意味では、この章は内容が強烈なので暗記しやすかったけどね。


決まった時間に1日5回の礼拝は難しいけれど

2005年05月29日 22時32分20秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)20日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)


 約束した時間に医者が来なくて職場は混乱するし、突然スペイン語の通訳は入るし、パソコンはフリーズするし、「息子に空手をやらせたい」と若いお母さんは相談に来るし、水曜日に自衛隊でおこなう仕事の準備はしなくちゃならないし。日曜出勤で、なんだか一日慌ただしかった。
 「お前はいったい何の仕事しとるんだ?」と思う方もいるかもしれないが秘密だ。
 問題なのは、このような日には時間通りに礼拝ができないことである。

 イスラムでは1日5回の礼拝が義務である。日の出前(ファジュル)の礼拝は毎日時間通りにできるので問題ない。時期によっては4時前に起きるので、自分が年寄りになったような錯覚に陥ることがある。
 昼(ズフル)の礼拝、遅い午後(アスル)の礼拝、日没後(マグレブ)の礼拝が仕事時間にあたってしまう。時間があれば目立たない場所に行き、こっそりと礼拝するのだが、忙しいとそうもいかない。

 その場合は「カダー」と言って、別の時間に埋め合わせ(?)の礼拝をすることになる。
 あまり好ましくはないが、忙しいと、帰宅後にまとめて「ズフル」「アスル」「マグレブ」とおこない、寝る前(イシャー)の礼拝を行うというパターンとなる。 

 イスラム教というと「世界中の十何億人の信者が1日5回きっちりと礼拝をおこなっている」というイメージを持つ方もいるかもしれないが、「礼拝なんかぜーんぜんやらんもんねえ」というヤツもいる。私のように時間通りにできない者もいる。
 しかしあくまで個人とアッラーとの問題なので、他人がとやかくいうことではない。またきちんとやっているからといって他人に自慢するものでもない。

 本来そんな風にふところの深い宗教なのである。ということで今日もカダーだな…。
 

イスラムの風景8

2005年05月29日 19時26分34秒 | イスラムの風景
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)20日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)


 エジプト。カイロ国際空港から見た、カイロの街の夕焼け。「勝利の街(アル・カーヒラ)」という名にふさわしい高貴な輝き。神の被造物の中でも、太陽はもっとも美しいもののひとつ。

日本ムスリム協会会長にお会いして ~笑顔の素晴らしい紳士でした~

2005年05月28日 10時24分04秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)19日 ヤウム・サブティ(土曜日)

 集団礼拝で行ったアラブイスラーム学院で偶然、日本ムスリム協会会長のアミーン徳増さんと知り合った。長身のすらっとした初老の紳士である。
 ムスリム歴40年以上というから、私が生まれる遙か前からムスリムだったことになる(多少の誇張有り)。

 エジプトのカイロ大学を卒業され、そこで知り合った日本人の奥さんとともに改宗したそうである。もちろんお子さんもムスリム。数少ない、純日本人のイスラム一家である。

 昔は今以上にイスラムが知られていなくて、会社などでもご苦労されたらしい。飲み会を断ったりする口実とかね。「イスラム教徒だから」と言っても、理解してもらえず、単に「変わり者」のレッテルを貼られてしまったり。

 また、国によってイスラム教にも違いがあり、それで困った話もうかがった。ちょうど私自身も感じていたことをアミーンさんの口から聞いて、すごく安心した。

 優しい目をした笑顔を崩さないのだが、40年のムスリム生活の重みがにじみ出ていて説得力がある。イスラムについて熱く語って頂き、書籍を読むよりもはるかに勉強になった。

「酒を飲まない、豚を食べないというのは守らなきゃいけないことだけど、イスラム全体から言ったら、そんなのはどうでもいいくらいの小さいことなんですよ。また、宗教というと浮世離れした精神活動と思っている日本人が多いけど、人間社会の中で日々どう生きていくかのかが大切なんです。イスラムは『生き方』なんです
という言葉が特に心に沁みました。
 

イスラムの風景7

2005年05月28日 09時37分41秒 | イスラムの風景
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)19日 ヤウム・サブティ(土曜日)


 チュニジアのケロアン(カイルーアン)のグランド・モスク。四角いミナレットの建材にローマ帝国時代の遺跡から切り出した石が使ってあり、ローマの文字が刻まれていたりする。
 右の方の、階段のついた白い台は日時計。イスラム圏だが、チュニジアは日曜日が休みで、集団礼拝も日曜におこなう。

イスラムの風景6

2005年05月27日 22時44分31秒 | イスラムの風景
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)18日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)


 ウズベキスタン共和国のヒヴァ。2000年以上の歴史を誇る古都。モスクやマドラサ(神学校)がひしめく。1965年にユネスコから「博物館都市」に認定された。
 強烈なコントラストをなしていた土色の建物と中央アジアの青い空が地平線で溶け合う。

ひとくちサイズのイスラム入門1・神様について

2005年05月27日 20時20分33秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)18日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 イスラム教では、唯一の神様を信じています。アラビア語ではアッラーと呼びます。アラビア文字では次のように書きます。なお、アラビア文字は右から左に向かって書かれます。


الله


 この文字は、イスラム建物の装飾の中や、アラビア文字をつづったタペストリーの中など、いろいろなところで見られます。イスラム圏を旅行するときには、いろいろなところで、この文字を探してみてください。

イスラムの集団礼拝の実況中継(タイムテーブルで見てみよう)

2005年05月27日 19時08分01秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)18日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

(※アラブ イスラーム学院では写真撮影が禁止されています。さすがサウジアラビア系。)

 今日は仕事が休みだったので、アラブ イスラーム学院に金曜の集団礼拝に行ってきた。集団礼拝は撮影できないし、非ムスリムは見ることもできない。そこで今回は、集団礼拝はどんな感じで進むのか文章で紹介してみたい。
12時00分アラブイスラーム学院に到着。水場でウドゥー(礼拝前の身を浄める儀式)をおこなう。
12時10分アザーン(礼拝前の呼びかけ)が始まる。礼拝室に入る。まだ20人くらいしかいない。ただ座っている人、クルアーンを読む人、語らう人などさまざま。私はクルアーンを読む。
12時20分英語でのフトゥバ(説教)が始まる。スーツ姿のアラブ人が、礼拝室の前の方に立ち、スタンドマイクで英文を読み上げる。この時点で約50人ほど。約15分続く。
12時40分 アラブの衣装を着たイマーム(導師)アラビア語でのフトゥバを始める。約150人ほどの人がいる。いろいろな人種・民族が入り混じる。
 みんな規律正しく神妙に聞いているかというとそうでもなく、あぐらかいたり、立て膝したり、壁に寄っかかったり。居眠りしている人もいれば、鼻くそをほじっているヤツもいる。
 「規律正しく行動する宗教」というイメージを持っている人が見たら、「なんだ、このダラダラした感じは?」と思うかもしれない。
 そんなことにお構いなく、熱の入ったイマームのフトゥバは約30分続いた。アラビア語を30分聞き続けるというのはなかなかしんどい。
13時10分 集団礼拝が始まる。イマームの先導で2ラカア(礼拝の単位)おこなう。この時点では約250人ほどのムスリムが礼拝室にひしめき合っている。日本人は6人。
 各ラカアで、クルアーンの「第1章・開端章(スーラトゥ・ル・ファトハ)」と短い章をひとつの合計2章分をイマームが朗唱する。
 本日は1ラカア目では「第109章・不信者たち章(スーラトゥ・ル・カーフィルーン)」が、2ラカア目では「第112章・純正章(スーラトゥ・ル・イフラース)」が詠み上げられた。
12時15分 集団礼拝が終わると、さっさと帰る人、さらに2ラカア礼拝する人などさまざま。
 私はあと2ラカアおこなった。立ち上がると、アラビア語の先生(エジプト人)に出会ったので、少しだけ話す。
 その後、偶然会った日本ムスリム協会の会長とお話をしてアラブイスラーム学院を後にした。

 読んでいて飽きたかもしれないが、これでも細かい所は省略してあるのである。ウドゥーのやり方とか、アザーンの文言とか、アラビア語のフトゥバの途中でムスリムたちが入れる「合いの手(みたいな言葉)」についてとかね。
 ということで、文章で紹介してみました。ここまで読んでくれた人ありがとう!

コスプレじゃないんだから、もう!

2005年05月26日 22時29分10秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)17日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)


(※この記事はyahooブログからの再録です。)

 日本人ムスリムの中に、アラブの衣装を着ている人がときどきいるが、あれはいかがなものか? 日本に住んでいるアラブ人だってそんな格好していないぞ。

 アラブ イスラーム学院(ブックマーク参照)に通っていた知人がこんな話をしてくれた。
 毎日アバヤ(アラブ女性が着る真っ黒な服)を被って学院に通う日本人ムスリマがいたが、ある日、アラブ人の先生に「君は日本人で、ここは日本なんだから、そんな格好はやめなさい」と注意されたそうである。

 ただでさえ偏見の目で見られ、異質な存在と見られている日本人ムスリム。自ら異質性を際だたせることはないんじゃないか? 余計にイスラムに対する偏見を助長する結果になると思うけどなあ。

 そういえば、大学時代の体育の授業で、アラブのどこかの国からの女性留学生がアバヤを着たままトランポリンをやっているのを見て驚いたことがある。
 真っ黒な固まりがビヨ~ンビヨ~ン跳ねている。巨大コウモリか死神みたいだ。
「あの高さから襲われたら助からんな」などとマヌケな感想を持ったことを覚えている。
 
 でも本当は、少しはそういう人がいてもいいのかもしれない。「笑っちゃう人」や「困った人」など、いろいろな人がいてこそ、その宗教が普及している証しだとも思うからである。